オランダの田舎街を歩く
私は昨年、半年間仕事でオランダに住んだ。その時間はとても不思議だった。新しい国での期待や興奮の裏に、先の見えない不安が、いつもどこかにあるような日々だった。
でも今振り返ると、本当に美しい時間だった。冬から夏にかけて滞在したのだが、気候が暖かくなるにつれ、オランダの風景は輝くような麗しさを放った。
私が住んだのは小さな田舎街だった。観光客なんてオランダ国内からでさえほとんど来ないような街。でも歴史があって、かわいらしい街だった。
街の名前をオランダ人に言うといつだって「どうしてそんなところに?」と言われた。外国人は大抵、アムステルダムやユトレヒトなど、大きくてアトラクションのたくさんある街に住むからだ。私がその街にたどり着いたのは偶然だった。現地で借り家を探していて、そこにたまたまリーズナブルな物件があり、内見をしに初めて街のこじんまりとしたメイン通りを歩いたとき、その雰囲気がじんわりと好きになってしまったのだ。
私は東京の郊外で生まれ育ち、大学生以降はほとんどの時間を東京の中心地で過ごした。簡単に人に会えたし、何かの集まりがあればいつでも行けた。新しいことに挑戦したければ、それを体験できるレッスンやイベントはいくらでも見つけられた。
だから最初、異国の小さな田舎街での暮らしは少し物足りなく感じた。人との集まりがあるのは、大抵家から一時間はかかるような場所。習い事もしようとしたが、行くだけで時間がかかりすぎてしまい、諦めた。街の中でも何か新しいことをできないか探したけれど、オプションがあまりに少なかった。
不安だった。友達はできるのか。せっかくオランダに来たのに、オランダのことをあまり知れずに終わってしまうのではないか。半年しかないのに、家でばかり過ごしたくない。
ある時、そんな感情を胸に抱えながら友達と話していると、彼がこう言った。
「信じて、今のこの時間はこの先、決して戻ってくることはないから。この瞬間を大切にして」
彼の言っていることは頭ではわかった。これからオランダにまた住む機会なんて、ない可能性の方が高いだろう。もしも住むとしても、今の自分の感性で、今の場所に、今のような環境で住むことはきっとない。でも、こんなところで、どうすればいいんだろう。
気候が少しずつ良くなっていく時期だったのが幸いだった。家主は定年退職済のおじいちゃんだったが、オランダ人らしく自転車に乗るのが大好きな、元気な人だった。引っ越して間もない日、聞かれた。
「今週末は何かするのかい?」
友達もまだあまりできていなかったし、週末の予定なんてなかった。でもそれが少し恥ずかしくて、曖昧に答えた。
「うーん、まだ決めてないんだけど…」
すると彼は言った。
「そしたら、自転車でこの街の周りを案内してあげよう。良いサイクリングルートがあるから、考えておくよ」
オランダ式の自転車の乗り方もまだ下手っぴだった。標識を見逃したり、周りの速さに圧倒されたり、中々大変だった。けれど、その家主のおじいちゃんは私の様子に気を配りながら、案内をしてくれた。家から、通勤に使う駅とは反対の方向に行くと、新しい景色が広がっていた。少し漕げば林に入った。さらに漕ぐと、牛や羊がのんびりと過ごす、広い牧場に出た。さらに進めば、美しい湖と、その近くに立ち並ぶ立派な家、そしてかわいらしいカフェがあった。
私は、街のこと、地域のこと、そしてオランダの美しさを知った。
それからは何も予定がなければすかさず、街の周りを開拓した。時には自転車で。時には自分の足で。名もない街だと思っていたのに、その美しさには圧倒されるばかりだった。歩いていける距離には森林公園があって、中に入れば山をハイキングしているような気分になったし、湿地があってそこには鳥や水辺の生き物たちが自分たちの生活を作っていた。住宅街の中でさえずっと水路が続いていて、その両脇に植えられた木々が、鮮やかな緑の葉で光の差し込む自然のトンネルを作っていた。
足を踏み入れた全ての場所で、豊かな驚きと発見があった。
土日に予定がないときは、心細く感じることもあった。でも、私が住んでいる地域は驚くほど多様な自然と、人々が真にくつろげるような空間で溢れていて、一人で出かけて行っても、帰りは満たされた気持ちで帰路に就いたものだ。たとえ全ての自然が原生ではなく、後から緑地をデザインしたとしても、ここまで緑が融合した街作りが可能なことを学んだ。インスタグラムで有名にならなくても、心を満たすような内装とゆとりを持って配置された家具でデザインされた素敵なカフェが、街をどれだけ豊かにするかを知った。名の知られていない街だと思っていたのに、ここは世界的に有名なオランダのゴーダチーズの製法が、初めて開発された歴史ある街であることを学んだ。そして何より、自分の足で歩き、自分の目で見ることで、どれだけの数多くの予想外の発見が待っているのかを知った。
今振り返って、素敵な時間だったと思う。先は見えなかった。このままで良いのかと思うときもあった。でも、そこに存在していた美しさに目をとめて、感謝して、吸収した。そしてそれは、確実に今の私を作っている。
落ち込んだとき、このままじゃダメだと思ったとき、どうすればよいかわからないとき、何となく焦りを感じるとき。そんなときも、今目の前にある美しさを、静かに、でもしっかりと、受け止められる生き方をしたい。太陽があること、木々が風に葉を揺らしていること、誰かが想いを持って始めたカフェがあること、少し遠くに行けば、知らない世界が広がっていること。
街にはたくさんのワクワクがある。そしてそれは、あなたが一人でも、そうでなくても、いつでもあなたを歓迎してくれる。
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海外生活経験や、自然に関する研究等を通して培ってきた私なりの視点で、ほっと一息つけるような楽しいエッセイを書いていきたいと思っています。支援いただけましたら、ぜひ活動の幅を広げるために最大限使わせていただきます。