228.【小説】バイバイ、私の未来②
【第2章:未来を嫌う子供】
最近の遥子(ようこ)は、あまり絵を描かなくなった。 それでも、ふとしたタイミングで、ノートに鉛筆を走らせている姿を見かけることがあった。
その日、私は机の上に開きっぱなしのスケッチブックを見つけた。
「……これ、何の絵?」
教室。
けれど、窓の外には黒い雲が渦巻き、教壇のあたりに、赤い炎のようなものがにじんでいた。
思わず、その絵を閉じた。
「こういうの、あんまり描かないほうがいいよ」
遥子は、うつむいたまま何も言わなかった。
ここ最近、彼女の様子は少しずつ変わっていた。
学校を休む日が増えていた。
元々、友達は多くなかったけれど、最近は、誰とも口をきいていないようだった。
「未来が分かるなんて気持ち悪い」
ある日、担任の先生から、そんな話を聞いた。
遥子が学校で話した“未来の出来事”が、同級生の間で噂になっていた。
夢の話、絵の話。
どれも現実味のない断片だけれど、子どもたちはそれを気味悪がった。
先生がそれとなく注意してくれたそうだが、それ以降、遥子はますます口を閉ざすようになった。
あどけなかった遥子に、少しずつ影がさしてきたのは明らかだった。
そんな時、救いになったのが──あの黒い犬だった。
名前は『アンコ』。
もとは団地の裏で震えていた迷い犬。ほどなくして飼い主が見つかり、電柱に貼られていた貼り紙には、こうあった。
『黒柴犬 メス 名前:アンコ』
──遥子が“勝手に”名づけた名前と、まったく同じだった。
不思議な縁を感じたのか、飼い主の女性は「ときどき会わせてあげてください」と申し出てくれた。
それ以来、週末になると、姉妹でその家を訪ねるようになった。
アンコは、遥子の姿を見ると嬉しそうに尻尾を振った。
遥子の笑顔が戻るのは、そのときだけだった。
「もう学校、行きたくない」
ある夜、布団の中で、遥子がつぶやいた。
私は何も答えられなかった。
遥子の言葉に、なにか“奥行きのある痛み”が含まれているようで、言葉を返せなかった。
春になって、遥子は6年生になった。
学校に行く日と行かない日が、まだ交互に続いていた。
そんな中、父が見つけてきたのが、近所のダンススクールだった。
「この子、身体を動かすのは好きだったろ?」
無口な父にしては珍しい提案だった。
最初は渋っていた遥子も、体験レッスンの帰り道には、少しだけ笑っていた。
帰宅後、彼女は久しぶりにスケッチブックを開いた。
描かれていたのは、ステージの上で踊る自分の姿だった。
「この中の私は、笑ってる」
遥子が、ぽつりと言った。
私は、その絵を見て、少しだけ安心した。
小さく、けれど確かに、希望の種のようなものが芽吹いた気がした。
──そして、あの教室の絵が現実になったのは、数日後のことだった。
学校の給食室で配電盤から煙が出る騒ぎが起きた。
大事には至らなかったが、煙で何人かの生徒が早退し、連絡網が回ってきた。
私は、スケッチブックを開いて、あの教室の絵をもう一度見た。
絵の窓の外には、確かに煙が渦巻いていた。
──姉・真帆の回想
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