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真夏前の果実 | ウティラ島 (ホンジュラス)

「ホンジュラスのウティラ島では世界でいちばん安くダイビングライセンスが取れるらしい」
そんな噂を、ホンジュラスの国境でふと思い出し、せっかくここまで来たのだから、行ってみることにした。

ウティラ島へ渡る船が出る小さな港町に着いたのは土曜日。しかし週末は船が運休で、すぐに島へ渡ることはできなかった。

そして月曜の朝、人でごった返す船着き場で、見覚えのある顔を見つけた。グアテマラで知り合った同い年の日本人だった。
彼の視線の先には、さらにもうひとり、別の街で出会ったこれまた同い年の日本人がいる。
三人は自然と歩み寄り、それぞれが別々の場所で出会い、同じような気まぐれでここに来たことを知った。少し出来すぎたこの偶然を、僕らは軽い調子で「デスティニー」と呼んで笑った。

島に着くと、一緒に宿付きのダイビングスクールに入り、翌日からのレッスンを申し込んだ。
その日は自転車で島を横断し、岩だらけのビーチで遊び、蚊に刺されまくった身体で戻り、夜はサッカーをして、また海に飛び込んだ。
そんな一日の最後に飲んだパイナップルとココナッツのシェイクは、驚くほど美味しかった。

閉店まで居座った店を出た瞬間、島中の灯りが消えた。この島では深夜になると電気が止まるらしい。
暗闇に目が慣れると、頭上には満天の星が広がっていた。宿に戻るまでのあいだに、流れ星をいくつも見た。

翌朝からレッスンが始まった。
十二人の生徒は国も年齢もばらばらで、僕ら三人は彼らに勝手なあだ名をつけていた。いま思えばずいぶんひどい呼び方だったが、三人だけの共通言語を持つことが、単純に楽しかったのだと思う。
朝から夕方までの座学と実習は思った以上にハードだったが、水に入るたびに、新しい感覚が身体にひらいていった。

水面を見上げると、光がきらきらと揺れている。深く潜るほど、その光は遠ざかり、なぜかいっそう美しく見えた。水中に戻るたび、さらに深く潜りたくなっていた。

あっという間に六日が過ぎ、最後の実習はナイトダイビングだった。
夜の海に入ると、上下の感覚が曖昧になり、まるで宇宙に浮かんでいるようだった。ライトを消して手足を動かすと、夜光虫がぼうっと光る。
やがて浮上する。夜は水面の位置がつかみにくく、気づけば顔が水の外に出ていた。
その瞬間、視界に飛び込んできたのは満天の星だった。まるで、今この瞬間にこの世界に生まれ出たような感覚だった。
海と空のあいだに浮かびながら、理由のわからない感謝のようなものが、静かに込み上げてきた。

すべてのコースを終えた翌日は、ただ自由に過ごした。
食べて、泳いで、ビールを飲んで、ハンモックに寝転ぶ。
宿のラジカセで「真夏の果実」を何度も流しながら「いいねぇ」「やっぱり、いいねぇ」などと話していたら、業を煮やした誰かにカセットを取り替えられ、気づけばトランスミュージックが流れていた。
それはそれでよかった。何をしていても楽しかった。

島を出る朝、久しぶりに背負ったバックパックはやけに重かった。
一週間以上、ほとんど海パン一枚で過ごしていたせいで、服を着ることすらどこかぎこちなかった。

船が島を離れていく。
小さな島だった。どこに何があるかも、もうだいたいわかる。けれどこの記憶も、きっとすぐに薄れていくのだろう。

また来たいとは思わなかった。これ以上いても、きっとやることはない。
それでも、もう少しだけ、昨日までのように過ごしていたかった。
そしてその「もう少し」は、終わらなくてもいいような気さえしていた。

一週間ほど前に「デスティニー」を感じたあの船着き場で、僕らはそれぞれの場所へと別れた。

人生をべたに季節にたとえるなら、あの頃の僕らは、ちょうど夏に入った頃だった。
春にはもう戻れないという感覚は、たしかにあった。けれど、それを惜しむよりも、これから訪れる強い光のほうに、心は向いていた。

カリブ海の夏はあまりに暑く、僕らはまだあまりに若かった。
四六時中、疲れ切るまで遊んでいた。

その日々は、記憶の中で、あまりにも甘い。


Utila, Honduras, 1998

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