【言語聴覚士15年、患者さんに教わったこと②】「お経を読めない坊主は、ただの坊主です」──もう一度、お経を読むために
言語聴覚士になって、まだそれほど経っていなかった頃。
70代くらいの、一人のお坊さんを担当しました。
脳梗塞のあとでした。
手足にも軽い麻痺はありましたが、大きく目立つほどではなかったと記憶しています。歩くことにも、それほど大きな支障はありませんでした。
それなのに、
飲み込みにくい。
むせる。
そして、声がかすれる。
新人だった私には、少し不思議な状態に見えました。
本人が特に困っていたのは、声でした。
その人は、お坊さんだったからです。
毎日のように、お経を読む。
それが仕事でもあり、生活でもあり、その人自身の一部でもありました。
ところが脳梗塞のあと、以前のように声が出なくなった。
お経が読みづらい。
本人は、そんな自分について、
「お経を読めない坊主は、ただの坊主です」
そんな趣旨のことを話していました。
正確な言い回しまでは、もう覚えていません。
少し自嘲するような言い方だったと思います。
でも、本人にとっては切実でした。
普通に会話ができればいい。
それだけでは足りない。
この人が取り戻したかったのは、
「お経を読める自分」
だったのです。
食事より、声の方が大変そうだった

初めて見たとき、私は正直、
「これは大変そうだな」
と思いました。
ただ、私がより難しいと思ったのは、食事よりも声の方でした。
飲み込みについては、片側の喉の働きが弱くなっている可能性を考えました。
もしそうであれば、弱いと思われる側へ首を回旋することで、飲み込みやすくなるかもしれない。
当時の私は、そう考えて試してみました。
当時の病院には、飲み込みや喉の動きを映像で詳しく確認できる設備がありませんでした。
だから、目の前で起きていることを見ながら考えるしかありません。
一方で、声はそう簡単ではなさそうでした。
かすれている。
声量も落ちている。
私は、声のかすれや声量の低下から、喉の働きにも脳梗塞の影響があるのではないかと考えていました。
そして何より、
本人が声を出すこと自体に、自信をなくしているように見えました。
私は、
食事より、こっちの方が時間がかかりそうだな
と思っていました。
「飲めましたね……!」

まず、飲み込みを試しました。
首を弱いと思われる側へ回旋して、その状態で飲み込んでもらいました。
本人は最初、そんなことで変わるのか、というような反応だったと思います。
それでも、私が勧めたので試してくれました。
そして、飲み込んだ瞬間でした。
その人の目が、
カッと開きました。
「飲めましたね……!」
その表情を、私は今でも覚えています。
本人の感覚では、本当に楽だったようです。
それまでは正面を向いて飲み込むと、飲み込みにくい。
むせる。
それが嫌になっていた。
ところが、首を回旋すると、ずっと楽に飲み込めた。
本人はとても喜んでいました。
ただ、しばらくすると、
「私、これからずっと振り向きながら食べなきゃ駄目ですかね」
と聞かれました。
これも、今でも覚えています。
私は、
「もしかしたら、しばらくはそうなるかもしれませんね」
そんなことを答えました。
確かにそうです。
食べられる。
でも、毎回横を向いて食べなければならない。
「できる」と「面倒ではない」は、同じではありません。
リハビリで使える方法であっても、それを毎日の生活で続けるのは患者さん本人です。
そこまで考えなければならないことを、私は少しずつ知っていきました。
一つ「できた」あと、口数が増えた
私が驚いたのは、そのあとでした。
本人が、
「すごく楽に食べられました」
というようなことを言いながら、ずいぶん話すようになったのです。
それまでは口数の少ない人でした。
もともとの性格もあったと思います。
でも、声が出しづらくなってからは、さらに話さなくなっていたように見えました。
その人の口数が、急に増えた。
私は、
「なんだか、ずいぶん喋るようになりましたね」
そんなことを言ったと思います。
すると本人も、
「確かに、声も出るような気がします」
そんな趣旨の反応をしました。
もちろん、
飲み込みが一度うまくいったことで、麻痺そのものが突然良くなったわけではありません。
ただ私は、
一つ「できた」と感じられたことが、次のこともやってみようという気持ちにつながったのかもしれない
と思いました。
新人だった私は、もっと単純に、
「病は気からって、本当にあるんだな」
と思っていました。
当時は、本当にそんな理解でした。
今なら、気持ちだけで病気が治るとは言いません。
それでも、
自分にもまだできる。
もう一度やってみよう。
そう思えることが、リハビリへ向かう力になることはある。
そのことは、今でも大事だと思っています。
私がやることだけが、リハビリではない
そこから、その方は発声の練習にも前向きになっていきました。
そして私は、この人との関わりでもう一つ、大きなことを覚えました。
私がST室でやることだけが、リハビリではない。
患者さん自身が、生活の中でやるところまで含めてリハビリなのだ、ということです。
この方には、とても強いものがありました。
お経です。
お坊さんですから、お経は、私が用意した訓練課題ではありません。
朝に読む。
夕方にも読む。
必要なら、ほかの時間にも読む。
本人がもともと毎日の生活の中でやってきたことです。
しかも、
「またお経を読みたい」
と思っている。
だったら、お経をそのまま練習にすればいい。
私はそう考えました。
一度にいくつも伝えるのではなく、
今日はここを少し意識する。
次は息の使い方を考えてみる。
喉のあたりも意識する。
ただし、力みすぎない。
そんなふうに、一つずつ伝えていきました。
本人が自分で試す。
次に会ったときに、また様子を見る。
必要なら少し変える。
そして、また本人がやってみる。
この方は、とても真面目でした。
こちらが話したことを、自分でもやってくれる人でした。
本人自身も肺活量を気にしていて、
ブローイング――息を吹く練習もやりたい
という希望がありました。
本人にとっては、お経を読むうえで、息を長く使えることも重要だったのだと思います。
普通に会話ができれば十分、ではありませんでした。
私は改めて思いました。
この人のゴールは、「普通に喋れること」じゃない。
私が用意した文章を読めることでもない。
この人が必要としているのは、
自分のお経を、自分の声で読めることでした。
声が出てきたら、別の問題が起きた

