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254.創作秘話:『家名と血 - 百年の呪縛 -』

第一節:書き始めた動機

過去、私はある古い家の四代目を継ぐ立場にあった。婿として、その家に入った。

私は未来を見据え、家のためだけに閉じた組織構造から脱却し、地域に根ざし、外の社会と共に発展していく企業体を目指していた。

だが、私の意志は、既得権益を手放したくない一族には受け入れられなかった。結果、私は“廃嫡”された。義詮と同じく、名を継ぐ者ではなく、“外された者”となった。

『家名と血』は、そんな私自身がかつて歩みたかったもう一つの経営の道

──血ではなく、志と構造を未来に残す企業のあり方を描いた物語だ。

家族経営には、ある段階まで確かに力がある。だが、組織がさらに成長するためには、血縁ではなく、能力と理念によって構造が選ばれるべきだ。

強い構造体を作り、そのうえで「誰に任せるか」を明確にできる組織。それが、これからの企業が生き残る道であり、社会と共に成長する道だと私は信じている。

この物語のラストは、私自身が“経営者として実現できなかった未来”であり、いま、この小説という形でようやく描くことができた「理想の継承」である。


第二節:分身たちの物語 ― 登場人物に込めた自分自身

私の立場として最もしっくりくるのは、神崎原佳代と結婚した平松家の次男──「家のために人生を振り回された男」の姿だと思っている。

相手を思い、支えようとしたが、組織と血、継承の論理に巻き込まれ、最終的には「そこにいられなくなった男」。それはまさに、かつての私の姿だった。

だがこの物語には、彼だけでなく、すべての当主に“かつての私”が宿っている。

初代・徳右衛門には、がむしゃらに事業を起こし、“地位と名声”を求めて走り抜けた20代の私がいる。

二代目・義隆には、組織を継ぐ責任と権力の冷たさ、そして“構造で人を守ろうとした”経営者としての私がいる。

三代目・義詮には、理想と美、そして外された痛みがある。自由を求めていたのに、家に戻ったときには「既に枠がなかった」──そんな切なさは、私のどこか深い場所と重なる。

四代目・佳代には、あの頃の私と妻の姿がある。使命を受け入れ、血ではなく組織の未来を選んだ人。私自身が守ろうとし、そして守りきれなかった人の象徴でもある。

そして、五代目・信一には、私が目指しながらも、やり遂げられなかった未来がある。血を超え、名を外し、それでも組織を残す──それは、今も「こうありたかった」と思うもう一人の自分である。

自伝三部作で、私はある程度「自分自身を赦す物語」を書き終えた。だが、経営者として描きたかった“未来の理想”は、そこでは書けなかった。

この小説は、それを描くための物語だった。


第三節:継承とは、構造か、問いか

書いているうちに、私は気づいた。

自分は“名を継げなかった人間”だとずっと思っていた。だが本当は、“名を超えて残したかったもの”を持っていた人間だったのだと。

家族経営とは、血の絆であると同時に、組織の足枷にもなりうる。一代で作った事業が、二代目・三代目の“家の都合”で失われていくケースを、私は山ほど見てきた。

それでも、組織を“人”と“構造”で育て直せば、名がなくても生き残れる──そう信じて、私は経営者として歩いてきたし、今は物語としてそれを綴った。

信一が最後に「名を外す」決断をしたとき、それは裏切りではない。問いへの答えだった。

血や家を残すために人が犠牲になるのではなく、人が育ったからこそ、名を超えて未来へ進める。

それが、本当に私が描きたかった「継承」だったのだと思う。


最後に:物語を書くという継承

私はこの小説を通じて、実現できなかった経営の形を、一つの物語として遺すことができた。

義隆にもなれなかった。 義詮のように絵を描くこともできなかった。 佳代のようにすべてを受け入れる覚悟も持てなかった。 信一のように名を超えることも、選べなかった。

けれど、こうして彼らを書いたことで、私の中にいたそれぞれの“未完の分身”たちを、どこかで赦すことができた。

そしてこの物語が、同じように“問い”を抱えた誰かに届くなら── それがきっと、私が継がせたかった何よりの“意志”なのだと思う。


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