見出し画像

「平壌へ至る道」(2)

一九九三年初夏~十二月 信越地方各地
 
 札幌のとある老夫婦の元に一通のエアメールが届いたのは、一九八八年初秋のことだった。その八年前の六月、スペインの首都マドリッドで失踪した、当時日大生だった彼らの息子からのものだった。
「平壌市で暮らしております」―それはあまりに衝撃的な一文だった。
 消印はポーランド。粗末なレポート用紙が切り取られ、何重にも折り畳まれたその背には、「Please send this letter to Japan」。その中に記された血の滲むような一文字一文字が、「地上の楽園」の実態を余すことなく白日の下に晒した。
 手紙に書かれていた、他の日本人二人の氏名。
 一人は、同じ時期にやはりマドリッドで姿を消した京都の大学院生。もう一人はその三年後、コペンハーゲンから「仕事が決まったので帰国が遅れる」旨の葉書を実家に送り、そのまま帰ってくることのなかった神戸出身の女性。手紙の内容から、後者は日大生の妻となっていたものと推測された。彼女も、そして同じく手紙に同封された写真の乳児―二人の子と考える以外、何ができるだろう?―も、のちに十四年もの時を挟んで「死亡し、その骨は流出した」と北朝鮮当局によって発表された。
 朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮による日本人拉致工作の実態に、初めて物的証拠が提示された事例。だがその後の外務省の反応は、「無反応」というスタンスで徹底していた。国交のない、歴史的にも負い目のある独裁国家に対して、正面切って事件の真偽を問う知恵も度胸も経験も、この国は持ち得なかった。
 恐らくは北朝鮮を旅行で訪れたポーランド人に、息子がどれほどのリスクを冒して近づき、折り畳んだ紙を渡したのか、その後どのような思いで日々を過ごし、重い不安に苛まれていたか、そして自分たちが何をすれば我が子を救ってやれるのか―そんな親たちの苦悩を、その後数年間に渡って、日本政府は黙殺した。
 
 日が落ちた海岸、黒いビニール袋を手に浜辺を歩く者に近づく「黒ずくめの衣装、アジア系の風体」、「日本語を話すが発音は不自然」な集団の存在は、一九八〇年代前半から日本海沿岸の一部地域で既に公然の常識となっていた。
 地元住民たちは、この不可思議な一連の流れが結ぶ具体像を明確に把握できないまでも、これが目の前に波立つ日本海の対岸にある、実像の見えない国から送りこまれてきた者たちであることは察していた。
 噂は噂を呼び、そこに関与する人々の数も静かに、しかし急速に増え続けた。突然家族や恋人、友人に失踪され、その理由に思い至らない者たちは、噂に手掛かりを見出そうとした。その中には本当に自発的な失踪も含まれていただろうが、複数のケースで、それぞれの失踪時における場所、時刻等の状況が、偶然の一致という言葉では片付けられないレベルで酷似することが明らかとなった。
 失踪があくまでも第三者の物理的介入によるものと信じ、自分たちの道義的責任を僅かながらも軽減させたとて、残された者が毎日の苦しみから解放される訳では、無論なかった。寧ろそれは新たな苦悩の始まりでもあった。
 彼らが本当に北朝鮮に消えたというのなら、一体誰に対して何からいつどう手をつければ奪われた者を取り返すことができるのか、誰も具体的な回答を持ち得なかった。
 残された者にできるのは、会合を重ねて情報を共有化し、自分たちの悲痛な疑念を世論に訴えていくことだけだった。
 
 一九九三年の初夏、石川県の小さな海岸町で開かれた討論会も、そんな集会の一つで、六人のパネリストが不毛な討論に終始していた。一人は拉致被害者の母親と称する年老いた女で、会の最初から最後まで目頭をハンカチで押さえ続けることだけが、その与えられた役割のようだった。「考える女たち」云々なるNPOを主宰する中年の女は、従軍慰安婦問題を始めとする戦後処理を怠ってきた日本政府こそ真の加害者だ、と繰り返し叫んでいた。
「結局は民なんですよ」としたり顔で主張したのは、どこかの県立大学の講師だ。
「外務省も政府も全然あてにならない。やっぱりここはね、我々一人一人が草の根レベルで連帯し、署名活動も積極的に行い―」
 
