妖怪ひとりごっち
ひとりごとを食べる妖怪が最近あちこちに出没しているという話は、ユカもネットで見て知っていた。でもまさか、自分が遭遇するとは思っていなかった。
その妖怪に最初に出くわしたのは、とある金曜の夜。その週はずっと残業続きで、その日も、花金だというのに20時過ぎまで仕事をして、結局1週間、誰ともご飯にも飲みにもいかず、コンビニ弁当を買って、一人侘しく晩御飯を食べている時だった。
「ほんと・・・・どっかにいい男いないかな」
自分にひとりごとの癖があるとの自覚はない。多分、滅多に言わないひとりごとを、たまたまその時、口にしたのだと思う。ふと気が付くと、自分がしゃべったままのひとりごとが文字に書かれたものが、コンビニ弁当を乗せていたローテーブルの脇に落ちていた。床に落ちたひとりごとは、半透明のゼリー状の物体の中に入った白い紙のようなものの上に活字として記されていて、全体の見た目は葛饅頭のようにプルプルした感じで、なんだか美味しそうに見えた。
自分が放ったひとりごとが床に落ちているのを目にして呆然としていると、どこから入ってきたタヌキのような生き物がスススと近づいてきて、そのひとりごとをぱくっと食べた。ユカが呆然としていると、そのタヌキのような生き物は、すっと身体を起こして、ユカの顔を見上げて言った。
「ま、めっちゃ美味しいってんじゃないけど、悪くないすね。少なくとも、誰かに対する悪態よりはマシかな」
「……」
あまりの想定外の出来事に、ユカは、弁当に入っていた小さめのエビフライを口元に持っていく姿勢のまま、暫く固まっていた。
「あ、ども。ボク、“ひとりごっち”といいます」
ユカの口元に持っていかれていた箸からエビフライがポトリと落ち、ユカの膝に跳ねた後、床に転がった。右手に持たれた箸は、ユカの口元から動いていない。
「……?」
「あ、ボク、ニンゲンが言うところの妖怪って奴っす。ひとりごとを食べて生きてるんす」
妙に腰が低くて、その割には頭が高い感じの妖怪だった。見た目は、タヌキのようなというか、ほぼタヌキで、頭に葉っぱまで乗せていた。
「ども、ごちそうさんでした。またひとりごとがあったら是非」
「いやいや、是非……とかじゃなくて。てか何?」
「あ、まぁ、驚かれるのはごもっとも。最近はネットでもちらほら話題になってるみたいだけど、実際に見た人はまだまだ少ないっすからね。では改めて。ボクの名前は“ひとりごっち”。略して“ごっち”でもいいっす。ひとりごとを食べて、それを叶えるというか、現実にしたりするっす」
「叶えてくれるんだ?」
悪くないではないかとユカは思った。カレシ、是非欲しい。
「じゃあ、叶えて」
ユカがそう言うと、ごっちは、きょとんとした顔で、「叶えるって何を?」と聞いた。
「いやだから、私のひとりごと、食べたじゃん。いい男を連れてきて」
「え……?あ、ボクが食べたのは『どっかにいい男いないかな』で、それっていわゆるあなたの感想ですよね?或いは、緩やかな疑問?」
こいつ、地味にムカツク……。
「ひとりごとを叶えるためには、それが明確な願いの構文でなければいけないんす。何を、どうして欲しいのか。その要素がきっちり入ってないと」
ほう?
「あ、それと、だからと言って、自分の願望を意図的に声に出して言ってもダメっす。それは単なる独白で、気が付いたら勝手に口から出ていたってのがひとりごと。そうじゃないと、ボクが食べれる形にならないんす」
あの葛饅頭みたいなのがそうなんだ……とユカは思った。
「あともう一つ。明確な願いのひとりごとが出来た場合でも、それを叶えるかどうかは、この葉っぱが決めるんっす」
ごっちは、自分の頭に乗せた葉っぱを手に取ると、「これを放り投げて、地面に落ちたときに表が上ならひとりごとが叶い、裏なら叶わない。そういうシステムなんっす」と言った。
「わかった」
「ではまぁ、今日はそんなとこで。機会があればまた逢いましょう」
そういうと、タヌキのような妖怪は、胸元で両手を合わせて印を組み、どろんと消えた。音的には、どろんではなくポムッといった感じであったが。
まったく、なんだったのかあれは……。ユカは、暫く呆然としていたが、気を取り直すために、テーブルの缶酎ハイをグラスに注ごうと思った。が、既に空で、仕方がないので、冷蔵庫から、その日2本目の500mm缶を出してきて、グラスに注いで、氷を入れてぐっと飲んだ。それが、ユカとごっちの最初の出会いであった。
* * * * *
ユカのもとに、二度目にごっちが出現したのは、それから二か月ぐらい経ったころだったか。場所は、もう他に誰もいなくなった21時過ぎのオフィスだった。その日、ユカの上司は機嫌が悪かったらしく、一日中、部下や下請け業者に当たり散らし、18時を過ぎたあたりからはユカにロックオンして、一緒に客先に行った時にやったプレゼンについて1時間近くもぐじぐじと説教をし、「明日までに全部企画を練り直せ」と怒鳴ってオフィスを出て行った。
