4-28 熊本がクマの国であり、火の国であることの説明 金思燁著『トンカラ-リン 狗奴国の謎』より引用
私は「装飾古墳は高句麗武人の墓説」を何度もこのFacebookに投稿しています。かなりの反響はありますが、圧倒的な支持までは得られていません。私の力不足ですが、最近、金思燁著『トンカラ-リン 狗奴国の謎』を読み返して、しっかりと重要なことが書かれていることを再認識しました。金思燁先生の見識はもっと世に知られるべきであろうと思います(但し、時代的な制約で金思燁先生も高句麗人渡来の時期など間違ったところはあります)。以下、同著からの引用です。
P166
肥(火〉野国は肥(コマ)の国である
(1)国名―「肥」の国の語義
熊本県の沿革を説明してある文献には、どの文献も一様に、「古くは火の国といい、九世紀ごろには火の国・阿国・葦北国・天草国に分れた」とか、肥後の由来については「古くは火の国と呼ばれていたのが、大化改新(六四六年)によって肥前と分けて一国となった」という説明が書かれてある。これによると、もっとも古い呼称が「火」の国で、のちに「肥」後とか「肥」前に書きかえられたという解釈である。
しかしつぎの記録は右の説明とは逆な見方である。すなわち、金沢庄三郎の『日鮮同祖論』の中のつぎの一文にそれを述べている。
”万葉集の旧訓に、肥人をコマヒトと訓み来っている。・・・・契沖の『代匠記』に肥人をコマヒトと点ぜるは高麗人の意か。肥をコマと訓める意いまだ知らず、」とある。”
これでみると、『万葉集』では「肥人」を「コマヒト」と訓んだことがわかる。それに「肥」を「コマ』と訓むわけは上の両学者は知っていないらしい。いったい「肥」という字の訓を「コユ」と読む例は『万葉集』の中に見えている.
戯奴(わけ)がため わが手もすまに 春の野に 抜ける茅花そ 食して肥えませ<万葉集八・一四六>
(お前さんのために一所懸命手を働かせて春の野で抜いたツバナです。召しあがっておふとりなさいませ)
「肥」を「コマ」とよむわけを説明しよう。上の歌のように「肥」の日本語は「コユ」である。
朝鮮語の「肥」の訓、動詞では「コル」(거르)であり、名詞は「コウム」(거음)である。両国語とも「肥」の語の語根は/k/子音をもっている。しかも両国語は対応する。古代語において、ある用言をを体言にするには、語によっては、語根または語源に/m/子音を添えると体言になる。この法則は日・朝両同語が共通している。
注:金先生は「肥」は動詞では「コル」(거르)であり、名詞は「コウム」(거음)であると書かれていますが、動詞が「コル」(거르)なので名詞は一応で「コルム」(고름)となるはずです。しかしr音は抜けやすく「コウム」(거음)になるのです。これは容易にコム、コマに転音します。
日本語 asa(浅)→asamu(嘲)、iso(忙)→isamu(勇)
朝鮮語 čim(負)→čim(荷物)、kəl(歩)→kəlem(歩調)
このように「肥」の語根「コ」を名詞化すると、つぎのようになる.
