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「平壌へ至る道」(3)

 その後二人は再会した。偶然ではなかった。
 小男は別の集会を通して知己となっていた別の男に、石川の海岸町でのエピソードを伝えていたのだ。
 相手は乗ってきた。「彼」をもう一度探し出してみよう。突拍子もない計画には、多少イカれた人材からの意見も有用だろう。
 彼らは北朝鮮による拉致被害をテーマにしたあらゆる集会に、その規模の大小に関わらず顔を出した。「彼」もきっとそこに現れるはずだ。
 二ヵ月後、新潟で開かれた拉致被害者集会。夏の浮かれた空気に背くように集う面々の中に、その男はいた。
 
「またお会いしましたね」小男はそして続けた。後で食事でもどうですか?
 ツイードの男は、二十五度近い気温に自分だけが気づかなかったと言わんばかりに、前回と全く同じ服装だった。声をかけてきた相手に一瞥も与えることなく、無言で会場に入っていく。
「どうですか?」
 小男は同行していた、一見暴力団員風の男に尋ねた。
「ええですな。確かにある種の狂気を感じます」
「警察関係者でしょうか?」
 公安、という懸念もなくはなかった。しかし男の切羽詰った顔は、一連の失踪事件関係者のものにしか見えなかった。二人とも人生の辛酸をそれなりに舐めてきた。人を見る目にはある程度の自負もあった。
 左翼系新聞の社説を焼き直したような論調に終始した石川での集会に比べれば、新潟の会議は多少実践的で、食糧支援の停止や北への送金を担う金融機関への圧力について論ずる演者もいたが、ツイードの男は相変わらず微動だにせず、拍手もしなければハンカチで目尻を拭うこともなく、今日もまた途中で席を立った。
「おい、出るようやで」
 小男とヤクザ風の男は玄関に急いだ。ガラス扉を開けて外に出る。
 夏の陽射しが地面を焼き、陽炎のように揺らめく空気の向うには誰もいなかった。まだ遠くへは、と周囲を見渡したが、やはり人影はなかった。
「何か御用でも?」男は背後から近づいてきた。
「あ、いや、私たちは―」小男の方は度を失ったままだったが、ヤクザ風情はすぐに態勢を立て直した。「お話したいことがあります」
 相手の沈黙を首肯と判断し、そのまま二人は無言で通りに出て、近づいてきたタクシーに乗った。ツイードもついてきた。
「簡単に尾行を撒かれました。いや、おみそれしました」
 額の汗を拭きながら、ヤクザ風の男はおもねるように口を開いた。
「あれで尾行のおつもりで?」
「まあ素人ですさかいに。そちらは本職の方ですかな?」
 ツイードは何も答えなかった。

 新潟駅近くの料亭で三人は車を降りた。
 最奥の六畳間。まず小男が名刺を差し出した。「伊勢と申します」
 名刺には糸魚川市にある水産会社の情報と、「常務取締役」の肩書が記されている。
「朴と申します。現在長野県内の旅館で働いとります。諸事情により名刺はありませんが、ご理解ください」とヤクザ風の男が続いた。
 ツイードは依然として黙したままだ。朴が顔を上げ、目だけで促した―失礼ですが?
「私の経歴、ですか?」ツイードはそう問い、そして続けた。
「一方的に誘ってきて、一方的に自己紹介してくる相手に、なぜ私が合わせねばならんのです?まずはあなた方の目的をお話し頂くのが筋ではないですか?」
 一瞬で頬を紅潮させた朴を押さえるようにして、伊勢が答える。
「仰ることはもっともです。但し一方的ついでに図々しいお願いではありますが、私たちの目的に賛同されない場合、話自体をこの場でお忘れください。今後どこかで我々が出会うことがあっても、その時はお互い赤の他人です。宜しいですか?」
 男は皮肉っぽく唇をゆがめた。
「宜しいか否かも、話を聞いてからです。あと朴さん、あなた名前から判断するに、半島出身ですか?どうして半島の方々てのは、どいつもこいつもそんな簡単に頭に血が上るんでしょうね」
 朴は目を閉じ、幼少時から聞き慣れてきた挑発の言葉は聞き流した。
「伊勢さん、あなたから始めて下さい」
 伊勢は神妙に頷き、口を開いた。

