166.【小説】火を継ぐモノ:第3章「地下の火種」
第3章「地下の火種」
夜の街は、沈黙ではなく緊張で満ちていた。
風が吹けば、それに耳を澄ませ、誰かが足音を立てれば、通りの灯がわずかに揺れた。
ルカはフードを深く被り、かつての学生劇場跡へと歩いていた。
今は使用禁止となったその石造りの建物は、行政上では「構造不安定のため閉鎖」とされていた。
だが実際には、そこは若者たちの集う非公式の討論の場——密やかな“声の講堂”だった。
裏手の小扉をノックすると、内部から木製の滑車音がして、かすかに扉が開いた。
「先生……」
エリシャの声だった。
彼は蝋燭を持って前に立ち、ルカを手招きした。
内部には十数名ほどの若者たちがいた。
黒いマントをまとい、顔を半ば隠している者もいたが、皆、目だけは真っ直ぐだった。
エリシャが一歩前へ出て、口を開いた。
「皆さん、今日この場に、私の師だった教師・ルカ先生をお迎えしました。
先生は……私が初めて“言葉には火がある”と知った講義をしてくださった方です」
一瞬、沈黙が落ちた。
ルカは戸惑いながらも、壇の前に立った。
床に差し込む蝋燭の光が、ゆらゆらと彼の影を揺らしていた。
「……私は教師だった。かつてこの街がまだ、言葉で議論できる場所だった頃、教壇に立っていた」
「だが、火が広がりはじめた時——私は逃げた。言葉を守るどころか、沈黙で火を遠ざけようとした」
若者の一人が声を上げた。
「先生、今は……何のために戻ってきたんですか?」
ルカは目を伏せ、それから静かに答えた。
「私は“信じている者”ではない。ただ、“それでも言葉には意味がある”と信じ直そうとしている者だ。
もし、この都市が沈黙に飲まれても……
一つだけ守れるものがあるとしたら、それは“火を継ぐ者たち”の、次の声だと思っている」
広間の空気が変わった。
誰かが静かに頷き、別の誰かが椅子の背をまっすぐに直した。
その時、建物の外で、鐘の音が鳴った。
短く、鋭く、緊急の合図。
「……見つかったかもしれません」
エリシャが言った。
「逃げ道は?」
「裏手の階段へ。ですが、文書は置いていけません」
ルカは一瞬、言葉を失ったが、直ぐに蝋燭の台のそばにあった一冊の小冊子を手に取った。
“第二の声・冬の章”
「これだけは、私が持って出よう」
エリシャが目を見開いた。
「先生が?」
「私が逃げた時、持っていなかったのは、“誰かの言葉”だった。
今度は、それを持って逃げる。
そして、誰かに渡す」
講堂の奥の扉が、音を立てて開いた。
階下へと続く石段が、深い闇の中に口を開いていた。
ルカはそこへ向かいながら、背後の若者たちに言葉を残した。
「火は、必ず消えると思われる時にこそ、継がれるものだ」
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