タバコ、食堂車、そして50歳の田村正和。僕が『警部補・古畑任三郎』でタイムトリップした1990年代のリアル
【脳内デバッグ完了】韓国ドラマに食傷気味のアラフィフが、30年前の『警部補・古畑任三郎』全31話を一気見。今の大人の目で観直して気づいた、古畑が犯人を「システム検知」する瞬間と、1990年代の役者たちの衝撃の年齢バグについて語ります。世界は遊び場だ!
毎晩、韓国ドラマを観ていた。
観ている、ではなく「観ていた」と過去形にしたのは、久しぶりに日本のドラマの打席に戻ってきたからだ。
韓国語の勉強(TOPIK6級挑戦という泥臭い実験)のために始めた韓国ドラマ鑑賞も、気づけば3年目。今や完全に主従が逆転し、ドラマを120%楽しむために韓国語を学んでいるような状態だ。
つまり、エンターテインメント自体が僕の日常の「余白」として完全に定着していた。
だが、流石に80本を超えたあたりで、僕の脳内は「韓国ドラマシフト」に強化学習されすぎてしまったらしい。次に何が起きるか、プロトコル(予定調和のお約束)が手に取るように分かってしまうのだ。
男女が歩いている最中にスリップすれば、それは恋の始まり。不利に陥っていた主人公の仲間が急に勢いづいて祝い酒を始めれば、100%事件が起きる。少し長めの運転席シーンが続けば、言わずもがな交通事故だ。
頭に叩き込まれたこのスクリプトに、4年目の初夏、僕は若干の食傷気味を迎えていた。
「よし、気分転換に日本のエンタメに帰ってみよう」
そう思い立ったのは、あの伝説のドラマ『警部補・古畑任三郎』がNetflixで配信されたからだ。
懐かしすぎる。脚本・三谷幸喜、主演・田村正和。第一回の放送は1994年4月13日だそうだ。なんと30年も昔の話である。
当時の僕はまだ二十歳前。家に「PC-9801 DX」がやってきて、少しずつパソコンというテクノロジーに馴染み始めていた時期だ。そんなノスタルジックな記憶に誘われ、視聴を開始した。
ちなみにNetflix版はシーズン1から3までで、スペシャル版や一部の回(木村拓哉氏や津川雅彦氏のゲスト回)は権利関係で配信されていない。本来なら全ファイルをパッチ完了してからレビューしたいところだが、まずは配信分31話を一気見したインプレッションを、ストレートに共有したい。
🕵️♂️ キャラクターの確立:古畑任三郎という「ロックオン」の会話劇
額に手を当てて考え込みながら、じりじりと犯人を追い詰めていく。これが古畑任三郎の基本アルゴリズムだ。
誰もが『刑事コロンボ』を連想するだろうが、三谷幸喜氏自身もコロンボのような知的エンターテインメントを日本でやりたかったと語っている。
振り返りますと、ずっと好きな事をやってきました。 子供の頃、アメリカのTVドラマ、特に刑事コロンボが好きでした。そうしたら、僕よりも刑事コロンボが好きな石原隆さんというプロデューサーと出会い、コロンボのような知的エンターテイメントを日本のドラマでも出来ないかと相談して始めたのが、「古畑任三郎シリーズ」です。
ミステリーでありながら、真犯人は最初から視聴者の前に提示されている。通常の推理モノは、作家が後出しするトリックや情報に僕たちが踊らされるわけだが、このドラマにそのストレスはない。
ここで踊らされるのは、視聴者ではなく「犯人」だ。
物語を動かすのは、捜査令状ではなく古畑と犯人との間で交わされる「会話」である。古畑はあの独特のしつこさで、犯人のパーソナルデータに深く侵入していく。目星がついていても、途中の段階では絶対に直接言わない。
この絶妙な「匂わせ」が、犯人を苛立たせ、焦らせ、自滅へとドライブしていく。古畑任三郎の本質は、ミステリーの皮を被った「極上のシチュエーション・コメディ」なのだ。自分が喋るたびにボロを出していく犯人たちの姿は、まさに「沈黙は金」の証明であり、滑稽ですらある。
そして、古畑というキャラクターのバグのような茶目っ気。
捜査中はシリアスな顔をしているくせに、ノーネクタイでサスペンダー、そして移動はなぜか高級ブランド「セリーヌ(CELINE)」の限定シティサイクル「シルエット セリーヌ」を乗りこなす。
普通の刑事なら覆面パトカーに乗るところを、あえてチャリ。エコやCO2削減を意識していたのだとすれば、凄まじい先見の明だ。さらに、スイーツをこよなく愛する甘党ぶり。
その反面、部下の今泉にはとことん冷酷で、現代なら一発アウトのパワハラ上司、あるいはサディスト、最悪サイコパスの領域である。だが、人の感情の機微を完璧に読み取る男だからこそ、そのギリギリのラインがチャーミングさに昇華する。
この唯一無二のキャラクターを完全に憑依させた田村正和氏には、脱帽するしかない。噂によれば、彼は撮影現場に「古畑のまま」車で現れ、終わると楽屋に寄らずそのまま帰っていったという。これぞプロフェッショナルの役者魂だ。
