「平壌へ至る道」(6)
核心階層は戦前からの労働者、抗日パルチザン、朝鮮戦争遺族等の純粋なプロレタリアートで、かつ金日成とその息子の熱烈な支持者であると認められた者から成り立ち、朝鮮労働党への入党資格や、平壌等の都市居住権は、同階層者のみに与えられる。
動揺階層は中農、小工場主、政治犯およびその家族、朝鮮戦争時に南へと渡った者の親族、中国や日本からの帰国者などで、思想改造の必要ありと認定された成分のグループ。
そして敵対階層は元地主、資本家、反動官僚、戦前日帝の政府機関で働いていた者、親米思想の持ち主、キリスト教徒、仏教徒など、収容所の中でその生涯を過ごすよう義務づけられた層。
これらのカーストは更に細分化され、五十一もの身分が今日に至るまで存在する。これが「全人民が等しく平等である」共和国の現実で、結局のところ政権にとって維持しなければならないものは、金日成・正日親子の支配体制、核心階層の安寧な生活、それらを守る器としての平壌、の三点に過ぎず、地方に住む動揺階層・敵対階層が飢えようが死のうが政府の預かり知るところではない。彼らの平壌への流入さえ防げれば、それでいいのである。
そうした背景により、出身成分の低い者の「公民登録証」では平壌に近付くことは実質的に不可能だった。
しかし、そうしたミーティングは、「委員会」メンバーにあの閉ざされた国に関する知識を増やさせる効果の他は、ただ二回分の時間的浪費と精神的消耗を積み重ねさせただけだった。
誰を送るか、が決まらない。
四カ月が経った。
委員会の継続を半ば諦めかけていた伊勢や朴に招集連絡が入り、師走に入って開催された、三回目の会合。
「候補者が見つかりました」
議長の紅潮した顔と、微かに上擦った声色に、伊勢も朴も乾いた息を呑み込んだ。
「これから話す内容は他言無用です。私の職業は察しておられるでしょうが、映画でよく見る拷問シーン、あんなものは完全な虚構であるということはお伝えしておきます。実際に拘束された人間は年齢性別職業に関係なく、驚くほど簡単に口を割りますし、生爪を剥がすまでもありません。あなた方も例外ではないと自覚しておいてください。そしてその上で、それでも絶対に喋ってはいけない物事が世の中にはある、ということも覚えておいてください。これからお二人のお耳に入れるのは、そうしたフィールドに属する話です」
そして議長は続けた、依然として頬を染めたまま。
「先日、大阪の『牧師』から手紙が届き、昨日彼を再訪してきました」
『牧師』とは、大阪市某所にあるプロテスタント系伝道所の宣教師で、朴の紹介を通して議長がコンタクトを重ねていた男だった。
前職、指定広域暴力団構成員。
「ミッション・バラバのようなもんですわ」
元ヤクザたちのクリスチャン集団、ミッション・バラバは、キリストがポンテオ・ピラトの裁きを受けて磔刑に処された際、換わって牢獄から釈放された犯罪人バラバをその名称の由来としており、自分たちの体験談を全国行脚しながら伝える一風変わった福音伝道師の集まりとして、当時耳目を集めていた。
人命の価値がヘリウム並に軽い業界で切った張ったの日常を過ごしていた極道あがりが「転職先」として宗教の世界に足を踏み入れる例は、実のところ少なくない。しかし新たな職業や身分を手に入れても、宿命的についてまわる前職のしがらみによって、結局は日陰の道を歩み続けなければならない者もまた少なからず存在する。そうした「もう一人のバラバ」が、大阪の通称『牧師』だった。
「彼は大阪に散らばる在日等のゴロツキの、いわば精神的な拠り所です」
その半年前、第一回目の「委員会」翌日。
議長は朴から聞いた伝道所の電話番号をダイヤルし、その夕刻、大阪の『牧師』宅を訪ねた。
「いらっしゃい」その全身からみなぎるオーラは強烈だった。
容疑者との対峙。それこそが議長の二十五年に渡る生活の糧だった。取調室に入った連中は、その犯罪の種類や重軽に関係なく、一様に自らを「特別なもの」として捉える傾向で共通していた。「自分たちは世の中の圧倒多数の凡庸な奴らができなかったことを成し遂げたが故に、今ここにいる」という意識が、彼らの精神的アイデンティティの主幹を成していた。
そうした者たちの自意識を剥ぎ取る術に関して、議長の右に出る者はいなかった。自分がいかに無意味、無価値な存在であるかという認識を、ある場合は一気に、別の場合は玉葱の皮を一枚ずつ剥がすようにゆっくりと、彼は机を挟んでスチール椅子に座る相手に上書きさせた。
自尊心の崩壊した犯罪者を見るにつけ、彼の中で人間の脆さへの軽蔑と、自身の業務能力に対する過信が芽生えるのは当然の帰結でもあった。
娘の喪失が、全てを一変させるまでは。
その日を境に、高度なゲームのように相手の胸の内を解体していく作業は、簡単に襟首を掴み、頬を平手打ちする暴力に取って代わられた。県警に苦情が舞い込み、人権系弁護士の一人がそれを嗅ぎつけた。
優秀な刑事だった頃、机を挟んで睨み合い、嘲笑し合い、時に妙にウマが合いさえした、そんな犯罪者たちと、『牧師』はどこまでも違っていた。
