なぜ、歳を重ねるほど涙もろくなるのでしょう
夕立が上がったあとのベランダは、少しだけ知らない場所のように見えます。
さっきまで叩きつけるように降っていた雨が、嘘のようにやんでいて。手すりに残った水滴が、傾いた光をひとつずつ抱えています。まだ濡れているアスファルトから、あの匂いが立ちのぼってきます。
洗濯物を取り込むのを、少し忘れていました。
そのままそこに立っていたら、理由もなく、目のふちが熱くなったことはありませんか。
悲しいことがあったわけではないのです。誰かに何かを言われたわけでもない。ただ、雨上がりの光がきれいだった。それだけのことで、涙がにじんでしまう。
そして少しあわてて、指先でそっとぬぐって、何ごともなかったように部屋に戻る。
涙が近くなったのは、弱くなったからではありません
「最近、涙もろくなって困るのよ」
そう笑いながらおっしゃる方に、これまで何人もお会いしてきました。テレビのドラマで泣いてしまう。ニュースの中の、知らない誰かの話で泣いてしまう。子どもの卒業式の映像で、自分の子どもでもないのに泣いてしまう。
そして必ず、そのあとにこう続きます。
「歳ですね」と。
けれど、本当にそうでしょうか。
わたしは、少し違うように思っています。
涙が近くなったのは、あなたが弱くなったからではありません。あなたが長いあいだ着ていた鎧が、ようやく薄くなってきたのだと思うのです。
泣かないでいられたころのこと
思い出してみてください。
いちばん泣けなかったのは、いつでしたか。
小さな子どもを抱えて、眠る時間もろくにないころ。仕事で理不尽なことを言われて、それでも笑って頭を下げていたころ。誰かの病室に通いながら、家族の前では絶対に崩れないと決めていたころ。
あのころ、あなたは泣かなかった。
泣かなかったのではなく、泣くわけにはいかなかったのですよね。
泣いてしまったら、止まらなくなる。止まらなくなったら、明日が回らない。だから、感じる力そのものを少しだけ細くして、目の前のことだけを見て歩いてきた。
それは逃げではありません。あの日々を渡りきるために、あなたが自分で選びとった、いちばん賢いやり方でした。
これまでよく、おひとりで頑張ってこられましたね。
鎧を脱ぐ順番は、いつも心が決めます
不思議なもので、鎧というのは「もう脱いでいいですよ」と誰かに言われて脱げるものではありません。
心のほうが、勝手に判断します。
もう大丈夫。この人は、感じてしまっても壊れない。そう見きわめたときに、少しずつ、内側からゆるめていくのです🌿
だから涙が近くなったということは、あなたの心が、あなた自身を「もう感じても大丈夫な人」だと判断したということなのです。
これは、衰えではありません。回復です。
「共感の器」が大きくなっている
もうひとつ、思い当たることはありませんか。
若いころなら通りすぎていたはずの話に、足が止まるようになった。
見知らぬ人の訃報。誰かが誰かをかばった、小さなニュース。道端で親に手を引かれている子どもの後ろ姿。
昔は、ただの風景だったものが、いまは物語として胸に入ってくる。
これは、あなたの中にその痛みを想像するだけの材料が、もう十分にそろってしまったということです。
失ったことがあるから、失う人の顔がわかる。ままならなかったことがあるから、ままならない人の背中が見える。
つらい経験が財産になる、というような言い方は、正直あまり好きではありません。つらいことは、ただつらかった。それでいいと思うのです。
けれど結果として、あなたの器は確かに大きくなりました。
涙は、その器のふちからこぼれた分です。
人前で泣いてしまうのが、恥ずかしいというあなたへ
とはいえ、と思われた方もいらっしゃるはずです。
理屈はわかる。けれど実際には困っている。ドラマを観ていて子どもに笑われる。同僚との雑談の途中で急に声が詰まって、場の空気を止めてしまう。孫の運動会で、自分だけがハンカチを握りしめている。
