4-31 装飾古墳=高麗人の墓説
私と同じく、装飾古墳=高麗人の墓説を主張した鈴木健氏の『常陸風土記と古代地名』から、引用させていただきます。(P118から)
六 高来と高句麗
高麗と高来
物部の奉斎神「普都大神」が来たという「高来の里」が信太郡にあった(P100)。その「高来」にはどういう由来があるのか。また、物部とはどういう関係があるのか。
先に、オオ族は九州肥の国地方の出身ではないかと推理した。では、物部の根拠地はどこか。
『姓氏家系大辞典』は、「筑後、当国は物部族最初の根拠地にして、当地方の大社、高良山は其の祭祀と考へらる」と述べている。「大社、高良山」は高良山頂(312メートル) にある高良神社のことで、筑後国一の宮であるだけでなく九州総社ともいわれる格式の高い神社で、現在は福岡県久留米市に入っている。
高良山の北麓の御井には筑後国府がおかれた。その西、筑後川の対岸は、かつて肥の国(肥前)であった佐賀県で、そこに三養基郡三根町がある(『肥前国風土記三根郡』に、「物部の郷郡の南にあり。此の郷の中に神の社あり、名を物部の経津神といふ」とあるところだ。その「物部の郷」は、筑後側の高良山の東方にもあった。『和名抄』に、「生葉郡物部郷」とあるそこは、現在、福岡県浮羽郡吉井町生葉に比定されている。
そこから一〇キロメートルほどのところに高井山がある。「昔者、筑後の国の御井川(筑後川)の渡瀬、甚広」いので、景行天皇が「巡狩しし時、生葉山に就きて船山と為し、高羅山に就きて梶山と為して船を作り備へ」(肥前国風土記養父郡)たとされている。その生葉山が高井岳らしく、高羅(良)山とともに尊重されていた様子がこの文而からうかがえる。かつて「物部郷」であった同町には、
であった同町には、筑後の壁画古墳としてはもっとも古い日ノ岡古慣を初めとして、船をモチーフとした壁画を持つ古墳がひしめいている。
九州の壁画古墳は、ここを中心とした筑後と隣の肥後とに集中していて、そのルーツは高句麗に求められる。筑後と言えば、「物部族最初の」といえるかどうかは別にして、少なくとも、初期の「根拠地」であり、肥後はオオの一族「火の君」の支配地だ。その壁画古墳が常陸に移っていた。それは、壁画古墳の習俗を持った集団が東進したことを示してはいないだろうか。そしてそれは、オオや物部であったろうとの推測が成り立つはずだ。そのことについてはあとで詳しく調べることにする。
彼らの主力は主に筑後川や菊池川の流域に展開していた。そこから東進するには、有明海に降り海路を進むことになる。反対に、彼らの根拠地である有明海沿岸に外界から入ろうとするときに、目印となるのは雲仙岳であった。それは『肥前国風土記高来郡」に「高来の峰」とある山だ。『和名抄』に郡名として「高来多可久」とあるように、タカクと読む。同書によれば、肥前国には小城郡にも高来駅、高来郷があった。
朝鮮半島には二つの高麗があった。一つは九一八年に建国され一三九二年に滅亡した高麗(コリョ)で、朝鮮の英語名のぎkorea はそのコリョによる。日本ではそれをコウライと呼んでいた。他の一つは紀元前一世紀中ごろから六六八年まで続いた高句麗のことで、『古事記』や『書紀』ではそれを高麗と書いてコマと読み、また、狛や場合によっては駒の字を当てることもあった。高来は、高句麗のことである後者の高麗を音読したコーライの当て字で、それを訓読みしてタカク。そのうえ、字義どおり高麗から来たという意味も含まれていたかもしれない。
『万葉集』では「肥人の額髪結へる染木綿の染めにしこころ、われ忘れめや」(2496)と肥人(肥の国の人)をコマヒトと読ませている。それは「玖磨人。九州玖磨地方の人」と頭注にあるが、高麗人で高句麗人のことではないかという説もあるほどだ。そうであればなおさら、「高来の峰」はそのコマヒトたちが高句麗から来た記念に命名したと考えたくなる。
そして、まさか、と思われるかもしれないが、「玖磨人」ばかりではなく玖磨川、熊本のクマにしてもそのコマの転かもしれないのだ。
また、神奈川中郡大磯町は、六六〇年に高麗王若光の一族が高句麗から移住してきた地である。そこには高麗神社があったが、一八九七年に高来神社と改名されたものの、大字名には高麗が残っており、裏山は今も高麗山である。
そのようなことから、普都大神をいただく信太郡の「高来の里」も同じく高句麗にルーツを持つ人たちの来住による命名と考えたい。ということは、物部と高句麗とはただならぬ関係にあったということになる。「高久郷」の久も、高来の来の当て字、類似の高木の木も、来の別訓キの当て字と考えることができよう。肥前国佐賀郡高木邑(佐賀市高木町)がある。あるいは「高木の神はタカミムスヒ神の別の名ぞ」と『古事記上』にある。威厳のあるこの神の別名にしてはあまりにも庶民的過ぎるこのタカギの神は、高来すなわち、高句麗の神ということにはならないだろうか。
なお、現在の高来の読み方としては、長崎県北高来(タカキ)郡高来(タカキ)町、福岡県行橋市高来(タカク)、富山市高来(コウライ)などがある。
