「逃げるな」と言えるか? 韓国ドラマ『D.P.』が描く苦しみと葛藤
韓国ドラマ『D.P. 脱走兵追跡官』を観たきっかけは、ク・ギョファンという俳優だった。映画『脱走』でのイ・ジェフンとの共演で彼に惹かれ、出演作を探していたところ、本作にたどり着いた。妻からは「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」にも出ていたよと教えられ、見返すと、確かに“あの”子供解放軍の回に彼はいた。印象的な回だったが、あの時は俳優を深掘りしていなかった自分がいた。
一方、主演のチョン・ヘイン。日本の「徹子の部屋」にも出演し、知名度も高い俳優だ。ドラマ『あなたが眠っている間に』では法を守る立場を演じ、最近では『ベテラン』でその雰囲気を一転させる演技を見せていた。そう考えると、彼のキャリアの中で「公務員」「遵法者」といったイメージが一貫して存在しているようにも思う。
兵役という名の閉鎖空間が生むもの
『D.P.』の舞台は、韓国軍における脱走兵を追う任務に就く兵士たちの物語。兵役という制度に疑問を持ったことがなかった日本人の自分でも、このドラマを観るうちに、兵役の過酷さと脱走に至る背景に考えを巡らせるようになった。
韓国における兵役は、形式的には「国防の義務」とされているが、実質的には愛国心と社会的圧力の中で逃れがたいものとなっている。年功序列や上下関係、閉ざされた集団生活、そしてそこに潜む“イジメ”。加害者にとっては単なるストレス発散かもしれないが、被害者にとっては精神を摩耗する地獄のような日々だ。
一度いじめの標的になると、逃れる術はなく、逃げるしかない。その選択を責められるだろうか?しかし、逃げれば「国務を放棄した」とみなされ、追われる立場になる。
正義は誰のものか──追う側の葛藤
この作品が秀逸なのは、追う側の心理にも深く踏み込んでいるところだ。D.P.(Deserter Pursuit:脱走兵追跡官)の任務に就く主人公たち――アン・ジュノとハン・ホヨル。彼らは任務として脱走兵を追うが、その過程で見えてくるのは、逃げた兵士たちの悲痛な背景と心の叫びである。
その一人ひとりに物語があり、時に「この人を捕まえて本当に良いのか?」という疑問が浮かぶ。任務を果たすことで得られる達成感と引き換えに、後悔と罪悪感が残る。観ていて、自分自身も彼らと同じように揺れ動く。
シーズン1と2で深まる構図
シーズン1は個々の脱走兵の物語に焦点を当て、その悲惨な背景に強く心を打たれる。一方、シーズン2では構図がより複雑になり、「なぜこのような連鎖が起こるのか?」というシステムそのものに切り込んでいく。
国家や軍の責任、監督者の立場、制度疲労──そういった要素が加わり、ドラマ全体の視点が広がる。そのぶん演出がやや過剰になった印象もあるが、それ以上に作品としての“問いかけ”は深まった。
結末に残るのは「モヤモヤ」だった
この作品を観終えたとき、スッキリとしたカタルシスは得られない。むしろ、正義とは何か、国家とは何か、人間の尊厳とは何か、という問いがモヤモヤと心に残る。
「いじめていいのか?」「逃げていいのか?」「それを追って、捕まえていいのか?」「見て見ぬふりをした者の責任は?」
これらの問いは、作中の登場人物たちだけでなく、観る側にも突きつけられている。
まとめ:ドラマ以上の「社会の鏡」
『D.P.』は単なる兵役ドラマではない。これは、現代社会に生きるすべての人が持ちうる“逃げ場のなさ”と、その中での“選択の重さ”を描いた作品だ。
久しぶりに、考えさせられるドラマだった。
そして、モヤモヤを抱えることで、自分の正義と向き合うきっかけになった。
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