389.創作秘話∣『金胎記』──沈黙のなかに宿る声
1. 書き始めの動機・背景
この物語の出発点は、母方の田舎で撮った一枚の写真だった。写っていたのは、ひっそりとした神社の境内。そこはかつて金山で栄えた村だったが、金が尽きた後は静かに時を止めていた。

それでも、歩いてみると繁栄の名残が確かに残っている。かつて金を手にし、のし上がった者たちがいた。
その足跡に惹かれた私は、最初、金をめぐる三代記──いわばビジネスとしての繁栄と衰退を描こうとしていた。
しかし、その構想の中に、ふと浮かび上がってきたのが「信仰」と「沈黙」だった。
母の実家には、朽ちた薬師堂の跡があり、それは金山よりも古い歴史を持っていた。
鎌倉時代から金が取れていたと言われるこの地では、祈りと金、宗教と経済が密かに結びついていた──この“静かな力”を描くことが、私にとってのテーマになった。
2. 神代編──傍観者のまなざし
『金胎記−神代編−』では、信吉という傍観者を通して、「沈黙と赦し」を描いた。
信吉は、教団に巻き込まれながらも、一歩引いた視点で物事を見ている人物だ。
実は、彼の姿には私自身が投影されている。かつて他家に入って繁栄を築いたものの、最終的に血によって排除された──そんな記憶と感情が、信吉というキャラクターに自然と重なった。
弥生との関係は、ただの愛ではなく、救いの衝動にも似たものだ。
彼女が狂っていく姿に、私の過去の家族の影を見たのかもしれない。それでも、出会いの頃の弥生を、あるいは“救われていた頃の自分”を信じたかったのだと思う。
執筆当初、信吉は死ぬ予定だった。
朦朧とする意識の中で初めて「神の声」を聴く──そんな結末を考えていた。しかし、私自身が“生きて在ること”を選んだように、信吉にも生き延びる道を与えた。
それは、清濁を呑んででも前に進む覚悟の象徴でもある。
3. 矢萩編──信じることの強さと危うさ
『矢萩三代記 − 声なき神を抱いて −』では、視点を矢萩側に転じた。
前作を通して、矢萩栄一郎という人物にもっとも人間的な魅力を感じた。
自らの信じる力に突き動かされ、人々を巻き込み、村を動かす。その姿は、私のもう一つの側面──“矢萩的な自分”に重なった。
私は、これと決めたものは必ず手に入れる。それが人でも、言葉でも、道でも。時間をかけてでも、確実に。
だからこそ、普段はあえて多くを欲しないようにしている。
矢萩の言葉や熱意は、私自身の“発動したときの力”そのものだった。
また、真央という存在を通して「信じられて生まれた子」が、やがて神の声を疑い始めるという流れも描きたかった。
前作では脇に置かれていた真央の内面を、今作では丁寧に掘り起こした。
4. 2作を通じて描いた問い
この作品の核にあるのは、「神は本当にいたのか?」という問いである。
信仰とは、自らが“見たい現実”を通して神を創る行為かもしれない。
信じるとは、理屈ではない。
心の深い場所で感じることであり、それは時に盲信と紙一重でもある。
それでも、誰かが心から信じた時、その神は確かに“存在している”のだと思う。
最後の一文──「掘るな、と言ったはずだ」──には、キリストの最後の受難、そして人が越えてはならない“問い”への誘惑を込めた。
それは、信仰の本質でもあり、禁忌の象徴でもある。
5. 読者へのメッセージ
現代は誰もが“声を持てる”時代に見える。
けれど、その多くは模倣であり、信仰という“声”があった時代よりも、むしろ神なきノイズに振り回されているように思う。
だからこそ、私は「声なき神」を描いた。
歴史の裏に埋もれた“かもしれない信仰”の物語を通して、誰かが何かを感じ取ってくれることを願っている。
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます。
お気持ちが、大変励みになります。その、お気持ちに応えれる様な記事を引き続き作っていきたいと思います。
本当に、ありがとうございます。