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【韓国ドラマ】途中で離脱した妻と、最後の30分でガチ泣きした僕。『ウンジュンとサンヨン』が仕掛けた愛憎の罠

キム・ゴウン/パク・チヒョン W主演『ウンジュンとサンヨン』。中盤のイライラ展開に耐えかねて離脱した妻と、最後の30分でガチ泣きした僕。死という絶対的な終点だけが持つ、人間の愛憎をすべて無に還す圧倒的なクレンジング作用とは。エンタメで人生の「感情の地図」を広げる、アラフィフ外資ITマンのドラマレビュー。

僕の毎晩のルーティンは、どんなに仕事が忙しくても韓国ドラマを観ることだ。外資系IT企業でデータの安全やリスクと向き合うシリアスな日々を送っているからこそ、夜のひとときは完全に「遊び場」としての余白にしたい。

5月の1本目は、直感で選んだ『調査官ク・ギョンイ』だった。

ミステリーを期待したら、想像以上に哲学的でシュールな怪作。その濃烈な余韻を中和すべく、もう少し地道なヒューマンものを求めて手を伸ばしたのが、この作品だ。

『ウンジュンとサンヨン』

何より、『トッケビ』や『シスターズ』で圧倒的な存在感を放ったキム・ゴウンの主演作だ。観ない理由がない。

結論から言おう。

僕は最後の30分、画面の前でガチで泣いた。

それは単純なお涙頂戴の「悲しい」ではない。もっと複雑で、静かで、腹の底に重い何かをドスンと受け取ったような、そんな涙だ。

ここから先は容赦なくネタバレを含む。未視聴の方は、覚悟して読み進めてほしい。


🎬 終わり良ければ全て良し:秀逸に計算されたプロット

正直に告白する。このドラマ、中盤の展開はかなり平凡というか、極端な言い方をすれば「くだらないイライラの連続」に感じられた。

実際、隣で一緒に観ていた妻は、途中で耐えきれずに視聴を離脱したほどだ。

リアリストな妻の目には、本作の人間関係が「極めて限定的で、学生時代の延長線上に終始している」ように映ったようだ。特に彼女が強い不快感を抱いていたのが、恋愛に偏重するあまりプロ意識を欠いたビジネスシーンの描写である。

象徴的だったのが、学生時代から先輩を想い続けてきたサンヨンの態度だ。仕事中、発言しているその先輩を常に目で追い続けている姿に、妻は呆れ果てていた。「仕事そっちのけだし、さすがに恋愛描写がやりすぎ。ここは職場なのに……」と。 心理描写の在り方を含め、公私のケジメがつかない生ぬるい描き方は、彼女にとって到底受け入れがたいものだったらしい。

そのストレートな批判は的を射ており、至極真っ当なものである。

しかし、これこそが脚本家の掌の上で転がされていた証拠であり、完璧に計算されたプロットだったと、僕は後から解釈した。

物語の構造を因数分解すると、現在と過去が美しく二分されている。

  • 現在①:ウンジュンがサンヨンに10年ぶりに再会する

  • 過去①:ふたりの小学生時代

  • 過去②:中学生・高校生時代

  • 過去③:大学生ライフ

  • 過去④:映画業界での社会人生活

  • 現在②:サンヨンの最期の旅立ちに連れ添うウンジュン

ここで見落としてはならない大前提がある。作中で描かれる「過去の回想」は、テレビドラマの脚本家であるウンジュンが、まさにいま執筆している「ドラマの脚本」という体裁をとっている点だ。

つまり、僕たちが目撃する過去の大部分は、あくまで「ウンジュンの主観というフィルターを通したサンヨン」の姿なのだ。

ウンジュンは、現在①でサンヨンと再会するまで、この脚本を過去①の段階で止めていた。筆を折っていたのだ。なぜか? 彼女にとってサンヨンという存在は、あまりにも複雑で、心の奥底に厳重に蓋をしておきたい記憶の塊だったからに他ならない。

🎒 好きと恨みが同居する、狂おしいエネルギー

過去を精査していくと、ふたりの愛憎の振れ幅は成長とともに肥大化していく。

過去①の小学生時代は、転校してきたサンヨンの洗練された暮らしぶりに憧れるところから始まる。だが、学級委員だったサンヨンに棒で叩かれた小さな恨みから、ウンジュンはドッジボールで彼女を狙い撃ちする。この時点で、すでに「憧れ(愛)」と「恨み(憎)」が同居している。

ここまではまだ、可愛いものだ。だからウンジュンもすんなり脚本に書けた。問題は過去②以降だ。

  • 過去②:サンヨンの兄から学ぶ喜びと、その兄の急死によるサンヨンの突然の失踪(喪失感)