その気まずさは、本当のものです。「気にしなくていいのよ」と軽く片づけたくはありません。
ただ、ひとつだけ申し上げたいことがあります。
あなたが恥ずかしいと感じているその瞬間、まわりの人は、あなたが思っているほど困ってはいません。
むしろ、こう感じている人のほうが多いのです。
——この人の前でなら、自分も少し弱音を吐けるかもしれない。
涙は、伝染するのではなく、ゆるしを配るのです。誰かがひとり泣いてくれると、その場にいる人たちは「ここは感情を出してもいい場所なんだ」と知ります。
あなたが恥ずかしさをこらえて流したその涙が、誰かの肩の力を抜いていることがあります。
それでも「弱くなった」と感じてしまう日に
もちろん、こうした言葉がすんなり入ってこない日もあります。
自分の変化が、ただ怖い日。前はこんなことで泣かなかったのに、と焦る日。周りは前に進んでいるのに、自分だけが後戻りしているように見える日。
そういう日は、無理に「これは回復なんだ」と思い込もうとしなくて大丈夫です。
不安なものを、無理に前向きに言い換えるのは、それはそれで疲れます。
ただ、こうとだけ覚えておいてください。変化のはじまりは、たいてい不安の顔をしてやってきます。
これまで機能していたやり方が合わなくなるとき、人はまず戸惑います。戸惑いは、次の形に移るための、いちばん最初の合図です。
弱くなったのではなく、いま、形が変わりかけている。それだけのことなのです。
涙をこらえる癖を、少しだけゆるめてみる
ひとつだけ、お願いしたいことがあります。
涙が出そうになったとき、反射的に指でぬぐって、話題を変える——その癖を、少しだけゆるめてみてください。
誰かの前で泣きなさい、という話ではありません。ひとりのときで構いません。
台所で野菜を刻む手を止めて。夕立あがりのベランダで、洗濯物を持ったまま。ほんの十数秒でいいのです。
「あ、いま、泣きそうだな」
そう気づいて、それを止めずにいる。
それだけで、体の奥のほうが、ふっとゆるむのがわかるはずです。
わたしたちは、涙を流すことよりも、涙をこらえるほうにずっと多くの力を使っています。こらえるのをやめた瞬間に返ってくる力は、思っているよりずっと大きいものです。
「まだ終わっていない」というサイン
涙もろさを、老いのしるしのように語る風潮があります。
けれど、感じる力が戻ってきているというのは、むしろ逆のことを意味しています。
これから先、あなたにはまだ受け取るものが残っているということです。
きれいなものをきれいだと思う力。誰かの優しさを、素通りせずに受け取る力。自分の人生をふり返って、「よくやったね」と声をかけてやる力。
鎧を着たままでは、どれも受け取れませんでした。
薄くなったからこそ、これから入ってくるものがあります✨
今夜、してみていただきたいこと
眠る前に、ひとつだけ。
今日のなかで、ほんの少し胸が動いた瞬間を思い出してみてください。
きれいだと思ったもの。あたたかいと感じたやりとり。なんとなく切なくなった音。
大きな出来事でなくて構いません。むしろ、取るに足らないものほどいいのです。夕立あがりの匂い。誰かの後ろ姿。冷たい麦茶の最初のひとくち。
それをひとつ思い出せたら、心のなかで、こうつぶやいてみてください。
「ちゃんと、感じられた」
たったそれだけです。
けれどこの一行を重ねていくと、あるとき気づきます。自分はもう、感じることを怖がっていないのだと。
おわりに
涙もろくなったあなたへ。
それは、弱くなったのでも、歳をとったのでもありません。
長いあいだ、あなたが自分を守るために着ていたものを、心がようやく脱がせてくれているところです。脱ぐときには、少しだけ寒く感じるものです。だから涙が出るのだと、わたしは思っています。
寒いと感じたら、それは肌が外の空気を感じ取れるようになった証拠です。
雨は、上がりました🌌
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