掌編「パンとご飯」
「昼なににする?」
誠が高志に訊く。
「なんでも」
高志が漫画を読みながら答える。誠が、
「ラーメンとか」
「あり」
「パスタ」
「ああ、あったっけこのへん」
「ないか。パンとか」
「パン?」
「うん、まあなんでもいいけど」
高志が漫画から顔を上げ、
「パン?」
「あ?」
「パンてなに?」
「ん?」
「パンてなに?」
「パンてなにってなに?」
「いやだから、パンて、なにそういう食べ物があるの?」
「は?」
「え?」
「怖いんだけど」
「いや俺も怖いよ」
「パンとご飯のパンだよ」
「ご飯は分かるんだけど、パンてなに」
「は?」
「有名?」
「いや…」
「無名?」
「そういう尺度で測ったことないけど」
「え、パンとご飯てことは、それくらい、二大巨頭みたいになってるってこと?」
「なってるよ」
「へえ…え、で、パンてなんなの?」
「お前ふざけてるだろ」
「いやまったく」
「怖いって」
「おれも怖いよ」
「いや」
「え、じゃあ見せてよ」
「は?」
「パン、見せてよ、そんなに言うなら」
「なんでだよ」
「あるんだろ、パンてのが」
「だからあるって」
誠はため息をつき、
「意味わかんねえ」
部屋を出、キッチンに向かっていく。食パンを手にとって引き返し、扉を開け、見せる。
「はい、パン。食パン」
うわっ、と高志は身を引き、
「怖い怖い」
「なにがだよ」
「ちょっと遠ざけて」
「パンだよ、ただの」
「怖いって」
「パンだって」
誠はパンを遠ざける。高志は、
「いったん落ち着こう」
「落ち着いてるよ」
「そのパンとかいうやつは、なんなの?」
「食べ物だよ」
「てことは食べれるの?」
「そうだって」
「え、ちょっと誠食べてみて」
「なんでだよ」
「いいから」
誠は袋から食パンを出し、底の部分を齧る。高志が顔をしかめながら見つめる。
「うわあ」
「なんでだよ」
「でもせっかくだから食ってみようかな」
「なんなんだよ」
誠は首を傾げつつ、パンを差し出す。高志がおそるおそるといった様子で受け取り、心臓のあたりで捧げ持つ。顔を近づけてじっと見、
「うわあ…」
一口、齧る。
「うわ、なんかふわふわで、もちもちした感じ。気持ちわる」
含んで、手のひらに吐き出す。
「出すなよ」
「気持ちわる、この感覚」
「え?」
「なに?」
「お前まさかとは思うけど、本当にパン知らないの?」
「うん、知らない」
「え、ふざけてるだけだよね」
「いや」
「ちょっともう一回食ってみ」
パンを差し出すと、うわ、と高志は顔を引く。そのあとゆっくり顔を近づけて、小さく齧る。
「うわ…まず」
「まずくはないだろ」
「変な感触」
「その嘘なんなの?」
「だから嘘じゃないって」
「もういいってそういうの」
「いやだから違うって」
「え、パン知らない人とかこの世にいるの?」
「ここに」
「マジで言ってんの?」
「うん」
「え、給食とかは?」
「給食…がなに?」
「パン出てたろ」
「ない、と思う。わかんない、知らず知らずのうちに食べてたのかも」
「そんなことある?」
「いやあ」
「CMとかでも散々やってるだろ。ヤマザキ春のパン祭りとか」
「ああ、うちテレビ観ない家庭だったし、いまもその延長で観ないし」
「え、コンビニは?」
「コンビニに売ってるの?」
「売ってるだろ」
「へえ…コンビニって基本、飲み物とかおにぎりとかしか買わないから…」
「マジか」
「うん」
「パン屋とか、あるじゃん街に」
「あ、うん…え、あるの?」
「それは嘘でしょ、さすがに」
「いや嘘じゃない」
「どんな感じ?」
「どんな感じって、パンいっぱい置いてあるみたいな」
「へえ…パン専門店みたいな?」
「いや…まあ。ちょっと怖くなってきた、あれ俺がおかしいのか?」
「どうだろう、わかんない」
「マジか…」
「パンて初めて聞いたから」
二人並んで、通りを歩く。売ってるところを見てみたい、と高志が言ったのだ。高志の横顔を見ながら誠は、
「怖いなほんとに」
「なんで?」
「パン知らない人ってこの世にいるんだ」
「そんな有名なんだ」
「え、フランスパンとか、知らない?」
「ああ、聞いたことあるかもしれないけど」
「あんぱんとか」
「あんぱん…、ああ、アンパンマン?」
「ああ、そう。そう!」
「アンパンマンのパンて、パンのパンだったんだ」
「マジかよ」
「食パンマンとかいたろ」
「ああ、いたかも。そういうパンか」
「ばいきんまんとか」
「あれはパンじゃないでしょ」
「ああそうか」
「ばいきんでしょ」
「うるせえよ」
見えてきたセブンイレブンに入店する。自動ドアが開き、すぐに左に曲がる。パンが陳列されているコーナーに移り、ほら、と誠は指を差す。高志は腰をかがめ、
「へえ、うわあ…全然知らなかった」
「マジで言ってる?」
「うん、マジ」
「え、これ売ってるの?」
「そりゃそうだろ」
「ええ、めっちゃあんじゃん…知らなかった…」
高志は「超熟」を手に取り、
「これさっき誠が持ってたやつじゃん」
「食パンな」
「ああそう、食パン。食パンね、もう覚えた」
「買う?」
「え、いいの?」
「うん」
「年齢確認とか」
「されねえよ」