  • 過去③:再会と共同生活の喜び、そしてウンジュンの恋人を巡る人間関係の怨恨

  • 過去④:自分の映画作品をサンヨンに奪われたという決定的な憎悪

妻が指摘した「狭すぎる人間関係」の不快さは、まさに過去③や④の泥沼でピークに達する。 時間が進むにつれて、ウンジュンの心の中では、愛情のメーターを憎悪のメーターが完全に追い抜いていく。

作中でウンジュンは母親にこう言い放つ。

ウンジュン「恨んでない。ただ嫌いなだけ。」(미워하눈 게 아니라 싫어하는 거야, 나는.)
母親「同じだよ。」(뭐가 달라?)
ウンジュン「違う。嫌いな人は頭に残らないからいいけど、恨んでると残るから、つらいの。」(달라. 싫어하는 건 생각이 안 나서 좋은 거고 미워하는 건 생각나서 힘든 거야.)

『ウンジュンとサンヨン』エピソード14から

この言葉の本質は逆だ。そう口にせざるを得ないほど、彼女の脳内はサンヨンへの強烈な憎悪で占拠されていたのだ。かつての親友への情があるからこそ、その醜い感情を必死に心の奥底へ押し込んでいた。

視聴している僕たちは、この大学の先輩を巡る泥沼や、執拗に絡み合う二人のグツグツとした不快な感情を、これでもかと見せつけられる。だからイライラするし、僕の妻のように「もう観てられない」と離脱する人間が出るのも無理はない。

しかし、現在②に至り、物語のベクトルは急反転する。

🧽 「死」という絶対的なクレンジングが洗い流すもの

現在②で、ウンジュンはようやく我に返る。サンヨンが秘めていた、ウンジュンに対する本当の気持ちを知るからだ。

周囲から愛される人気者だったウンジュンに対し、成績優秀で派手に見えたサンヨンは、その実、徹底的に孤独だった。そんなサンヨンが、生涯で心に留めていた人間は指を折るほどしかいない。そしてその筆頭にいたのが、ウンジュンだったのだ。サンヨンにとってもまた、ウンジュンは眩しすぎる憧れであり、同時に激しい憎悪の対象だった。

全く同じ歪んだ感情を抱き合っていたふたり。その凍りついた心を溶かしたギミックこそが、皮肉にも「死」である

死を前にして、あらゆる俗世のディテールは無に還る。

どれほど執念深く抱えていた積年の恨みも、金銭のトラブルも、ちっぽけなプライドも、死という絶対的な終点の前では、驚くほど静かに、綺麗さっぱりと洗い流されてしまう。

あとに残るのは、ただ「この人が確かに僕の世界に存在し、生きていた」という純度の高い事実だけだ。

分かり合えるはずのふたりが、長い時間をかけて恨み合ってきたことは、客観的に見れば猛烈にもったいない。ウンジュンの母親が諭したように、もっと早く仲直りすべきだったのだ。

でも、それができなかったのが不条理な人間という生き物だし、逆に言えば「今この瞬間」でなければ、ふたりは絶対に交われなかった。なぜなら、サンヨンは自らスイスでの安楽死という旅立ちを選択したからだ。

綺麗事ではない紆余曲折を経て、物語はサンヨンの最期とともに、最大級のカタルシスを迎える。ウンジュンは逃げずに、彼女の死に立ち会った。それは、自分の人生において「後悔しない選択」を掴み取った瞬間でもあった。

僕が流した涙の理由は、観終わった後もしばらく考えていた。

おそらくそれは、「人は死ぬ瞬間に、初めて虚飾を剥ぎ取られ、本当の姿になる」という、人類が忘れてはならない古い真実に、真正面から触れてしまったからだと思う。

🚀 おわりに:感情の地図を手に、次の実験へ

現実の世界において、一度致命的に壊れた関係を修復するのは至難の業だ。膨大な時間、狂気のような勇気、そして運の要素まで必要になる。コストパフォーマンスが悪すぎるから、普通の人間は途中で諦めてアカウントをブロックするように縁を切る。

でも、このドラマは「死」という極限の舞台装置を使って、ひとつの極端で、かつ純粋極まりない「和解の形」を僕たちに提示してくれた。

ドラマを通じて他者の壮絶な人生を追体験することは、自分とは違う「感情の地図」を手に入れることだ。これだから、夜のドラマ視聴という社会実験はやめられない。

愛憎の先にある静かな許しと、生と死の尊厳。『ウンジュンとサンヨン』が僕の心に刻んだこの発見を胸に、さて、次は何をディグりに行こうか。

世界は真剣勝負の場であり、まだまだ広い遊び場だ。




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