見出し画像

164.【小説】火を継ぐモノ:第2章「声なき広場」

第2章「声なき広場」

市の中心にある広場は、今も名ばかりの“自由の広場”と呼ばれている。

かつて人々が詩を詠み、演説し、笑い、議論した場所だ。

今はただ、石畳の上を風が通り過ぎていくだけだった。

ルカは、腰をかがめる老人に紛れるように、その広場を歩いた。

周囲の人々は互いに目を合わせず、ただ足元の地面か、掲示板の布告だけを見つめている。

新たな告示が貼り出されていた。

『火の法 第六条:過去に追放された者と接触した市民は、沈黙の罪を問われる』

沈黙の罪。

口を閉じても、咎められる時代。

それは、もはや皮肉ではなく、詩のようだった。

かつて詩を教えた男として、ルカは微かに口元を歪めた。


エリシャの工房は、広場の東側、薄暗い裏通りの一角にある。

ルカが戸を叩く前に、内側から静かに開いた。

「……来ると思ってました、先生」

青年はインクの染みた布で手を拭きながら、無言で椅子を差し出した。

幾度か会ってはいたが、今日のエリシャの眼差しは違っていた。

その奥で、何かが燃えていた。

「また一人、捕まりました」

「仲間か?」

「ええ。彼は、堂々と訴えたんです。布告に対して、言葉で異を唱えた」

ルカは、一瞬言葉を飲み込んだ。

それは、自分には選べなかった道だ。

逃げた者には、咎める資格などない。

「先生は、まだ“言葉”に希望を持っているんですか?」

静かな問いだった。
だが、その芯は揺るがなかった。

「……正直に言おう。私は一度、火から逃げた。

言葉が焼かれる音を耳にしながら、私は目を閉じた」

エリシャは、黙って彼を見つめていた。

「……では今は?」

「今は……その火を、誰かが受け継がねばと思っている。

私ではないかもしれない。だが、消させてはならないと思う」

「それが、先生の答えですね」

そう言って、エリシャは一冊の束を取り出した。

印刷機の上に置かれたそれには、こう記されていた。

『第二の声』

彼らが密かに刷り続ける、言葉の集成。

「燃やされても構いません。誰か一人でも、これを読んでくれたなら」

その言葉に、ルカの胸がわずかに揺れた。

工房を出た瞬間、遠くで鐘の音が響いた。

昼の鐘ではない。

裁きの鐘——誰かが、また声を奪われようとしている音。

ルカは足を止め、振り返った。

広場の端に、煙が上がっていた。

「……文字の声までも、焼かれるのか」

彼が呟いた足元に、一枚の紙片が舞い降りた。

風が運んだのは、『第二の声』の断片だった。

インクは滲み、輪郭は崩れかけていた。

それでも、文字はまだ読めた。

“Veritas ardet, sed non consumitur.”
——真理は燃える、されど焼き尽くされぬ。

ルカは紙を拾い、胸元にそっとしまった。

そして、誰に聞かせるでもなく、微かに呟く。

「……真理は燃える。だが、焼き尽くされはしない」

それはかつて、教壇で掲げた言葉。

そして今、胸の奥に再び灯る、静かな火でもあった。


いいなと思ったら応援しよう!

Spica∣言葉を編む ありがとうございます。 お気持ちが、大変励みになります。その、お気持ちに応えれる様な記事を引き続き作っていきたいと思います。 本当に、ありがとうございます。