【言語聴覚士15年、患者さんに教わったこと⑧】この前までできていたことが、今日はできなかった──進行するALSの患者さんと、新人STが感じ続けた無力さ
前回に続いて、ALS――筋萎縮性側索硬化症の患者さんの話です。
ただし、今回登場するのは別の方です。
70代の女性でした。
私が最初に会った頃、この方はまだ杖で歩いていました。
食事は常食(ちょっと柔らかめ)。
会話もできました。
舌の動きには少し弱さがあり、話し方もわずかに不明瞭でしたが、内容は十分に伝わっていました。
食事では少しむせることがあり、水分には薄くとろみをつけるなどの工夫がされていました。
呼吸状態も、この頃は大きく崩れていませんでした。
医師からは、ALSの患者さんとして一度総合的に評価し、特に構音と摂食・嚥下を中心に、必要なリハビリを行ってほしいという趣旨の依頼を受けました。
私は以前にもALSの患者さんを担当していました。
それでも、この方との約一年で見ることになる変化を、私はまだ分かっていませんでした。
月曜日に行くと、できなくなっていた
最初に目立ってきたのは、歩くことの変化だったと思います。
杖で歩いていた方が、だんだん歩けなくなっていく。
声も出にくくなりました。
食べることも難しくなりました。
中でも忘れられないのが、週末を挟んだ月曜日です。
当時、リハビリは土日が休みでした。
金曜日にはできていたことが、月曜日に行くと難しくなっている。
電子カルテを見ると、土日のあいだに状態が大きく変わっている。
看護師さんも驚いていた。
そんなことがありました。
食事についても、
少し前までは食べられていたものが、うまく飲み込めなくなる。
ゼリー状のものでも難しい。
飲み込みの反応も弱くなっているように、当時の私には見えました。
この前までできていたことが、今日はできない。
ALSが「進行する病気」であることは知っていました。
でも、
知識として知っていることと、
目の前の一人の患者さんから、できることが一つずつ失われていくのを見ることは、
まったく違いました。
「昼に食べられた」だけでは足りなかった
食事については、私自身の見方が足りなかったこともありました。
私は主に昼食の時間に評価していました。
姿勢を整え、食形態や水分のとろみを確認し、実際に食べてもらう。
昼に見ると、比較的食べられる。
私は、
このくらいなら大丈夫かもしれない。
と考えていました。
ところが看護師さんに聞くと、
朝はあまり食べられなかった。
夜はむせが多かった。
という話が出てきました。
私が見ていた昼食だけでは分からない時間があったのです。
朝や夜の様子を看護師さんに聞きながら、とろみや食事形態について医師とも相談するようになりました。
自分が見た一場面だけで、この人の食べる力を判断することはできない。

この患者さんとの関わりの中で、私はそれを実感しました。
それでも、食べられなくなっていった
状態はさらに変わりました。
歩くことが難しくなり、
食べることも難しくなり、
やがて胃瘻から栄養を取るようになりました。
呼吸状態も悪化し、気管切開が行われ、呼吸を補助する機器も必要になりました。
声も出せなくなりました。
その後、全体カンファレンスでこの方が話題になったとき、
口から食べられる可能性を、もう一度評価してみてはどうか。
という意見が出ました。
私も意見を求められ、試してみる価値はあると思う、という趣旨のことを答えた記憶があります。
その後、主治医とも話し、医師の指示のもとで経口摂取を再評価することになりました。
お茶のゼリーや、嚥下調整用のゼリー状食品を使ったと記憶しています。
一口。
また一口。
大きくむせることなく、飲み込むことはできました。
その瞬間、
食べられるかもしれない。
と思いました。
でも、
ゼリー一つを食べるのに三十分ほどかかりました。
飲み込みの反応も弱いように見えました。
本人も、味をあまり感じないような反応をしていた記憶があります。
一度飲み込めた。
だから「食べられる」。
そんな単純な話ではありませんでした。
声がなくなったあと
声が出なくなり話せなくなってからは、コミュニケーションの方法も変わりました。
筆談。
指差し。
絵や記号を使ったコミュニケーション表。
その時に使える方法を探しました。
私は、目やわずかな身体の動きを使って操作する意思伝達装置についても提案しました。
ところが、本人はあまり乗り気ではありませんでした。
機械の話をすると、明らかに嫌そうな表情をする。
機械が苦手なのか尋ねると、頷く。
目を使って操作する方法を説明すると、また嫌そうな表情をしました。
目が疲れそうなのか尋ねると、また頷きました。
看護師さんからは、
意思伝達装置をもう少し進めてみてもいいのではないか。
という意見もありました。
私も必要性は感じていました。
でも、本人は嫌がっている。
私は、
どうしたらいいんだろう。
と迷っていました。
今振り返っても、どこまで勧めるべきだったのかは迷います。
嫌がっているものを、もっと強く勧めればよかった、とも思いません。
ただ、本人が納得して選べるところまで、もっといろいろな伝え方ができなかったのか。
そのことは、今でも考えます。

