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ラクダ


 ラクダのこぶをやすりで削って平らにした罪で逮捕された田中弘、五十二歳は、監房の中で自らの人生を顧みた。悪い人生ではなかったと思う。妻は可愛くて、優しい、子も同様であり、いまや成人して立派に働いている、トヨタ自動車で。トヨタ自動車のほうで。自分だって銀行員としてコツコツ働き、課長にまで出世した。少ないけれど気の知れた友達だっている。なにも悪いことはなかった。だったらどうしてここにいるのだろう。どうしてラクダのこぶをやすりで削るようなことをしたのだろう。あの日は、仕事帰りに馴染みの飲み屋で一杯飲んで、気持ちよく帰っていた。すると、目の前にラクダが現れた。意味がわからなかった。こんな市街地にどうしてラクダがいるのだろう。目を疑った。デカい猫とかじゃないよな? でもこぶがあり、顔もなんというか、あの感じだった。じっと見つめていると、おい、ラクダが喋った。ラクダが喋った、と言うと、喋るよラクダでも、と返ってくる。反則だろ、ラクダが喋るのは。ラクダは数秒黙ったのちに僕を見て「なあ」ん?「あるものを買うかどうか迷ってるときに、ほかの人が買っちゃうとするだろ。そうすると、迷ってたくらいのレベルのものが、絶対欲しかったもののように感じられてこないか?」ん、うん。「それと同じだ」なにが?「お前の子供はトヨタ自動車で働いてるんだって」ん、うん。そうだけど。「すげえな」まあな、言っても、まだ新卒だけどな。「いやそれでもすげえよ。あのトヨタ自動車に入れるなんて」いやいや、まあ、うん。日産とマツダの内定ももらってたんだけど、蹴ったって。あと電通も。電通のほうも。「本当にすげえな、天才なんだな」いや、天才ってほどではないよ。たしかに県ナンバーワンの高校に行って、それから大学も一応早稲田で。まあ慶応も受かってたんだけど、蹴ったらしい。MARCHは全部受かったって言ってたな。「本当にすげえな。俺と同じだ」は? 「おれも、サハラ大学出てるから。ゴビとナミブとテンゲル蹴って」あ? 「就職先も、エリート企業が集まるサハラの中心地にある」は、おれの子供は、なんていうか、背も高くて、ふつうに一メートル九十五とかあって。「デカいな」顔も、イケメンとまではいかないけど、小栗旬を放射状に引き伸ばしたような顔、というか綾野剛をダンプカーで轢いて、その後もう一回成形しなおしたみたいな顔、というか山下智久を二年と半年サウナに入れ続けたみたいな顔というか。「おれもメンズRの読モだけど」田中は、その垂れた目尻を見つめていると、だんだんと腹が立ってきた。おれの子供は天才だ。マウントを取ろうなんて何年か早い。街路灯の灯りで、コブが光ったように見えた。見下されているような気がした。おれの子供は、トヨタ自動車だ。トヨタ自動車だぞ。気づけば偶然スーツに入っていた紙やすりで、ラクダのコブを擦っていた。ラクダは無抵抗だった。やすりでこぶを削ると、ほんの少しずつ、コブが小さくなっていくのを感じられた。気づけば朝になり、ラクダはおらず、路面にヘタった田中だけがいた。後方からサイレンが聞こえてきた。警察官二名が田中の腕をつかんだ。「田中弘、五十二歳。分かってるね、君がなにをやったか」はい?「削ったんだね。こぶを」ああ。「逮捕するから」そういえば聞いたことがあった。令和二年に「動物の愛護及び管理に関する法律」が改正され、第七条第四項で「駱駝のその瘤を妄りに、或いは恣意的に鑢等で削らないこと」と定められるようになったと。なんてミスを犯してしまったんだ、と田中は思う。息子がせっかくトヨタ自動車に入ったのに。

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