日本語 ko-yu→ko-yu-mu→ko-mu→koma
朝鮮語 kə-ïm→kə-mï
両国語ともに「肥」の名詞形は「コム・コマ」となって一致するのである。「肥」が『コマ』と読めるわけが言語学的に証明されたわけであるが、もう一つ問題となるのは、「火」の訓を万築仮名では「肥」の字を使い(記中)、Fei音をあらわしていることである。これは何を物語るかといえば、古代において「熊本」を「肥の国」と書き「コマノクニ」と訓んでいた。それがのちになって「肥」を訓で「コマ」と訓むのを忘れてしまって、「肥=火」でもあるから、
「肥」を「ヒ」と音で読みながら「肥」を「火」の字に書きかえたのである。したがって、上の「熊本県」の沿革の説明文の中で「古くは「火の国であった」というのはまちがいであって、「古くは肥(コマ)の国であったのが、のちに火の国と呼ぶようになった」と訂正しなければならない。「熊本」は「火の国」ではなく、文字どおり「熊国の本」なのである。
コマ国とは高句麗のこと
「コマ」を「熊・球磨・隈」などの字を当てているのであるが、では、この「コマ」は何をな議する語であろうか。それが高句麗をあらわす語であることを、文献の記録を中心にして証明してみよう。
『日本書紀』・『万葉集』などには「高句麗(高麗)」をいちように「コマ」と読んでいる。『万葉集』には「巨摩」の字を当てている(万一四・三四六五)。つぎに、この「コマ」の由来、語義に関する学説のうち、史家の李丙燾、言語学者の梁柱東両博士の見解を紹介する。
「コマ」の由来と語義 文献をとおしてみると、わが民族の根幹は中国の古典にあらわれる貊(貉)、または濊貊(濊貉イエメク)と書かれているのがそれである。貊はすでに詩経(叫矧)・論語(街滋公)・中庸・孟子などの書にみえている一方、濊貉(濊貊)は史記(匈奴伝・貨殖伝)などややあとの書に出始めてじめている。それがさらにあとになると、ただ単に濊(あるいは政)の略称だけが出ている。いったい貊または濊貊という名称は-彼らの居住地名、または国名がつくられてからは-その意味がせばまれて、単なる部族名、種族名となってしまった。しかし、もともとこの語はわが先民を総称する語であったのである。
「濊貊」と漢字で書いたのは、朝鮮語であった呼び名を中国人が漢字音で表記したものである。「濊貊」の字の現代中国語はHouei-maiであるが、古代音ではKhouei-maiであったと思う。なぜかというと日本語では昔から「貊」の字と、この貊がしだいに大きくなって建てた国の名の「高麗(高句麗)を、ともに「コマ」と訓んでいる。「コマ」という語音は、濊貊族自身が自分たちを「ケマ・コマ」と呼んでいたから、中国・日本の人もそう訓んだのである。すなわち濊貊人たちが自分の種族を「ケマ」・「コマ」などといっているのを中国人が聞いて、「貊」または「濊貊」とか「蓋馬」などの字で書き.これを古代日本人は「コマ」と訓んできたのである。いずれにせよ原朝鮮民族の称号は「ケマ・コマ」であり、これを彼らは自分たちの住んでいた所の山名・地名・水名にも使ったのであった。
では、つぎにこの「コマ・ケマ」という語の意義は何であろうか。それは、「神・上・大・神聖」などの義をあらわす朝鮮語の「カム・コム」(감、금)であり. この語は日本語の「カミ」(迦微・神)とも一致する語であり、アイヌ語のka-mui(神・熊)とも共通する。
だが、この語の原義はやはり熊をあらわす語「コム・コマ」(곰・고마、kom・koma)から由来したと思われる。なぜかというと、古代人が「貊・熊」を神聖視して、この動物を彼らの守護神・祖先神として崇拝していたトテム(Totem)思想から派生したものと思う。かかる熊トテム制は東北アジアの諸民族社会では広く行なわれていたものである。
貊(貉)は、『説文』に『北方豸種」とあり、『字典』には「熊に似た動物」であると説明している。ともかくわれわれの祖先は中国北方に生活の根拠を持っていた時期には、熊に似た貉を朝鮮語で「ケマ・コム」(겨마、곰)と呼び、それを優勢的なトテムとして信じていたのが、満州から半島方面へと東進するにつれて、貊の代りに熊を「ケマ・コマ」と呼び、それを代表的トテムとして神聖(先祖)視したのであろう。壇君神話にあらわれる熊女の存在とあわせ考えてみればよくわかる。わたしは熊女を熊トテム族の女性であると見るのであるが、神話では熊は人身に化けるけれども、虎はできなかった。これは熊卜テムが虎トテムより優勢であったことを物語るものである。要するに、中国古典にはじめてあらわれるわれわれの族名を貊(貉)でもって表記しているのは、貊(コマ)トテム種族であったからで、また、漢代から穢貊あるいは濊貊と書かれているのは「ケマ・コマ」の音を表記したのにすぎない。後世の史家たちは、濊と貊とを区別して、二つの種族にわけて考えているが、これは大きなまちがいである。
