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【AuDHD解体新書・新章第二十六章】手は尽くした。それでも飲み込まなかった──夫婦ともSTだった私たちと、半年続いた離乳食

前章で、私はこう書きました。

仕事では、飲み込めない患者さんを毎日のように見ていました。

それなのに、我が子の口の中で起きていることは、何ひとつ分からない気がしていました。

でも、正確に言えば、私たちは何もしていなかったわけではありません。

むしろ今振り返ると、かなり多くのことを試していました。

私たち二人とも、言語聴覚士でした。

だからこそ、目の前で食べ物を飲み込まない長男を前に、何もしないでいられるはずがなかったのです。



何もない廊下まで、食べる場所を変えた

場所を変えても、長男はなかなか飲み込みませんでした。

最初に考えたのは、食事に集中できていないのではないか、ということでした。

家族みんなで食卓を囲んでいると、人が動きます。

声も聞こえます。

目に入る物も、たくさんあります。

周りの刺激に気を取られて、飲み込むことを忘れているのではないか。

そう考えて、まずは家族のいない場所で食べてもらいました。

それでも変わらなければ、さらに物の少ない場所へ移しました。

部屋を変えても、家具や物が目に入れば気が散るのかもしれない。

そう考えて、何もない廊下で食べてもらったこともあります。

視界に入る刺激を減らせば、食事に集中できるのではないか。

STとしては、最終的に辿り着くであろう仮説だったのではないか、と思います。

…でも、うまくいきませんでした。

周りに人がいても、いなくても。

物があっても、何もなくても。

食べない時は、食べませんでした。

長男は、口の中に食べ物を入れたまま、ぼんやりとどこかを見ていました。

怒っているようには見えませんでした。

苦しそうにも見えませんでした。

ただ、すんとした顔で、食べ物を口の中に残していました。


夫婦ともSTでした

食べ方を見て、考えて、また考え直していました。

当時、妻も私も、成人のリハビリテーションに関わっていました。

妻には小児領域で働いた経験もありましたが、長男を見ている時は成人での仕事をしていました。

そんな私たち二人が、長男の食事場面を、親としてだけではなく、STの目でも見ていました

患者さんの食事を見る時と同じように、観察し、仮説を立てていました。

ただ、目の前の長男は、病院の患者さんとは違いました。

まだ、自分の状態を言葉で説明できません。

どうして飲み込まないのかと聞いても、答えてはくれません。

こちらがどれほど困っているかも、十分には伝わりません。

強い口調で注意しても、その意図が伝わるどころか、親の反応そのものを面白がっているように見えることすらありました。

妻とは、

子どもを相手にするのは、患者さんとは一味も二味も違うね

そんな話をしていた気がします。

失った機能を取り戻すリハビリテーションではなく、まだ獲得していない機能を育てていくハビリテーション

知識としては分かっていたはずでした。

でも、自分の子どもを通して経験すると、その難しさは、教科書で知るものとはまるで違いました。


危険を知っていたからこそ、怖かった

※ここから、当時私たちが試したことを書きます。
ただし、これは家庭で行う方法の紹介ではありません。
私たちはSTとして、誤嚥や窒息の危険を考えながら、当時できる範囲で対応していました。
口の中への刺激や、食べ物が残った状態で水分を飲ませることには危険があります。
子どもの食事や飲み込みに不安がある場合は、自己判断で同じことをせず、医師や言語聴覚士などの専門職に相談してください。