「貯金下ろさなきゃ?」
「安価だわ」
「…あ、でも。どうせなら、パン専門店で買ってみたいかも」
「パン屋な」
歩きながら誠が、
「お前、テレビとか出られるレベルだと思うぞ」
「マジ?」
「パン知らないとか、そんなやついないって」
駅に近づくに連れ、喧騒が二人を包む。誠は、駅に接する商業ビルの一階、「LITTLE MERMAID」と書かれた店を指差し、
「見たことない? ああいう店」
「ああ…あるかも。あ、あれってパンのお店だったんだ」
「全然気にしないの? そういうの」
「うん。いちいち何の店とか考えないし」
「そうなんだ」
店の中に入ると、高志は、
「うわ、独特のにおい」
「芳醇だろ?」
「ほうじゅん?」
「ああ、なんでもない」
芳醇はパン専用の単語だったわ、と誠は思う。
「うわ、ぶつぶつのパン」
高志が素手でレーズンパンを掴もうとするのですぐに制し、
「トング使わないと」
取って、トレイとともに渡す。
「そうなんだ、ごめん」
「本当に知らないんだな」
「うん」
高志が見回し、
「ええ、どうしよう…パンていろんなかたちあるんだなあ。あの長いのなに? 鈍器?」
「あれフランスパン」
「あれがフランスパンか! え、あんパンは?」
これ、と指差すと、
「たしかにアンパンマンの顔の感じ…」
あんパンに直接触れようとするので、
「ああ、だからトング」
「あ、そっか、ごめん」
高志はそわそわと周囲を見渡す。
「パン屋って人気なんだなあ」
「まあな」
「誠はなに買うの?」
「エピ」
「エピ?」
「ベーコンエピ」
誠がトングで掴んで見せると、
「凶器じゃん、こわ」
誠は食パンとクリームパン、ベーコンエピ、高志はチョココロネを買い、二人手首にビニール袋をぶら下げて河原を歩く。この辺に座るか、と言って、二人並んで座る。誠が、
「なんかごめんな」
「ん?」
「いまだに意味はわからないんだけど、お前がパンを知らないってことはよくわかった」
高志が、
「いや、俺こそごめん。普通、知ってるんだな」
「ああ、まあな」
二人は川を見つめる。川面は陽光を照り返している。誠はクリームパンを齧る。甘くとろけるようなクリームが口の中に広がる。やっぱりパンは美味い。高志はチョココロネを袋から出し、いろんな角度から見たあと、端っこをちょっと齧る。
「あ、なんか美味しく感じてきた」
「だろ」
「パンて、美味いんだな」
「お前、パン食わないで、朝ご飯なに食べてたの?」
「ご飯に納豆とか」
「あとは?」
「サンドウィッチとか」
「食ってんじゃん」
「え?」
「サンドウィッチ、パンだから」
「そうなの?」
「パンが具材挟んでるのよ」
「え、でもうちのサンドウィッチは、平べったいご飯にきゅうりとか卵を挟んでるやつ」
「なんだよそれ」
「え、ふつうのサンドウィッチってパンなの?」
「そうだよ」
「ごめん」
「お前んちってさ」
「うん」
「もしかして貧乏だったの?」
「ああ。うん」
「そっか」
「親父が早くに死んで。おふくろが女手ひとつで」
「そうなんだ。知らなかった」
「そのおふくろも病気がちで…」
「うん」
「だから俺が稼ぐしかなくて、無我夢中でここまで生きてきた。回りがどんな生活してるか、なに食ってるか、なんてまるで知らなかった」
「…そっか」
「でも同情とかするなよ」
「しねえよ」
二人でしばらく川を見つめていると、夕暮れになっていた。残照が、向こう岸の民家やビルの輪郭をなぞっている。
帰り道、二人はとぼとぼと河川敷を歩く。誠が高志の横顔に、
「なあ」
「ん?」
「おれ、一個お前に隠してたことあるんだ」
「なに?」
「ご飯とパンのパン、って言っただろ」
「あ? うん」
「おれ、みんなが言う、そのご飯てのが、なにかよく分かってないんだ」
「は?」
「うん」
「マジ?」
「うん」
「そんなやついないだろ。お前嘘ついてるだろ」
「いや、マジ」
「給食とかは?」
「わかんない、出てたのかなご飯…どんな感じのやつ?」
「え、白い粒粒の…」
「白い…あ、あれか。あれがご飯か」
「なんで知らないんだよ」
「朝食は?」
「毎日パンだったから」
「え、もしかしてさ」
「お前んち金持ち?」
「ああ、うん。そうかも」
「へえ」
「朝食は基本、パンとフルーツと紅茶だから…」
「マジかよ。え、コンビニとかは?」
「行くけど、おれパンコーナーしか行かないから」
「特殊だな」
「なんか知ったかしててごめん」
「いや、俺もパン知らなかったし…」
しばらく沈黙が流れ、誠が、
「まあそういうこともあるよな」
「うん」
誠が、
「なあ」
「ん?」
「ほか、知らないことある?」
「ほかの知らないことかあ…」
高志は顎を触り、
「なんだろう…」
「おれも言っといて思いつかないわ」
「知らないこと探すのってむずくね」
「な」
「知らないことって、探せないんだな」
「ああ。知らないことを知らないままにしておいたら、それは知ってるってことになるのか?」
「なんだかよくわかんねえな」
「そうだな」
じゃ、今日はこの辺で、と互いに手を挙げる。
帰路、二人の上にオレンジ色の雲が浮かんでいる。誠にはそれがご飯に見え、高志にはそれがパンに見えた。