ともかく濊貊族は、彼ら自身(種族)を「ケマ・コマ」と呼び、それを彼らの人名・地名にまで使ったのであるが、これはあたかも古代ギリシャ人が彼ら自身をHellenes(神聖族)といい、彼らが移住していって住むところ(土地)をHellasと呼んでいたのと同じである(『韓国史』「古代篇」)。
コマの語義は神(女神)
「コマ・ケマ」の語義を梁柱東は言語学的な立場から別の解釈をしているが「ケム・コマ」の語義が「神(女神)」であると見る点は共通している。
北方諸族(夫余・高句麗・東妖沮・濊)は一様に「日」(へ)を伝統的に尊崇してきた.「カム」(kam→kami)の語の語源は、「玄・黒」(カム・コム)であるが、それが音韻的変化をして(名詞化するために//を添尾して)形成された語である。
xaj→kaj→kaim→kam
「カム」は「神」をあらわす語になったものである。この語は王をあらわす語、「尼叱今・寐錦・上監」などや地名などにも使われている。この「カム」を古文献には、いろいろな借字をあてていて、「解慕・蓋馬・乾馬・金馬・倹・錦・今」や、訓であらわす字として「熊、黒」などの宇もある。壇君神話の熊女誕生説話は「カム・コム」の語が熊の語「コム」と類似した音であるから生れた説話である(「古歌研究」・序説)
以上の両説からして古代の北方朝鮮人は自分たちを「コマ・ケマ」と称していたこと、彼らの居住地の地名・水名・山名にそれをつけていたのはもちろん、他所へ移住していっても、その新天地にやはり同様の固有名詞を使っていた由来がわかった。今、「コマ」を九州では古代において「肥・球磨・隈・熊」などの字をあてて使ってきたのであるが、これはやはり「高句麗」(高麗・貉・貊)を「コマ」と訓んだのと一致していて、「肥の国」こそ「高句麗(あるいは高句麗族)国」をあらわしていることになる。
P192
船山古墳がある台地一帯を「清原」と書いて「せばる」と呼んでいるのは意義が深い。
*「せばる」は「東原・新地」などの意義をあらわしているが、とくに「首都」の意に用いるばあいが多い。新羅の首郡の慶州を新羅時代には「セバル」と呼び、漢字では『徐伐、徐耶伐』などと書き、これは国号にもなっている。現在、韓国の首都「ソウル」(서울)の語も「セバル」の転訛した語である。この「セバル」を水名・地名にした例が九州中部にもみえる。「不知火・白川・瀬川」などがそれである。「不知火を「シラ・ヌ・ヒ」と読んでいるものの「シラ」は「セ」と同じく、「東・新」を表す語、ヌは「奴・内」などの当て字で書くばあいもある語で「土・国・部落」の義と「川」の義とがある。「火」を「ヒ」と読んでいるが、これが地名には「バル」(原)と同意である。
竭火、屈弗、今蔚州(『三国遣事』巻五・句稽子)
阿火 古作阿弗(『世界実録』・地理・慶州)
「シラ・ヌ・ヒ」は「新(東)野原」をあらわした地名である。
「バル」は/p/音が脱落した形の「アル」にも転移し、やはり地名に使われる。「有明海・荒尾」のばあい、「アリ・アラ」はともに「バル」と同意語で、「有明海』は「光明海」をあらわしている。
P233 (以下は江田船山古墳やトンカラ・リンがある地域の地名についての説明ですがトンカラ・リンの謎を考える場合、こうした地名についても考えることが必要だと思います)
玉名 「タマナ古くは玉杵名、玉伊名」の語義は、「タマ」は朝鮮語の「トム」(둠)で、「円・四囲」の意。「ナ」は、「奴・奈」などの字で書かれる語で、「国・地方・邑落」の意。これは三方が山にかこまれ、一方が川か海に面している地形の地名に多く使われている。
清原 「セバル」は上の固有名詞条で述べたとおり、「光明・新地・広野」の意をあらわす語で古代の東夷諸国は、首都名に「セバル」の名称を多く用いている。日本のばあい、豊葦原国」という美称の「葦原」もこの「セバル」と同音同意語である。
鶯原 「ウグイス」の朝鮮語は「コェコリ」(괴고리)「高句麗」(コクロ)と同音である。
禿山 この山の頂上に巨岩があり、陽物に似ている。土地の人は「ドンペン」(男根)とも呼んでいる。岩の表面に鉄劔などを磨いた跡が無数にある。賀来寿一氏は、古代の武器を造った人が、ここで砥ぐことによって剣に入魂をした痕跡だとみている。「カムロヤマ」の語義について、井上秀雄教授は「カムロ」を「神座」つまり「岩倉」(磐座)と解いている。しかし「禿山」と同名の山名が高句麗にもあり(『三国史記』・高句麗本紀・広開土王条)・「地理志」の高句麗の地名、「鎮」の古名を「今勿」といっていて、今勿は「カムロ」である。そして語義は「鎮」つまり「しずめ」で、「かむろやま」は「守護山」の意になる。