ところが。
リハビリは、うまくいけば全部解決するほど単純でもありません。
声が出るようになってくると、別の問題が起きました。
この方は、お坊さんです。
声が出れば、お経を読みます。
そして練習を続けているうちに、お経の声もずいぶん大きくなってきました。
本人にとっては、良いことです。
ただし、
ここは病院でした。
病室でお経を読むと、その声が周囲まで聞こえるようになってきたのです。
すると、ほかの患者さんから、
「私の迎えが来たんじゃないか」
そんな趣旨の声が出たと聞きました。
私はそれを聞いて、
「ああ……確かに」
と思いました。
本人には、もちろん悪気などありません。
むしろ、
声が出るようになったからこそ起きた問題でした。
でも、病院にはいろいろな状態の人がいます。
昼や夜に、どこからともなくお経が聞こえてきたら、不安になる人がいるのも無理はありません。
結局、
病棟でお経を読む時間や場所は少し考えましょう、
という話になりました。
今思い返しても、
なんとも病院らしい出来事だったと思います。
本人にとって良い変化であっても、生活する場所が変われば、別の配慮が必要になる。
当時の私は、
「そうか。病院でお経が聞こえると、そういうふうにも聞こえるのか」
と妙に納得したのを覚えています。
できるようになれば終わりではない。
その力を、
どこで、どう使うのか。
そこまで含めて生活なのだと、この方から教えられました。
「先生のために、お経を読ませてください」

そういう事情もあり、お経を読む練習はST室でも行いました。
ある日のリハビリで、その方が私に言いました。
細かな言葉は、もう正確には覚えていません。
でも、
「伊藤先生のおかげで、またお経を読むことができます」
そんな趣旨のことを言ってくれました。
そして、
「お礼になるかは分かりませんが、伊藤先生のために、お経を読ませてください」
と言いました。
何のお経だったのか。
どんな意味が込められていたのか。
そこまでは、もう正確には覚えていません。
ただ、
私へのお礼として読んでくれたことは覚えています。
私は、
「ぜひお願いします」
と答えました。
言語聴覚士になって、まだそれほど経っていない頃です。
まさかリハビリ中に、
担当しているお坊さんから、自分のためにお経を読んでもらう
なんて経験をするとは思っていませんでした。
その方は、私の前でお経を読み始めました。
私は黙って聞いていました。
それまで私は、その人の声を、
かすれている。
声量が足りない。
どうすれば出しやすくなるか。
どこを意識してもらえばいいか。
そんなふうに、
リハビリする対象としての「声」
として見ていました。
でも、そのとき聞こえてきたものは違いました。
その人が、ずっと使ってきた声でした。
何度も何度も読んできたお経でした。
病気になり、
もう以前のようには読めないと困っていたものを、
その人が今、
私のために読んでいました。
以前とまったく同じ声だったのか。
どれくらいうまく読めていたのか。
そんなことは、もう覚えていません。
ただ、
「この人は、またお経を読んでいる」
それが嬉しかった。
そのことだけは、今でも覚えています。
15年経った今なら
今振り返れば、
当時の発声練習の進め方は、かなり積極的だったと思います。
退院までの時間も限られていました。
本人も早く声を取り戻したかった。
私も、できる限りのことをしたかった。
当時も、過度な発声や力みには注意していました。
今なら、可能であれば喉の状態ももっと詳しく確認した上で、練習方法や負荷を考えると思います。
では、
15年経った今なら、方向そのものを変えるのか。
たぶん、
変えないと思います。
「お経を読みたい」
という人に、
普通に会話できれば十分です、
とは、今でも言わないと思います。
お経を読むことを目標にする。
本人が毎日読むお経そのものを練習にも使う。
そして、私がいないところでも本人が続けられる方法を一緒に考える。
そこは、
たぶん今も同じです。
この方から教えてもらったことがあります。
リハビリは、
私が患者さんに何かをする時間だけではありません。
方法を考える。
一緒に試す。
本人が生活の中で続ける。
また確認する。
必要なら変える。
そこまで全部つながって、リハビリです。
そして、その人にとって本当に意味のあることを、そのまま練習にできることがあります。
この方の場合、それがお経でした。
普通に喋れることではなかった。
私が用意した課題ができることでもなかった。
お坊さんが、もう一度お経を読むこと。
そこまで含めて、
この人にとってのリハビリだったのだと思います。
新人だった私は、
一人のお坊さんからそれを教えてもらいました。
私が全部やる必要はない。
むしろ、
患者さん自身ができるようにするところまでが、私の仕事だった。
あの日、
ST室で私のために読んでくれたお経を、
私は今でも覚えています。
※本記事は、私が新人言語聴覚士だった頃の記憶をもとにした一症例の振り返りです。個人が特定されないよう、一部の情報を調整しています。記憶が曖昧な部分は断定を避けています。また、本文中の評価や訓練は当時の環境と個別の状態に基づくものであり、同様の症状に対する一般的な方法として推奨するものではありません。症状や適切な評価・対応は一人ひとり異なります。