🎭 最高のエンターテインメントとしてのユーモア
三谷幸喜氏のユーモアのセンスが、全編にわたってこれでもかとシステム実装されている。
セリーヌでの登場、向島(東国原)巡査への執拗な名前の聞き返し、今泉へのデコはたき。さらに、シーズン1の第1話の犯人(小石川ちなみ)のサブストーリーが後々まで響いてきたり、あの有名な「赤い洗面器の男」の小話が忘れた頃にプラグインされたりと、長期視聴者をニヤリとさせる伏線回収が実に見事だ。
そして極めつけは、西村まさ彦氏演じる今泉のリアクション芸。
もはやドラマの演技というより、上質なショートコントのノリだ。分かっていてもうっかり笑ってしまう。平素、ドラマの評価に関しては僕よりはるかに辛口な妻。そんな妻でさえ、今泉のあの情けなくも愛嬌たっぷりなキャラクターの魅力には抗えなかったようだ。展開を知っているはずなのに、彼が画面に映るたびに自然と顔をほころばせていた。
また妻は、「ここまで登場人物それぞれのキャラクターがブレることなく徹底して描かれているドラマは珍しい」と評していた。
殺人事件というシリアスなバグを取り扱っていながら、極上のコメディとして成立させているのは、三谷氏の絶妙な味付けの賜物だろう。
📺 4:3の画角が呼び覚ます、1990年代という異世界
僕にとって今回の視聴は、1990年代という過去へのタイムトリップでもあった。
まず、画面の画角が真四角(4:3)だ。テレビの両サイドに黒い帯が表示されるだけで、一気に昭和から平成初期の空気が流れ込んでくる。
作中に登場するガジェットも、30年前の仕様だ。
固定電話の受話器、カセットテープを使った留守番電話の録音機能。携帯電話はまだガラケー以前のモデルで、シーズン3のラストでようやく「着メロ」が登場するレベル。
特急列車のシーンでは、なんと「食堂車」が営業している。今や絶滅してしまった文化だ。
そして何より、誰もがどこでもタバコを吸っている。オフィスでも、ホテルでも、プカプカと煙が上がっている。この30年で、社会のインフラもコンプライアンスも激変したのだと痛感させられる。
最も衝撃を受けたのは、役者たちの「年齢」だ。
主役の田村正和氏は2021年に逝去されてしまったが、1994年当時は50歳。まさに今のアラフィフである僕とほぼ同年代だ。そう思ってゲスト陣の当時の年齢を追いかけてみると、驚きのデータが弾き出された。
堺正章氏が47歳。古手川祐子氏が34歳。笑福亭鶴瓶氏が42歳。明石家さんま氏が40歳。
……嘘だろ? 正直に言って、今のアラフィフの僕たちより、遥かに「老けて」見える。
これは現代人が健康管理や紫外線対策に課金している証拠かもしれない。当時はタバコが標準装備で、食生活のアップデートもこれからの時代だ。老けるのが早かったのも納得である。ちなみに、シーズン2には当時18歳の松たか子氏が出演している。なんだか初々しくて眩しかった。
🎯 30年目のデバッグ:古畑はどこで「エラー」を検知したのか
学生時代、リアルタイムで観ていた僕は、単に古畑が犯人を追い詰めていくプロセスを無邪気に楽しんでいた。
今の大人の目で観返すと、トリック自体には無理難題が多いし、犯人たちの行動は完全犯罪からは程遠い、衝動的で杜撰なものばかりだ。
しかし、今回の再視聴で僕が最も興奮したのは、「一体、古畑は最初のどの瞬間に、相手を犯人だとシステム検知(ロックオン)したのか?」というデバッグの視点である。
視聴者は最初から犯人を知っているが、作中の古畑は初対面のはずだ。だが、ドラマはその「ファーストコンタクト」を非常に緻密に描いていた。
多くのケースで、犯人はうっかり「一次情報」を口にしている。犯人しか知り得ない事実を、最初から知っていたかのように喋ってしまうのだ。あるいは、現場の些細な違和感から「事故ではなく事件だ」とエラーを検出している。この初期フラグを探す作業が、たまらなく面白かった。
ハングル検定を終えてからの2週間、僕は完全に韓国ドラマのタイムラインから離れ、古畑任三郎のログを漁り続けていた。
古い時代への時間旅行(基本への「帰る」)は十分に満喫した。
さあ、そろそろ僕の主戦場である、あの泥臭くも愛おしい韓国ドラマの沼へと足を戻そう。
皆さんは『警部補・古畑任三郎』を今観直したら、どんな「発見」があると思いますか?
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それじゃあ、また。
The world is a playground!(世界は遊び場だ!)
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