237.【小説】家名と血-百年の呪縛-③
【第2章:帝都の風、帝大の春】
桜が舞い散る頃、義隆(よしたか)は帝都へと旅立った。
明治二十七年。父・徳右衛門が事業の頂点に達し、政商として政府関係者との親交を深めつつあった年だ。
東京帝国大学法科に進んだ義隆は、鹿鳴館のサロンに出入りし、官僚の卵や若き財閥の令息たちと交流を重ねた。
帝都では、出自よりも才覚が重んじられる風潮があり、義隆の知性と礼節は、たちまち注目を集めた。彼にとっては、交友も読書も単なる教養ではなかった。“神崎原”という看板を未来の経済構造に繋ぐ、布石だった。
「君、尾崎紅葉の新作は読んだかい?」
「いや、僕は森先生の留学記のほうが面白いと思うな」
文士や画家との交流も広がっていった。
二葉亭四迷、石川啄木──そして、帝大病院に籍を置いていた森鴎外とは、一度だけ直接話を交わした。
「血筋とは、生まれではなく、選ばれる過程の中にある」
それは、継承とは“血”でなく“選ばれ続けること”だという意味に思えた。
経営もまた、名や資産ではなく、“選ばれる者”によって動かされるのだと。
父・徳右衛門の商売は、もはや流通や製造にとどまらない。勲章を得た官僚に金を貸し、政党に寄付をし、世論を操る記者クラブに関与する。
「義隆、おまえが次に会うのは、司法省の書記官だ。その後、外務省だ。覚えておけ」
父からの手紙には、常に訪問すべき人物の名が並んでいた。
それは、父からの情ではない。神崎原という企業体が、次に握るべき“資源”の地図だった。
「義隆だけは、戦には出すな──」
その言葉は、父が唯一愛した“血”への執着の裏返しだった。
義隆の兄たち、治義と周馬は、日清戦争の前線で命を落とした。
徳右衛門はその後、名家の娘を後妻として迎えた。そして、その間に生まれた義隆を、政の場での“切り札”として育てた。
「帝都で頭角を現し、やがて爵位を得る。そのとき、我が家はかつての武家に戻る」 父は常にそう語った。
義隆は、それを呪いのようにも、誇りのようにも受け取っていた。
だが、この華やかな日々は、やがて暗い影と取引の匂いに包まれてゆく。
裏帳簿、裏金、票の買収。
義隆が父の後を継いでから、政商としての顔は次第に濁りを帯びていく。
経営とは理念でなく、構造で動く──そう割り切った瞬間から、彼のなかの“継承”は別の色を帯び始めた。
だが今はまだ、帝都の春。
義隆は、希望と共にその風を受けていた。
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