おでんが黒いよ、お出汁が旨いよ。静岡vol’3『賤機はん兵衛』
静岡旅の夜は、初の静岡市内にて。とりあえず、おでんだろうってことで、有名店である『海ぼうず本店』へ。予約はできないそうで、とりあえず向かう。
さわやかとサウナ以外は、適当にやろうというゆるい旅だったので、こういうノリもまたいい。混雑していたようで本店には入れなかったが、隣にある姉妹店に案内される。
『賤機はん兵衛』という、読めない店名。本店のものがそのまま食べられるとのこと。大きなおでん鍋は本店にあって、外からよく見える。黒いよ、お出汁が。なんか時計のベゼルみたいで、憧れのロイヤルオークを彷彿とさせる(とんだ迷惑だろうが)。

静岡おでんはなぜ黒いのか。ここでお勉強。以下、静岡新聞さんから拝借して。
静岡おでんのルーツ
真っ黒スープに、牛スジ、豚モツ入りの静岡おでん。 そのはじまりは、大正時代にまでさかのぼり、当時廃棄処分されていた牛すじや、豚モツを肉系の煮込みにしたのが、はじめだとされ、また当時から、由比や焼津は練り製品の産地だったことから、黒はんぺんなどの練り製品がおでんの具に使われるようになったと言われている。
黒いスープの秘密
他県民が驚く、あの真っ黒いスープはどうやってできるのか。静岡おでんのベースである、牛スジや、濃い口醤油を入れても、一日ではあんなに真っ黒にはならない。黒はんぺんなどの練り製品を入れることによって色が黒くなるのにくわえて、多くのお店ではスープを捨てずに、鰻屋の秘伝のタレのように継ぎ足して使っているので真っ黒になる。あの真っ黒スープにはその店が醸す長年の時も刻まれている。
静岡おでん街のはじまり
戦後、青葉公園通りには約200台ものおでん屋台が軒を連ねていた。その様は当時、"無敵艦隊"とも呼ばれたほど圧巻だった。夜、仕事帰りにおでん屋台で一杯というのが、静岡市民のささやかな愉しみだった。 その日本一の屋台街が、昭和32年都市開発の名のもと、撤去される運命に。昭和43年にすべてが撤去され、多くの屋台は姿を消したが、一部は青葉おでん街や青葉横丁などに移転し、今もなおその灯りをともしている。
■参考文献: だもんで静岡おでん [静岡新聞社刊] ■取材協力/静岡おでんの会
今回訪れたお店は、こういったその土地に伝わる名物料理をうまくビジネスに昇華させた類の店だ。ここに書かれている、青葉横丁にも行ってみたが、カウンターだけのお店で観光客には相当ハードルが高く感じた(そもそも、12時近くだと、ほぼ閉まってたり)。

おでん全てに串が刺さってる。違和感だ。出汁が黒くて、甘い。お皿の淵に魚粉がパラリ。牛すじ、ちくわ、いとこんにタマゴ、黒はんべに大根。見た目ほど味は濃くなく、甘みがあり、自分好みだ。
肉もうまい。静岡おでんの成り立ちを知ると、肉類はかなり重要な存在。なんせ、出汁の素のなのだから。七味がよく合う。豆腐もしっかり味が染みて、うまい。ちなみにほとんどの串が120円と安い。


驚いたのが、このワカメ。クタクタだがコシのあるワカメに味がしっかり染みて、温かく、度肝抜かれるうまさだった。七味、いい仕事してるよ!!

黒はんべは、目の前で仕上げてくれる。体験もさせてくれる。左官職人のように丸い何かに、元となるすり身を擦り付け、湯に入れる。剥がす時が難しいようだった。とにかく、はんべは茹でたり、焼いたり、フライにしたり、静岡の千両役者。なんでもできる、優等生。


ソースの美味しい街は焼きそばが栄える。静岡というより、富士宮だろうが、とにかく地方に行ってソースが地のものだとアガる。多忙にもれず、ブルドックよりまろやかで、優しい。オニオンリングに豚が加わった以上にうまい「オニオン豚野郎」にトリイソースをドバドバかけて。

サウナでの乾きを取り戻すように、飲んで食べて、サッと出て、歩いて駅の反対側の繁華街へ。前述の通り、静岡おでんの起源に出会えるかと思ったが、遅すぎてやってない&一見さんを寄せ付けない雰囲気により断念。
ディープな食旅じゃなければ、その地方に行って、それっぽいテイストを楽しめればOK。ディープなお店に行くのもいいが、何も予約取らない、フリースタイルな飲みも楽しい。東京だと、なまじ知ってる店が多いから、選ぶにしても前情報が多すぎる。久々にいい店探求センサーがビンビンだ。
がしかし、ほぼ見つからず。てっぺん超えると、そりゃみんな帰るよね。その後は適度に静岡市内をローリンして、ホテルに戻る。
真顔やって、部屋で変顔やって、お休みしました。