一応の、注意事項です。

私たちは知識があったから、安心できたわけではありません。

むしろ、知識があったからこそ、何かが起きた時のことを具体的に想像していました。

食事のたびに窒息を心配し、何かあった時に動けるよう、妻と一緒に対応を調べていました。

それでも、長男には食べてもらわなければなりませんでした。


仮説は、長男の口の前で止まった

上を向きすぎていると、飲み込みにくいのではないか。

反対に、下を向きすぎていても、食べにくいのではないか。

私たちは、首や身体の角度を調整しました。

食べ物の硬さや大きさが、長男に合っていない可能性も考えました。

一般的には食べられる年齢になっていたとしても、それはあくまで一般的な発達の目安です。

長男は、低出生体重で生まれました。

暦の上の月齢だけではなく、目の前の長男自身の発達や、実際の口の動きを見なければならなかったのだと思います。

もしかすると、一口が大きすぎたのかもしれない。

食事の形が、長男の発達に合っていなかったのかもしれない。

そう考えて、少し食べやすい形に戻したこともありました。

それでも、バナナのような柔らかい食べ物まで、口の中に残していました。

感覚が分かりにくいのではないか。

口を動かすきっかけが足りないのではないか。

そう考えて、冷たいスプーンを使ったり、食べ物を乗せていないスプーンで口の動きを促そうとしたりもしました。

こうすれば、動くのではないか。

この刺激なら、飲み込むのではないか。

そのたびに仮説を立てました。

しかし、長男の口は、私たちが考えた通りには動きませんでした。

発達とは、本当に難しいものだと思いました。
今となっては本当に良い経験をさせて貰った感覚です。


水分だけは、器用に飲み込んだ

食べ物は残るのに、水分だけは器用に飲んでいました。

長男が食べ物を口に溜めている時間は、40分、時には50分にもなりました。

長く溜めていれば、唾液も増えていきます。

このまま溜め続けるより、一度水分を取った方がいいのではないか。

水分と一緒に、食べ物も飲み込めるのではないか。

そう考えたこともありました。

ただ、食べ物が口に残った状態で水分を飲ませることには、誤嚥の危険があります。

私たちも、積極的に行いたい対応ではありませんでした。

慎重に、少量の水分を飲ませてみました。

すると、長男は水分だけを器用に飲み込みました。

食べ物は、口の中に残ったままでした。

嚥下反射そのものが起こらないわけではない。

水分や唾液を飲み込めないわけでもない。

では、なぜ食べ物だけを残すのか。

まるでリスやハムスターのように、頬の内側に食べ物をしまう袋でもあるのではないか。

冗談半分、本気半分で、そんなことを考えました。

食べてもらえず、本気で困っていました。

それでも、その器用さには少し感心してしまいました。


「もう飲み込みました」という顔

「もう飲み込みました」――そんな顔をしていたのを覚えています。

一番分かりやすく反応が変わったのは、好きなお菓子を見せた時だったかもしれません。

お菓子を見つけると、長男は欲しそうに手を伸ばしました。

食べ終わったらあげるよ。

そう伝えると、長男は少し口を動かしました。

そして、

もう飲み込みました。

そんな顔をしました。

でも、頬はまだ膨れたままでした。

口を開けてと伝えても、開けようとしません。

食べ物が残っていることを、自分でも分かっていたのだと思います。

飲み込んだふりをすれば、お菓子をもらえるかもしれない。

口の中を見せなければ、ばれないかもしれない。

長男なりに考え、親と駆け引きをしていました。

私はその姿を見て、

人間らしくなってきたな。

と思いました。

親としては困ります。

食べてもらわなければなりません。

それでも、親の意図を読み、自分の欲しいものを手に入れようとする長男の姿に、成長も感じていました。

私たちが見ていたのは、嚥下反射だけではありませんでした。

注意の向け方。

口の中の感覚。

食べたいという意欲。

親との駆け引き。

食べることは、口や喉の動きだけで成り立っているわけではありませんでした。


分からないことに、少しワクワクしてしまう

家族の前でSTの知識を使うこと自体に、強い抵抗はありませんでした。

仕事で身につけた力を、大切な人のために使えるなら、使えばいいと思っていました。

ただ、少し怖いことがありました。

私は、分からない現象を目の前にすると、ワクワクしてしまいます

なぜ飲み込まないのか。

どんな刺激なら反応が変わるのか。

次は何を試せばいいのか。

観察し、仮説を立て、反応を確かめる。

それは、STとして必要な姿勢でもあります。

でも相手は、患者さんではありません。

食べられなくて困っている、私の長男です。

目の前の現象を知りたいという気持ちが強くなりすぎて、長男を一人の子どもではなく、観察する対象のように見てしまわないか。

実験をしているような自分になってしまわないか。

そのことは、少し怖かったと思います。

もちろん、長男を研究対象として見ていたわけではありません。

食べてもらえなければ、本当に困ります。

ただ、父親として心配する自分の中に、STとして知りたい自分もいました。