そんな流れで、晩御飯もお預けで、ムカムカしながら残業をしていたユカの目に、ふと、あの葛饅頭が目に留まった。葛饅頭は、ユカの椅子の横の床に落ちていて、「クソ課長。ほんと、どっか行って」と書かれていた。
その葛饅頭にユカが気づいた瞬間、例のごっちがスススと出てきて、それをパクっと食べた。
「うむ。今回のは、なかなか尖がったお味で、これはこれで悪くない。それに、今回のは、一応、願いの構文になってるっすね。『クソ上司に』『どっか行って欲しい』」
それでは……といった感じで、ごっちは頭に乗った葉っぱを手に取って宙に放り上げ、葉っぱはくるくると回って床へと落ちた。表が上であった。その瞬間、葉っぱは、ポムッと音を鳴らして少し浮いて、すぐ元に戻った。
「おめでとうっす。あなたの願いは叶います」
ごっちがどや顔で言った。
「叶ったって、どんな風に?」
「明日になればわかるっす」
そういうと、ごっちは、前と同じように胸元に両手を合わせて印を組み、その場から消えて出ていこうとした。
「ちょ、ちょっと待って。ねぇ、よくわかんないんだけど、願いって、そんな簡単に叶うの?あなたが出てきて、ひとりごとを食べて、投げた葉っぱが表で落ちたら、その願いは必ず叶うの?」
ごっちは、予想外の質問を食らったといった感じで、一瞬ぽかんとしていたが、ふと我に返って答え始めた。
「そっすね。まず、全ての物事は、幾つかの選択肢のどちらかが選ばれて先に進んでいくんっす。クソ上司がユカっちの上司であり続ける世界線とそうではなくなる世界線とが並列してあり、明日、というか、今この瞬間の一瞬後に、そのうちのどちらの世界線が選ばれて、その連続で時間が進んでいく。分かるっすか?」
「うん、一応。てか、勝手にユカっちとか呼ばないで欲しいんだけど」
そういいつつも、ユカは内心、まんざらでもなかった。
「さっきこの葉っぱが表が上になって床に落ちた瞬間、クソ上司がいない世界線が確定したんっす。それが具体的にどんな形でとか、ボクはわかんないし、興味もないっす」
「そうなんだ……。ねぇ、ちなみにさ、ホントは実現して欲しくないことを思わず言っちゃった場合とかはどうなるの?」
ユカがそう聞くと、ごっちは、珍しく少し真面目な顔になって答えた。
「それは止められないっす。もし、形になったひとりごとが願いの構文に合致していて、それをボクが食べたら、葉っぱの儀式は絶対やらなきゃいけないし、表が出たら、どんな内容でも絶対実現してしまうっす」
「それやばいじゃん」
「そうなんす。だから、ネガティブ思考は禁物。まぁそれは、ひとりごとに限ったことじゃないっすけどね」
それってめっちゃ真理じゃん……と、ユカは思った。
「あ、それから、ひとりごとは、口に出したものから順に、それが実現するかどうかが試されるんっす」
それはまぁ、そういうことになるだろうとユカが思っていると、ごっちは「じゃ」と言って、印を組み、ポムッとその場から消えていなくなくなった。
* * * * *
翌日の朝、クソ上司は普通に出勤してきて、朝っぱらから「企画書の練り直しは出来たのか」とユカを詰問した。クソ上司っぷり全開ではないか。
ごっちの嘘つき。何も変わってないじゃん……とユカが思っていると、暫くして、パソコンを眺めていたクソ上司の顔色が変わり、席を立ってどこかへ行った。
小一時間ほど経った頃、「処分通知」というタイトルのメールが社員全員に回付された。内容は、クソ上司の解雇で、理由はパワハラだった。そのメールが流されたことをきっかけに、社員たちがコソコソ話をはじめ、いったい何が起こったのかの事情が明らかになった。上司のパワハラは、ユカに対しても酷かったが、男子社員たちにはもっと強烈だったようで、何人もの男子社員が“行き過ぎた指導”の証拠を集め、人事に直談判したようだった。
「大きな声じゃ言えないけど、パワハラだけじゃなくて、セクハラもあったんだって」「うわ、セ・パ両リーグ。そりゃアウトだわ」
若手を中心に、社員は口々に噂した。とにもかくにも、クソ上司はいなくなった。ユカにとって悪い話ではなかったが、なんだか複雑な気持ちだった。
* * * * *
ユカの元に三度目にごっちが現れたのは、それから約4か月後で、それがごっち登場の最後になった。
その日、17時を少し回ったころに、ユカの同僚の女子が「みなさーん。フロアの中央に集まってくださーい」と声をかけた。なんだろうと思っていると、ユカの後輩のA子と、同僚のBが、司会役の同僚女子の横に立って挨拶を始めた。「私たち、結婚します」の挨拶だった。
