発掘! 北満引揚婦人の集団妊娠中絶始末記~二日市保養所だけではなかった極秘の堕胎施設
日本の敗戦が決定的になるや、日ソ不可侵条約を一方的に破棄しソ連軍が、満洲や北鮮になだれを打つように侵入、邦人に対する虐殺、略奪、強姦を欲しいままにした。また、そのお先棒を担いだ一部朝鮮人が同様の狼藉を働いている。命からがら引き揚げた日本婦人の中には、凌辱による子を宿した者も少なくなかった。それら婦人の検査と、(当時は違法だった)堕胎手術を密かに行う施設として、福岡県筑豊郡の旧二日市保養所の存在が、近年ようやく明らかになったが、実は同様の施設は長崎県佐世保にもあったのだ。


「サンデー毎日」1953年(1953年)3月27日号が、「北満引揚婦人の集団中絶始末記~赤い兵隊の子が生まれぬわけ」と題してスクープ記事を上げている。ここにそれを紹介することにした。例によって、スキャナーでなく写メでありまして、お見苦しい点もありますが、拡大していただければ、どうにかお読みできるものと思います。









羽仁とも子がこの極秘プロジェクトに参加していた。

(追記)手元のコピーはこれだけである。目次を見る限り、あと2ページ続きがありそうだが、僕のコピーミスか、あるいは保管の悪さから残りコピーがどこかに紛れ込んでいるのかもしれない。もし他ファイルの中から見つけたら、あるいは再度コピーする機会があれば、ここに追加添付するつもりである。
>また「何故、女だけを検診するか、人権じゅうりんもはなはだしいではないか」と、現参議院議員の一婦人代議士が抗議を申し込んで来たこともあった。
社会党(現・社民党)の女性議員が、空気も読めず忖度もできずきれいごとを言いたがるのは、今に始まったことではないらしい。ちなみに、「代議士」は衆議院議員を指すので、これは明らかに誤記である。
現在、佐世保引揚援護局のあった場所には、浦頭引揚記念資料館が建っているようだが、引揚げ女子の堕胎に関する展示、資料はないようである。となれば、完全に忘れられた歴史の事実となってしまったということか。
佐世保にこのような施設があったということは、当然ながら引揚げ船の到着する港(たとえば、呉や舞鶴)に同じような秘密の施設があったのではないかという推測も成りたつと思うのだが、どうだろう。
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