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荀子 巻第十二正論篇第十八 9 #2

前回は、栄誉と恥辱には両端があり、自らに起因する「義栄」「義辱」、外的要因からの「埶栄」「埶辱」があるところまで読みました。
続きです。

故に君子は埶辱あるべきも義辱あるべからず、小人は埶栄あるべきも義栄あるべからず。埶辱あるも堯と為るにさまたげなく、埶栄あるも傑と為るに害なし。義栄と埶栄とは唯君子にして然る後に兼ねてこれをたもち、義辱と埶辱とは唯小人にして然る後に兼ねてこれを有つ。是れ栄と辱との分なり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

拙訳です。
『だから君子には(外的要因の)「埶辱」はあっても(自らに起因する)「義辱」は存在しえない。つまらない人には(外的要因の)「埶栄」はあっても(自らに起因する)「義栄」は存在しえない。「埶辱」があっても聖王堯のようになるのに妨げにはならず、「埶栄」があっても暴君桀のようになるのに妨げにはならない。「義栄」と「埶栄」は君子だけが兼ねられ両方を得られ、「義栄」と「義辱」はつまらない人だけが両方を兼ねて有する。このようなことを栄誉と恥辱の分別という。』

聖王は以て法と為し士大夫は以て道と為し官人は以て守りと為し百姓は以て俗を成し、万世もうること能わざるなり。今、子宋子はすなわち然らず。独り容を詘(屈)して己れの為めに一朝にしてこれを改めんとはかる。説必ず行なわれざらん。これを譬うるに是れ猶おまろめたるどろ(泥)を以て江海をふさ■1僥しょうぎょうを以て太山を戴くがごとく、蹎跌てんてつ砕折さいせつすることしばらくをも待たず。二三子の子宋子をみする者は殆どこれをむるにかず、将に恐らくは復た其の体をそこなわん。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

■1→人偏に焦。
一朝→②わずかな間。
塼→②まるい。
塗→②どろ。どろにまみれる。
江海→① 川と海。 入江と海。
■1僥の民→(注より抜粋)楊注にいう、短人、たけ三尺なる者と。
戴く→①頭にのせる。かぶる。また、頭上にあるようにする。
蹎跌→つまずき倒れる。
砕折→くだけ折れる。
善みする→よしとしてほめたたえる。
拙訳です。
『聖王はそれをもって法律を作り、大臣は道理を作り、官人は守るべきものとし、民衆は風俗を作り、永久に変えることは出来ない。今、宋先生だけは違う。独り身を卑屈にして自分の為にわずかな間にこれを変えようと考えている。その考えは間違いなく実現しないであろう。これを例えれば、泥を丸めて揚子江や海をふさぎ、小さな■1僥の民が泰山を頭に載せるようなもので、すぐにつまずき倒れ砕け折れてしまう。二三人の宋先生を良いとして褒め称える人は止めておくが良い。多分またその身を損なうことになるだろう。』

「義栄」「埶栄」「義辱」「埶辱」という考え方が面白いです。
たまたま運よく出世したり、金持ちになったりして「埶栄」を得られるかもしれませんが、自分の心がよこしまであればその「埶栄」は簡単に散逸し、自分に残るのは「義辱」だけとなります。「埶栄あるも傑と為るにさまたげなし」怖いですね~。
たとえ一時は「埶辱」にまみれても、日々精進することで「義栄」に向かいたいです。「埶辱あるも堯と為るにさまたげなし」、励みになります。


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