その二つは、きれいに分けられるものではありませんでした。


食べないなら仕方がない、では済まなかった

どう環境を変えても、食事の形を変えても、食べない時はあります。

今の私なら、食べない子どもを前に頑張っているお父さんやお母さんへ、

すべてが親の工夫不足ではない。

そう伝えたいと思います。

ただ、当時の私たちは、食べないなら仕方がないと、簡単に割り切ることもできませんでした。

長男の体重が減っていたからです。

母乳も飲んでいました。

食事を食べなくても、後で母乳を飲めばいいと思っているのではないか。

母乳でお腹が満たされていて、食事への意欲が出ないのではないか。

そんな仮説も立てました。

食事の後に母乳を飲んでもらおうと考えると、今度は食事よりも母乳を求めました。

母乳がどれほど影響していたのかは、今も分かりません。

それも、私たちが立てた仮説の一つでした。

食べ物を口に溜め続ける長男を見ながら、窒息への不安もありました。

食事中は目の前から離れず、妻と一緒に、何か起きた時の対応を確認していました。

専門職だから、落ち着いていたわけではありません。

専門職である前に、食べない長男を心配する父親と母親でした。


長男の場合は、半年ほどでした

長男が口の中に食べ物を溜める状態は、半年ほど続きました。

もちろん、これは長男の場合です。

もっと長く続く子もいれば、長男とはまったく違う理由で、食べることが難しい子もいると思います。

いつから改善したのか、はっきりとしたきっかけは覚えていません。

何か一つの方法が、急に効いたわけではありません。

ただ、40分、50分だった時間が、少しずつ短くなっていきました。

20分になりました。

10分になりました。

数分になりました。

噛み終わってから少し待てば、飲み込めるようになっていきました。

そして、長男が急にたくさん話すようになったのも、その頃だったように思います。

それまでは言葉が少なく、意味を取りにくい言葉が多かった長男が、ある時期から、一語、二語と順番に進むというより、何段か飛び越すように長い言葉を話し始めました。

言葉が増えたことと、食べられるようになったことに、直接の関係があったのかは分かりません。

ただ、私たちの目には見えないところで、長男の中のさまざまな機能が、少しずつ育っていた時期だったのかもしれません


私たちが、飲み込ませたわけではなかった

子どもが食べない時、親は自分を責めます。

環境が悪いのではないか。

食事の形が合っていないのではないか。

一口が大きすぎるのではないか。

声のかけ方が悪いのではないか。

もっと工夫すれば、食べるのではないか。

私たちも、そう考え続けました。

でも、どれだけ環境を変えても、食形態を変えても、食べない時はありました。

親の愛情が足りないからではありません。

努力が足りないからでもありません。

もちろん、体重が減る、むせる、呼吸が苦しそうになるなどの変化があれば、家庭だけで抱え込まず、専門職へ相談する必要があります。

この文章を読んで同じ対応を真似するのではなく、子ども本人の食べ方を、専門職に見てもらってほしいと思います。

子どもによって、食べない理由は違うからです

気づいた時には、長男は普通に食べていました。

もっと欲しいと、こちらに求めるようになっていました。

あれほど口に溜めていたことが、嘘のようでした。

どの姿勢が正解だったのか。

どの刺激が効いたのか。

食事の形を変えたことに意味があったのか。

母乳との関係があったのか。

今でも、答えは分かりません。

もしかすると、私たちが長男を飲み込ませたのではなかったのかもしれません。

長男自身が、飲み込めるところまで育ってきたのだと思います

ただ、私たちは何もせずに待っていたわけでもありません。

長男が自分の力で食べられるようになるまで、隣で見て、考え、試し続けていました。

専門職は、最初からすべての答えを知っている人ではありません。

目の前の人を見る。

仮説を立てる。

試して、その反応から、また考え直す。

専門職であっても、親であっても、本人の中にある答えを、外から決めることはできませんでした。

答えは、最後まで本人の中にしかありません。

私たちは半年間、長男の中にある答えを探していました。

STとして、間違ったことをしていたとは思いません。

観察し、仮説を立て、長男の反応を見ながら考え直していました。

父親として正しかったのかは、今でも分かりません。

焦ったこともありました。

怒ったこともありました。

長男よりも、自分たちの不安を優先してしまった瞬間もあったかもしれません。

それでも、妻と二人で、長男を見続けていました。

ようやっていた。

今の私は、当時の私たちに、そう言ってやりたいと思います。


※本記事は、伊藤零一自身の体験と思考を、音声入力で語り起こし、AIとの対話を通じて整理・執筆したものです。エピソードと感情はすべて本人のものです。なお、家族・関係者・勤務先等のプライバシーに配慮し、個人や施設が特定されないよう、一部の時系列・状況設定・描写は、趣旨を損なわない範囲で省略・調整しています。

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