 私の家はもともと糸魚川で漁師をやっておりましたが、十五年前に水産会社を立ち上げました。零細ですが家族はなんとか暮らせてますよ。
 兄が消えたのは十年前の夏でした。
 家の方は既に加工が本業になっており、それでも体の動くうちは海に入っていたいという、経済的なものというよりは根っからの漁師だったってことなんでしょうね、兄は時折、船を出しておりました。
 日本海で漁船が転覆し漁師六人が死亡、二人が失踪、その半年後に二人が北朝鮮の船に救助されていたことが判明したというニュースはご記憶ですか?―ああやはりご存知でしたか。そのうちの一人が私の兄でした。
 そりゃあ最初はもう、あの国に対して感謝感激でしたよ。
 でも、じゃあ兄はいつ帰国するのかと言えば、これが全然帰って来ない。便りは何十通も出しましたよ。住所が分からないですから、「金日成主席気付 伊勢剛」宛にね。返事はありませんでした。外務省にも掛け合いましたが、何度来られても答えは同じです、それが奴らのいつもの対応でしたよ。
 三年半後-三年半ですよ、漸くあるテレビ局が、兄の現状を撮影する許可を貰いましてね。家族の同伴は認められませんでしたから、局の人たちの帰国時、すぐに撮影したフィルムを見せてくれと頼んだですよ。でも相手も渋ってね、放送もお蔵入りとなるでしょう、と。私たちだって覚悟はしていました。時々日本でも紹介するでしょう、あの国のアナウンサーの変な喋り方やマスゲームの異常な統率なんかを。マトモな国じゃないことぐらい誰でも分かるし、私もね、最初は兄が牢獄にでも繋がれているのかと考えましたよ。それなら確かに年老いた両親には到底見せられません。まずは弟の私がフィルムを観させてもらうことになりました。

「あれなら牢獄の方がまだマシだと思いました」
 徳利から酒を注ぐ伊勢の右手が震え、お猪口から液体が溢れ出る。
「頭は全て白髪になって、体も痩せこけて。背景に写る家具も撮影用の小道具だったかも知れません。でもそんなことは問題じゃないんですよ」
 兄自身が、完全に別の人間に変貌していたんです。
「軍服みたいなもん着て、胸に金日成バッジつけて。自分は今、主体思想の下でプロレタリア独裁に基づく理想郷の建設に携わっている、日本語を教えているが生徒はみな優秀だ、誰もが革命的に前を進む社会は、腐敗した米帝主義を傀儡とする日本とはまるで違う、てなことを喋り続け、最後に白米を送ってくれと。お笑い草ですよ、理想郷に住んでいるはずの男が一番欲しいものが白米、てのは。両親には見せられませんでした。そのうち段々とおかしく思えてきました。本当に兄の漁船は転覆したのか、救助にあたったという向こうの奴らは本当に偶然近くを航海中だったのか。兄が船に乗っていたのは趣味のようなものでしたし、最初に行方不明の報を聞いた時、よりにもよって何であの兄が、と思ったものですよ」
 そこで、私は。
 伊勢はそして息を止め、しばらくツイードの男と視線を合わせ、根負けしたように続けた。
「北朝鮮に渡り、兄を奪還しようと思い至りました」
 この食事会のメインテーマを漸く口にした男は、上目遣いのままツイードに問うた。唐突にこんな話されても困りますよね?
 目の前の男は相変わらず黙したまま、ただ視線にあの粘着性が宿り始めている。
「北朝鮮に行くったって、さあどうすればいいのか、何も分かりません。ご存知とは思いますが、今では向こうからの招聘状があれば団体旅行に参加し、北京経由での平壌入りも可能です。しかし自由行動は一切許されません。日中は常時監視がつき、夜間はホテルから一歩も外出できません。日本人旅行者が訪れることができる場所も、平壌、三十八度線、白頭山ぐらいのものです。撮影に行った制作会社によれば、兄は今、日本海-向こうでは朝鮮東海と呼ぶそうですが―沿岸の元山という町の郊外の招待所と呼ばれる宿舎にいるそうです。ここにいる朴さん曰く、昔は賑わった港町でしたが、今は飢餓が最も深刻な地域の一つで、まず日本人観光客が立ち寄れる場所ではありません。観光客としてあの国に正規入国した場合、兄に会う術はないということです。在日朝鮮人の身分を偽造し、日朝間を不定期運航される貨客船、万景峰号に新潟港から乗船することも考えました。何と言ってもこの船は元山港に着きますので、兄の住む場所へは目と鼻の先でしょう。でもやはり朴さんに、それも論外と言われました。偽造が露見した場合に待っている連中の措置は想像もできないうえ、結局入港時に記録され、在日同胞といえども監視がつくことに変わりはないからです。
 兄の今いる正確な住所も分かりません。移動中、撮影クルーは目隠しされ、招待所から見えたのは本当に山と空だけということでした。周囲は鉄条網で覆われ、およその場所すら見当つかなかったそうです。
 以上、たとえ元山まで行くことができたとしても、そこから招待所まで赴く方法、招待所の厳重な警備網を突破して兄とコンタクトを取り、連れて帰る手順、全てが藪の中でした。しかし、それらの問題をある程度解決する手筈を、朴さんとようやく導き出すことができました。どうです、もうこんな話は結構ですか?」
 ツイードは唇の端だけを歪ませた。「たいへん興味深いお話ですな」

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