当世流で、結婚式は上げないけど、既に籍も入れ、同居もしているという。「でも、こういうの、けじめだから、このタイミングで言っておこうと思って」とA子が言って、職場のみんなが祝福の拍手を送った。「ビジネスネームは旧姓のままで行きます」とA子が言い、A子の同僚女子たちから花束とお祝いの言葉が贈られて、お祝いする方もされる方も涙ぐむという、オフィスお祝い事あるあるのシーンが展開された。
ユカは、その一連のシーンを、とても冷めた気持ちで見ていた。もっと正確に言えば、「許せない」という思いに近かった。ユカは29歳で、祝福されている後輩は27歳。ユカもまぁ、男にちやほやされる方だが、多分、A子の方がもう少しモテるタイプ。そしてユカは、Bのことを、社内で一番いけてる男子だと思っていた。Bは、半年ぐらい前に彼女と別れたと公言し、それより少し前にカレシと別れたユカは、何なら自分と彼でワンチャンあるかもしれないと期待していた。二人の間で、何か具体的なことがあったわけではないのだけれど……。
たった半年の間に、A子はBをゲットしたんだ。別に、二人のことが憎い訳ではななかったけど、その日の発表がすごくショックで、ユカは、そのセレモニーの後、早々に仕事を片付けて家に帰ることにした。外はまだ明るかった。29歳という自分の年齢が、何しろ重かった。帰宅途中、公園脇の遊歩道を歩きながら、ユカは、思わずつぶやいていた。
「私、消えたいな……。ああ、ほんと、カレシ欲しい。」
ユカが、はっと我に返って足元を見ると、例の葛饅頭状のひとりごとが二つ、地面に落ちていた。「私、消えたいな」と「ああ、ほんと、カレシ欲しい」、しっかりと文字に書かれている。やばい。どっちも、願いの構文を満たしてる。しかも、私消えるか問題の方が先じゃん。ごっちが来る前に何とかしなければ。
ユカがそう思った時には、どこかから現れたごっちが、スススと葛饅頭に近づき、それを食べようとしていた。
「ああ、ごっち、それはダメっ!」
ユカは焦ってごっちを止めようとしたが、とても間に合いそうにない。マジか、オワッタとユカが思った瞬間。真っ黒な影が、突然上から降ってきて、ごっちが「ぎゃあ」と悲鳴を上げた。
それは、カラスだった。カラスは、葛饅頭を口にくわえ、ユカとごっちがいた場所から少し離れた所で舞い降りて、ガァガァと鳴きながら、葛饅頭をついばみ始めた。ユカが足元に目をやると、「ああ、ほんと、カレシ欲しい」の方の葛饅頭が、そこに残っていた。
やった。カラス、グッジョブ!ユカは、心の中でガッツポーズをした。しかし同時に、ユカは、頭の上に、ガァガァと激しくなく、何羽ものカラスたちがいることに気が付いた。明らかに、もう一つの葛饅頭を狙っている。一羽のカラスが、枝からひらりと飛び上がり、葛饅頭の方へ急降下してきた。
「ごっち!早くそれ食べて!」
ユカがそう叫んだ時にはもう、ごっちは、その葛饅頭をぱくっと口にしていた。
「もぐもぐ……。うん。これは、ユカっちが放った今までのひとりごとの中では一番美味しいね。しかも、お願い構文に叶っている」
ごっちは、葛饅頭をじっくり味わって食べると、さて、と言って、頭に乗った葉っぱを手に取った。
「表が出るといいね」
そういうと、ごっちは葉っぱを宙に投げた。くるくると回転しながら葉っぱが落ちる。ああっ!神サマっ!!ユカは、思わず胸元で手を組んで祈った。
葉っぱは、はらり地面に落ちた。表が、上だった。ポムッと音がして葉っぱが宙に浮き、一瞬間が空いて、さっきより少し低い音色で、ボムっと音がした。
ふと気が付くと、そこに、少し小柄な男子が一人立っていた。見た目はまぁ、イケメンといっても良い顔立ちで、かっこいいというよりカワイイ系で女子に人気が出そうなタイプだった。年は、ユカよりちょっと下といった感じだろうか。
「あの、初めまして。合田達也と言います。よろしくっす」
と、その男は言った。初めましてじゃねーよと、ユカは内心笑ってしまった。でも、悪くない。
「はーじーめーまーしーて」
ユカは、おどけた感じでそういって、少し頭を斜めにし、男の顔を覗き込むようにしてお辞儀をした。
* * * * *
ひとりごとを食べる妖怪が出るという書き込みは、その後ネットで見かけなくなった。今ではもう、そんな話題があったことすら、誰も覚えていない。
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この作品は、シロクマ文芸部さんの企画に則って書きました。シロクマ文芸部さん。いつもありがとうございます (^^)v
https://note.com/komaki_kousuke/n/n65b1271cdaf5
