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運が良いと思える考え方──中間管理職の僕が「運」を信じられた理由

あなたは自分自身を運の良い人間だと思いますか?

それとも運の悪い人間だと思いますか?

今回は自分が運の良い人間だと思える

僕にとって魔法の言葉をみなさんに共有したいと思います。

最後まで読んだあと、
あなたが持っている、運の考え方が少し変わっていると思います。




第1章 「今日はついてないな」と思うすべての人へ

「あぁ、今日は本当についてないな……」

そんなふうに思ってしまう日って、
きっと誰にでもありますよね。

大事な局面に限ってトラブルが重なったり、
自分には直接関係ないはずの理不尽な問題の矢面に立たされたり。

特に仕事をしていると、
「なんで自分だけがこんな目に遭わなきゃいけないんだよ」と、

やりきれない気持ちで空を見上げたくなる瞬間は、
決して少なくないはずです。

中間管理職という立場にいると、
その感覚はより生々しく、より重たくなります。

部下が起こしたミスの後始末に走り回り、
上からは「管理能力はどうなっているんだ」と厳しく詰められる。

現場では想定外の火種が次々と上がり、
必死に火消しをしているうちに一日が終わっている。

自分なりに最善を尽くしているはずなのに、
誰からも「お疲れ様」の一言すらない日だってある。

そんな孤独な戦いの中で、
つい「自分は損な役回りだな」と
自嘲気味に笑ってしまう夜もあるかもしれません。

そして、ふと胸の奥にこんな問いが浮かぶ。

「自分って、本当についてない人間なんじゃないか?」

でもこれは、
あなたが弱いからでも、甘えているからでもありません。

目の前の現実を真正面から受け止めればこそ、そう思ってしまう。

それはむしろ、真面目に向き合っている証拠だと思うんです。

僕自身も、これまで大小さまざまな失敗やトラブルを経験してきました。

「呪われているんじゃないか」

と本気で思った夜もありますし、

「なんで今なんだ」

と天を仰いだことも一度や二度ではありません。

仕事でもプライベートでも、

「もう立ち上がれないかもしれない」

と思うような出来事は、正直に言って何度もありました。

それでも、不思議なことに、
僕はそのたびにどこかでこう思ってきたんです。




「自分は、運がいい人間だ」と。

強がりではありません。
成功者のふりをしているわけでもありません。

むしろその逆で、
失敗も未熟さもたくさん抱えながら
それでもなお、心のどこかで

「自分は運がいい」と思えてしまう感覚があったんです。

なぜそんなふうに思えるのか。

それは、特別な成功体験があったからではありません。

自己啓発本を読み漁ったからでもありません。

もっと単純で、もっと根深い理由です。

子どもの頃から、
家庭の中で何度も何度も聞かされてきた
ある一つの言葉が、僕の心の土台になっているからなんです。



「まだこれで済んだんだから、運がいいんだよ」

最初にこの言葉を聞いた時、
正直、ピンと来ませんでした。

むしろ「そんなわけないだろ」と心の中で反発していたくらいです。

でも今振り返ると、
この少し強引にも聞こえる言葉が
僕の物事の見方を根っこから変えていました。

失敗への向き合い方を変え、
トラブルの受け止め方を変え、
そして結果的に今の自分を支える考え方へと育っていったのです。

運というのは、
単なる「当たり外れ」の問題ではないのかもしれません。

起きた出来事そのものよりも、
その瞬間にそれをどう解釈するか。

そこに、僕たちが思っている以上に大きな分岐点が隠れている。

僕は、そう思っています。





第2章 母が教えてくれた「まだこれで済んだ」の世界

僕の生まれ育った家は、
特別裕福な家庭ではありませんでした。

かといって、貧乏自慢をするほど
その日の食事に困るような
極端に苦しい生活をしていたわけでもありません。

ただ、母の体調が優れない時期が続いたり、
家計が常にぎりぎりの状態だったり、
生活のどこかに小さな不安の影が漂っているような、
そんな空気がありました。

子どもながらに、
「うちはよそより少し運が悪いのかもしれないな」
と感じる瞬間が、正直何度もありました。

そんな時、母は決まってこう言うんです。

「まだこれで済んだんだから、運がいいよ」

僕には、その意味がまったく分かりませんでした。

「済んだ」って何が?
生活は楽じゃないし、体調も良くない、
お金だって余裕があるわけじゃない。
それでどうして「運がいい」なんて言えるんだ?

心の中では、
「いや、普通に運悪いだろ」
と思いながら聞いていました。

でも母は、決して冗談めかして言うわけでもなければ、
気休めで軽く流すような口調でもありませんでした。

悲壮感もない。
無理に明るく振る舞うこともない。

ただ静かに、真剣な顔で、
「本当にそう思っている」という確信を持って言っていたんです。

たとえば、家族の誰かが体調を崩して入院した時。

たとえば、予想外の大きな出費で、
楽しみにしていた予定をキャンセルしなければならなかった時。

普通なら「なんでうちばっかり」
と嘆いてもおかしくない場面で、
母はこう続けました。

「これぐらいで済んだんだから、ご先祖様が守ってくれたんだよ。もっとひどいことにならなくて、本当に良かったじゃない」

今振り返ると、かなりスピリチュアルな言い回しですよね。
理屈で考えれば、反論はいくらでもできたと思います。

でも当時の僕は、
その言葉を完全に否定することもできませんでした。

小さい頃から、祖先の話や
「見えない何かに守られている」という感覚は、
自然と家庭の中にあったからです。

そして何より、母の横顔があまりにも真剣だった。

「本当にそう信じている人の顔」だったんです。

子ども心に、こうも思っていました。

「もし本当に守られているなら、それはそれでありがたいかもしれない」

疑い半分、願い半分。

完全に理解はできていなかったけれど、
その「解釈の癖」だけは、
僕の中に少しずつ染み込んでいきました。

もう一つ、母には忘れられない口癖があります。



「人間、なろうと思えば何にだってなれる」

そして必ず続けるんです。

「天皇陛下以外ならね」

子どもの僕には、
そのスケールがあまりにも大きすぎて、
正直ちょっと笑っていました。

「大統領とか世界一の金持ちとか、なれるわけないじゃん」

でも今なら分かります。

母が言いたかったのは、肩書きの話じゃなかった。

「自分で自分を決めつけるな」

「自分は運が悪いから無理だ、なんて言って可能性を閉じるな」

そのメッセージだったんだと思います。

不運に見える出来事を、「まだこれで済んだ」と捉え直す。

そして未来を、「なれる」という前提で見る。

その二つは、実はつながっています。

「自分は運が悪い」と決めつけると、
未来も小さくなります。

でも「まだこれで済んだ」と思えた瞬間、
ほんの少しだけ余白が生まれる。

その余白が、「じゃあ次はどうする?」
という問いにつながる。

特別な教育を受けたわけでもありません。
特別な理論を教えられたわけでもありません。

ただ、日常の食卓や何気ない会話の中で、
母が何度も繰り返していたその言葉が、
僕の中に「当たり前の視点」として根を張っていったのです。

当時は理解できなかった。

でも今思えば、
母は出来事そのものよりも、
「受け取り方の主導権」を手放さない姿勢を
背中で教えてくれていたのかもしれません。





第3章 不運が「ラッキー」に書き換わった瞬間

母の言葉が、単なる「親の口癖」から、
僕自身の「思考の軸」に変わった出来事がいくつかあります。


一つは、高校生の時のことです。

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