『不思議の国のアリス』×『猫にご用心 知られざる猫文学の世界』
「ここじゃあ、みんな気がくるってるんだ。おれもくるっている。君もくるっている。」
「どうしてわたしがくるっているってわかるんです?」アリスは言いました。
「そのはずだよ」とネコ。「さもなきゃ、こんなところに来ないだろ?」
猫がしゃべる小説シリーズ、ということで今回ご紹介するのは『不思議の国のアリス』です。ルイス・キャロルが1865年に発表した奇想天外な物語。
角川文庫版の訳者・河合祥一郎さんが、あとがきでこの小説誕生の経緯を紹介してくれています。
オックスフォード大学で数学講師を務めていたルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンは、学寮長の次女・アリス(当時10歳)たちとボート遊びをしている最中に即興で物語を語って聞かせます。「おはなしを紙に書いて」とアリスにせがまれたドッドソン先生は、自分でイラストまでつけて手作りの本を作ったそうです。『地下の国のアリス』と題されたこの物語が元となり、アリスが12歳のときに『不思議の国のアリス』が出版されました。その後、時代を超えて不朽の名作として現代まで語り継がれている、というわけです。
冒頭に掲げた一節は、アリスがチェシャ―猫と会話する場面。中世の頃は魔女の使いのようなイメージで扱われることもあったらしい「猫」ですが、19世紀は愛玩動物としての地位も確立しつつあったようです。
この世界もおまえも「くるっている」、と言ってニヤニヤしながら消えていくチェシャ―猫。ちょっと不気味ですね。もしかすると中世の悪魔的なイメージも影響していたのかもしれませんが、ぶっ飛んだ展開が続く本作のなかでもチェシャ―猫が出てくる場面は特に薄気味悪い印象です。
アリスがチェシャ―猫と出会うのは公爵夫人の家。この家の中の異様さも挙げていくとキリがないのですが。
「チェシャ―ネコがいつもニヤついているなんて知りませんでした。そもそもネコがニヤつけるなんてこと知らなかったんです。」
「ネコならみんな、ニヤつける」と公爵夫人。「ふつう、ニヤつく」
「ニヤついているのを見たことがないものですから。」アリスは、ようやく会話ができたことにすっかりうれしくなって、とてもていねいに言いました。
なんともとぼけた会話ですが、このあとも会話はかみ合いません。しばらくしてチェシャ―猫は女王陛下のクロッケー場にも現れて処刑台にかけられますが、この猫のキャラクターについてはさまざまな考察がされているらしいので、深堀してみるのも面白そうです。
アリスが最後にたどり着くのは法廷です。「ハートのジャックが女王のタルトを盗んだ疑い」で起訴されたらしいのですが、物語を知らない方はこれだけ聞いてもなんのこっちゃですね。ただ、不条理の極致のような展開の末に「法廷」という現実世界と接続する場所が出てくるのは何とも興味深いです。当時の社会制度・法制度を揶揄しているなど、さまざまな読み解き方があるようですが、確かに最後にアリスが目覚める場面は、「王様は裸だ!」と言っているようでもあります。
一方、『猫にご用心』も最後の場面は猫たちの裁判です。
その時分には、前夜そこにいた猫一同も集っていて、ほかにもおおぜいいたが、あの灰毛の大猫はまだだった。やがてそいつもやってくるとたちまち、座の全員が前夜と同じく猫流の敬礼をする。そして大猫が座り込むと、こんなふうに猫の言葉で切り出したのだ(それがわたしには英語を話しているかのごとく理解できた)
ここで猫が語るのは人間たちの滑稽な姿。人妻が男を家に連れ込んで浮気しているところに旦那が帰ってくる、という現代でもこすられ続けた喜劇の設定が出てくるところも面白いです。間男の睾丸に噛みついて旦那に妻の浮気を知らせようとする猫の姿もまた痛快ですが。猫同士の裁判も不条理の極み。2作を比べて読んでみてください。
アリスの物語は原書を読まないと楽しめないと言われてきましたが、そのおもしろさを日本語で味わっていただけるように努めました。
『アリス』のあとがきでは訳者の河合さんがこのように書かれていました。
たとえば物語の序盤、アリスとけものたちが「涙の池」から脱出してドードー鳥やネズミと出会う場面。アリスはネズミの身の上話がしっぽの形に見えてきます。原作では、ネズミの話は詩になって韻を踏んでいて、詩自体がしっぽの長いネズミの形になっているそうです。角川文庫ではこの部分のテキストが突然しっぽのようにうねり始めるのでぜひチェックしてみてください。
詩の一部はこんな感じ。
ネズミが、イヌにいわく、
「そいつはあまりに迷惑、
陪審員も裁判官もいない裁判なんて、なんの意味もない。」
「どちらもおれさまが演じ分く。」
ずるいフューリーがいわく、
「おれさまがみんごと死刑の判決下しゃ、きさまの命はない。」
言葉遊びもふんだんに盛り込まれた『不思議の国のアリス』、英語や翻訳にご興味のある方は、原書にもぜひ挑んでみてください!
【今日の本】
『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル著 河合祥一郎訳(角川文庫)
『猫にご用心 知られざる猫文学の世界』ウィリアム・ボールドウィン他著 大久保ゆう編・訳(soyogo books)

(ソヨゴ書店 今日の本 その8 おわり)