法衣の上からでも分かる筋肉の盛り上がりを逆に恥じているような彼の、その目線から伺えるものは何一つとしてなかった。目前の相手への敵意はおろか興味すら伺わせない、そのような眼を持つに至るまでの修羅場すらも、想像し得ないものだった。
議長はまず感じた。刑事と容疑者という立場で、この男と視線を合わすことがなくて本当に良かった。
「電話でお伺いしましたが」
『牧師』の口調は穏やかで平板だった。「無理難題をお持ちになりましたな」
議長はその時点で、「元山に幽閉されている日本人漁師を奪還する人材を探している」としか明かしていなかった。建造物破壊云々を口にすれば、相手は伝道所の門を開こうとはしなかっただろう。
漁師の奪還、それすら『牧師』には「無理難題」なのだった。
「あなた以外にこのような依頼をできる相手を私は他に知りません」
「今日初めて会う私を買い被りすぎでは?」
「朴さんたっての推薦です。彼がこの人しかいない、と言えば、私はそれを信じますし、もとより我々には他の手段がありません」
一瞬見えた白い歯は、すぐに引っ込んだ。「過度な期待は禁物です。解釈によっては私の職業倫理にも反する話ですから」
「重々承知しております」
「期限は?」「半年」
「それを過ぎれば?」「更に半年」
そして数日前、議長は「牧師」から、北欧の小さな木造教会が写った絵葉書を一通受け取った。
そこには、救世主来たり、とだけ書かれている。
議長は説明を続けた。
「候補者の名は鄭相慶、二十八歳。大阪の京橋で朝鮮式合気道をアレンジした喧嘩術を教えて生計を立てております―おりました。朴さん、名前だけでも聞いたことは?」
朴は首を横に振った。
「朝鮮民族の典型例のような男です。侠義心に厚く、メンツを重んずる。民族高校時代は一年の時、既に学内ヒエラルキーの頂点に立っていたそうです。朴さん、これは絶対的な上下関係が支配する民族高校では異例のことだそうですな?」
元総連の男は頷いた。
「そうは言っても、表立って上級生を挑発することはなく、逆にそうした同級生を窘める側だったようです。よその不良生徒からの因縁にも応じず、俺と闘いたいならマイク・タイソンぐらい連れてこいやというのが当時の彼の口癖で、これだけ聞けば血気盛んな若者の青臭さと一笑に付せるのですが、周りの取り巻きたちはそれを嗤うことなく、それだけの力量を彼の中に本気で信じていたようです。高校三年の時、同級の女子生徒のチマチョゴリがカッターナイフで切られる、という事件が起き、その後一週間、彼は事件のあった駅周辺で聞き込みを行いました。殺気だった同級生たちが歯がゆく思うほど、丁寧な態度だったそうです。そして犯人が判った直後、彼はその者の高校に向かいました。相手は大阪でも有数の進学校の生徒でした。平日の昼間に校舎に入り、大声で相手の名前を呼び続け、止めに入った教師を合計七人、倒しました」
朴が嘆息した。その話なら知ってますわ。確かそのうちの一人は、柔道全日本選手権出場経験を持つ体育教師だったはずです。
「その通り」議長は応じた。柔道の全日本に出場するというのは、言わばバケモノです。そのバケモノを、相慶は一撃で失神させました。
そして首筋に手をやる。
「彼の身長は一七〇ありません。それが候補者候補とした理由の一つでもある訳ですが、そんな彼の手刀が身長一八〇センチ体重百キロ超の頚動脈を正確に捉えた。あながちタイソンとやっても、とファンタジーを持ってしまうような男ではありますな。そのままチマチョゴリを切った生徒の前まで来た相慶は、無用な暴力を避けたのか、ただ相手を見下ろしただけで、そのままその学校を後にし、待っていたパトカーに大人しく乗り込みました」
「暴力を避けた訳じゃありません」と朴が割って入った。
「これも仄聞ですが、相手が小便を漏らすのを見て、充分にこの男のメンツは傷つけることができたと判断し、そのまま相手に指一本触れずに終わらせたんです」
「そういうことでしたか。ともかく建造物侵入、傷害、恐喝の現行犯だった彼は、しかしその夜には放免されました。進学校側も被害届を出さず、110番通報したのは勘違いだった、彼は正当な用件があって我が校に遊びに来た生徒で、こちらが早とちりしただけでした、と。彼らにしてみても自分の生徒がしでかした行為を表沙汰にはしたくない、という計算もあったのでしょうな。結果的に事件はなかったものとして処理され、彼を慕う金魚のフンは更に長くなり、その頃から彼は同級生や後輩に喧嘩術を教えるようになります。『牧師』の伝道所も時折使用していたそうですが。その時から安いながらも月謝は取っていた。彼にとって格闘技とは友人から教わるから無料で良かろうという認識で習得するものでなく、何がしかの対価と引き換えに覚えていくもの、だったそうです。集めた月謝で時折、焼肉屋で盛大に皆に奢り、毎回彼の持ち出しがあったそうです」
朴が相槌を打つ。「高校卒業後は自分の道場を開いたはずです」
