IHIは「衛星を作る会社」から「情報を売る会社」へ進むのか
by 山口たかえ
日本の安全保障を支えるのは、衛星の数だけではなく、本当に重要なのは、異なる衛星が集めたデータをつなぎ、判断に使える情報へ変える力です。
IHIがフィンランドのKuva Spaceと結んだ新たな覚書からは、日本の宇宙産業が向かおうとしている次の段階が見えてきます。
日本向けハイパースペクトル衛星網を検討
IHIは2026年7月21日、フィンランドの地球観測企業Kuva Spaceとの協力を発表しました。
両社は、日本の国家安全保障と経済安全保障を支えるハイパースペクトル衛星コンステレーションの構築を検討します。農業、水質、森林、海洋環境などへの民間利用も対象です。



ただし、今回の発表は衛星の購入契約ではありません。導入する衛星の数、予算、打ち上げ計画、所有者、主要顧客はまだ公表されていません。日本国内でどこまで製造するのか、IHIがどこまで運用を管理するのかも未定です。
今回決まったのは、実際の調達に向けた条件を両社で検討することです。
ハイパースペクトル衛星は何を見るのか
通常の光学衛星は、人の目に近い形で地表を撮影します。
ハイパースペクトル衛星は、物体が反射する光を多くの細かな波長に分けて観測します。その違いを分析することで、画像の形や色だけでは判別しにくい物質、状態、異常を推定できます。

想定される用途は幅広くあります。農作物の病気や収穫量の予測、水質や海洋環境の監視、森林管理、炭素量の測定、地表物質の識別などです。安全保障分野では、船舶の発見や識別にも使える可能性があります。
Kuva Spaceは、衛星画像にAI解析を組み合わせ、画像そのものではなく、利用者が判断に使える情報を提供しようとしています。
「日本の衛星20機」ではない
今回の発表で誤解しやすいのが、約20機という数字です。Kuva Spaceは、日本、周辺国、周辺海域の約2,000万平方キロを毎日観測するには、次世代衛星Hyperfield-2約20機分の能力が必要だと試算しています。これは、IHIが20機を発注したという意味ではありません。日本が20機すべてを所有するという意味でもありません。検討されているのは、IHIが調達した衛星数に応じた観測能力を確保しながら、Kuva Spaceの世界規模の衛星網も使う「能力共有型」の仕組みです。
Kuva Spaceは、2030年末までに世界で約100機の衛星網を構築する計画を示しています。このネットワークを利用できれば、日本はすべての衛星を単独で整備しなくても、高い観測頻度を得られる可能性があります。
費用と配備リスクを抑えられる一方で、外国企業のシステムにどこまで依存するのかという問題も残ります。

IHIはすでに次の段階へ進んでいる
IHIとKuva Spaceの協力は、今回が出発点ではありません。IHIは2025年11月から、Kuva Spaceの衛星データとAI解析を使った実証を進めてきました。対象には、安全保障、農業、養殖、環境監視、AIS信号を出していない船舶の識別などが含まれます。
同じ2025年11月には、自社の小型ハイパースペクトル実証衛星「IHI-SAT2」も打ち上げました。衛星運用と画像解析の経験を国内に蓄積するためです。
今回の覚書は、単発の実証から、継続的に運用する衛星網と事業モデルの検討へ移る段階だと考えられます。
IHIが目指すのは複数センサーの統合
ハイパースペクトル衛星は、IHIの構想の一部にすぎません。
IHIは2025年10月、フィンランドのICEYEにSAR衛星4機を発注しました。さらに20機を追加購入できる選択権を持ち、需要が確認できれば2029年度までに最大24機のSAR衛星網を構築する計画です。
このほか、英国のSatVuとは熱赤外線、Surrey Satellite Technology Limitedとは地球観測衛星、SpaceDataとはAIやデジタルツインを使ったデータ統合で協力しています。
最終的な構想には、次の観測手段が含まれます。
光学衛星
SAR衛星
ハイパースペクトル衛星
熱赤外線衛星
電波センサー
船舶情報を扱うVDES
それぞれのセンサーには得意分野と弱点があります。
SARは雲や夜間の影響を受けにくく、船や地表の変化を発見できます。光学衛星は、人が理解しやすい画像を提供します。電波センサーは発信源を捉えます。熱赤外線は熱源や活動状況を確認できます。ハイパースペクトルは、対象の材質や状態を詳しく調べます。
例えば、SARでAIS信号を出していない船を発見し、電波データで発信源を探し、光学やハイパースペクトルで船の特徴を確認する、といった使い方が考えられます。
一つの衛星ですべてを解決するのではなく、複数の観測結果を重ねて判断の精度を上げる考え方です。
「日本主導」を決める7つの条件
両社は、日本の「主権的な能力」につながる構想だと説明しています。しかし、日本国内で衛星を組み立てるだけでは、完全な運用主権を確保したとは言えません。
重要なのは、次の点です。
日本が衛星への撮影指示を優先できるか
地上設備とデータ保管場所を日本が管理できるか
生データと解析結果を誰が所有するか
解析ソフトとAIモデルをIHIが管理できるか
技術と知的財産がどこまで移転されるか
日本だけで衛星を保守、更新できるか
外国の輸出規制を受ける部品がどれだけ残るか
これらが明確になるまでは、「主権的能力」は完成した事実ではなく、目標として見る必要があります。
最大の課題は顧客を確保できるか
技術的に実現できても、継続的な顧客がいなければ衛星網は維持できません。
農業、環境監視、炭素測定などの民間需要だけで、安全保障水準の衛星網を支えられるかは不透明です。初期段階では、日本政府や同盟国政府による長期契約が必要になる可能性があります。
また、地球観測データそのものは競争が激しくなっています。IHIは、複数のデータをまとめることで、既存サービスより速く、正確で、判断に役立つ情報を提供できると示す必要があります。


IHIが売ろうとしているのは衛星ではなく、継続的に利用者が判断に使える情報
今回の覚書の発表はIHIの変化を示しています。IHIが目指しているのは、複数の衛星データを合理的に集め、分析し、顧客がすぐに判断できる情報として継続的に提供する事業です。
正式な衛星調達契約、長期購入する主要顧客、日本が所有する衛星数、国内生産の範囲、データ所有権、撮影指示権の条件が明らかになった時、IHIの構想が「日本主導の情報基盤」になるのか、それとも海外技術を組み合わせたサービスにとどまるのかが見えてきます。
参考資料
IHI「ハイパースペクトル衛星コンステレーションの構築でフィンランドのKuva Spaceと協力」(2026年7月21日)
Kuva Space「IHI Corporation and Kuva Space partner to advance hyperspectral intelligence across Japan and East Asia」(2026年7月21日)
IHI「地球観測衛星コンステレーション構築に向けICEYE社と衛星調達契約を締結」(2025年10月16日)※英語タイトル「IHI and ICEYE agree to build an Earth observation satellite constellation」
IHI「衛星データの利活用による新事業創出に向けスペースデータ社と覚書を締結」(2025年10月31日)※英語タイトル「IHI Signs MoU with SpaceData Inc...」