「生きる 辛い」
ある日のことです。
この頃には、もう声で話すことはできませんでした。
何か書くものを求められたので、
私は持っていた小さなノートを渡しました。
動かしにくくなった手で、
患者さんは文字を書きました。
以前よりずっと拙くなった文字でした。
そこに、
「生きる 辛い」
と書いてありました。

私は、その文字を見て言葉に詰まりました。
そして、
「生きるのって、辛いし、大変ですよね」
というようなことを返したと思います。
患者さんは、辛そうな表情で何度か頷きました。
そのあと私は、
辛いけれど、できれば楽しいこともしたいですよね。
今日も何か一緒にやりましょうか。
そんな方向へ話を変えました。
それ以上、あの言葉について深く話した記憶はありません。
当時の私は、
あの言葉の前で、どうしていればよかったのか分からなかったのだと思います。
正直、この人のところへ行きたくない日もあった
この患者さんを担当した約一年。
私はいつも前向きだったわけではありません。
正直、
今日は、この人のところへ行きたくない。
と思ったこともありました。

患者さんが嫌だったわけではありません。
行くと、私の顔を見て笑ってくれることがありました。
だからこそ、辛かった。
何かをやって、その場では少しうまくいった。
でも、次に行くとまた難しくなっている。
病気そのものは進んでいく。
私は、
何をやっているんだろう。
このリハビリに、本当に意味があるんだろうか。
と何度も思いました。
「ALS リハビリ」
そんな言葉で調べて、
これならどうだろう。
あれならどうだろう。
と考える。
それでも、
これをやれば良くなる。
という答えはありませんでした。
自分のやっていることが、全部無意味に思える日もありました。
それでも当時の私は、患者さんのところへ行くときは、できるだけ普通に、笑顔で病室へ入っていました。
最後に会いに行った
その後、私は岩手を離れ、宮城へ戻ることになりました。
患者さんはその頃、病院に隣接する施設へ移っていました。
私は、
どうしても最後に会いたい。
と思いました。
施設の職員さんと一緒に、ご本人のところへ挨拶に行きました。
その場には、ご家族もいました。
患者さんはベッドの上にいました。
身体は、かなり動かしにくくなっていました。
私は、
退職すること。
宮城へ戻ること。
これまでのお礼。
そして、
もっといろいろできればよかったこと。
そんな話をしました。
患者さんは涙を流しました。
そして、動かしにくくなった手を、拝むような形にしました。
私は、
「ありがとうって言ってくれてるのかな」
というようなことを言ったと思います。
もっとできればよかった。
拙くて、ごめんね。
そういう趣旨のことを伝えると、
患者さんは、わずかに首を横へ振りました。
手も少し、横へ動かしました。
私はそれを、
「そんなことない」
という意味なのだと受け取りました。
それが、この方と会った最後です。

私は、本当に何もできなかったのか
この患者さんを担当していた頃、
私はずっと、
自分には何もできない。
と思っていました。
それまで私は、
リハビリというものを、
できなかったことを、できるようにする仕事だと、
どこかで考えていたのだと思います。
この方の前では、
その考えだけでは足りませんでした。
病気の進行を止めることはできない。
考えた方法も、やがて使えなくなる。
できることが減っていくたびに、
私はまた悩んで、考えました。
食べる方法を考え、
看護師さんや医師に相談し、
声が出なくなれば、別の伝え方を探しました。
それが十分だったのか。
もっとできることがあったのか。
今考えても悩みは尽きません。
最後に患者さんが泣いてくれたことも、
首を横に振ってくれたことも、
私の臨床が正しかった証明にはならないと思っています。
でも、
あの一年、
私は何も考えずにこの方と関わっていたわけではありません。
迷って、
悩んで、
何かできることはないかと考えながら、
その時の自分なりに、一生懸命関わっていました。
そのことだけは、強く思っています。
あの一年のリハビリに、
どこまで意味があったのか。
私には、今も正確には分かりません。
一生懸命関わった記憶と苦悩。
それだけが、私の中に残っています。
※本記事は、私が新人言語聴覚士だった頃の記憶をもとにした振り返りです。個人や施設が特定されないよう、一部の情報を調整しています。記憶が曖昧な部分については断定を避けています。
また、本文中の臨床判断や対応は当時の私の経験を記したものであり、現在の標準的な医療・リハビリテーションを示すものではありません。ALSの症状や進行経過、必要となる支援は一人ひとり異なります。