「何ほざいてんだオマエら、ぶち殺すぞ」
 周囲のある者は聞こえなかった風を装い、ある者は眼球だけを動かし声の方向を盗み見る。
 一見紳士風の男。酒が入っている様子はない。白い髪に乱れはなく、髭はきれいに剃りあげている。ツイードのジャケットにジーンズ、茶のローファーを、五十ほどの年齢にも見える男は自然に着こなしている。
 そんなタイプの人間から発せられる言葉としては極めて異質なものだったが、誰かが彼をもう少し詳細に観察していたならば、その目線がやや強過ぎることに気づいたかも知れないし、顔よりも太い首周り、ジャケットの上からも盛り上がる胸板にも気づいたかも知れない。
 討論会の終了前にツイードの男は離席した。この会の目的も、救済すべき対象も、今回もまた最後まで理解できなかった。つまるところ自分で知恵を絞るしかないという結論が唯一の収穫で、そのこともまた、いつもと変わりはなかった。
 玄関ホールで不意に肩を叩かれた。
 会場で、前方の座席から時折振り返ってきた男だった。
 年齢は自分よりやや下、四十後半ほど。背は低く頭は禿げ上がっている。自分が肩を叩いてしまったことに他ならぬ自分自身が最も驚いていると言わんばかりに、その右手は宙に浮いたままだ。
 こんな平凡な容姿の持ち主こそ要注意という原則は仕事柄身に着いていたが、この小男に関してその心配はなさそうだった。観察術はお粗末だったし、身のこなしや体型から切った張ったの稼業ではないことも推測された。監察の連中でもあり得ない。
 そして何より、その蒼白に強張った表情。
 自分に敵対する者が、それを隠して近づく時は、もっと余裕を感じさせるものだ。勿論この小市民的物腰が芝居ではないという保証はないが、演技は所詮演技、効力には限度がある。
「何でしょうか?」ツイードの低い声は、自分の領域に他人を立ち入らせない意思を響かせた。
 小男は口を開き、何か呟こうとしたが、干からびた喉からは言葉は発されず、一度咳払いをし、ようやく潰れたフルートのような声を出した。「先程―」
 ツイードが微かに上げた視線に、小男はまた黙する。ツイードは頷いて続きを促した。小男は唾を飲み込みながら続けた。
「先程、あなたが仰っていたこと」
「私が?何を?」
 小男は恐る恐る問うた。覚えてらっしゃらないですか?
「覚えておりません」
「そうですか。では私の勘違いだったようです、誠に失礼しました」
 頭を下げて立ち去る彼をそのままにしておけば、この物語はここで終わっていたはずだ。
 ツイードはそうしなかった。「ちょっとすみません」
 小男は足を止め、振り返った。「はい?」
「私は、何と言っていたのでしょうか?」
 小男はようやく理解した。見た目はまともだが―再び前を向いて歩みを進めようとし、しかしツイードが小走りに近づいてきた。
「教えてください、私は何と?」
 小男は自分から声をかけたことを今では完全に後悔していたが、腕を掴んでくるその力感に、それ以上の抵抗を諦めた。
「あなたはこう言いました、『何ほざいてんだオマエら、ぶち殺すぞ』と」
 腕に食い込む指が、呆けたようにほどかれていく。
「私が、ですか?」
 俺は無意識のうちに、確かにそう口走ったに違いない。
 膝に手を置いて倒れそうな体を支えるツイードを、慮るように小男が覗き込んでくる。「大丈夫ですか?」
 男を押し出すように横にやり、ツイードはまた歩き始めた。「心配無用」
 今度は誰も肩を叩きには来なかった。


いいなと思ったら応援しよう!