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福生駅~拝島駅(福生市)de ブラspiritwind♪~福生駅・堂川湧水・田村酒造・東京の名湧水57選 no41.清岩院・ほたる公園・熊川神社・石川酒造・多摩川 etc

2026.3.12 福生市へ湧水探しに出かけました♪


JR福生駅

JR福生駅から北西方向
JR福生駅・東口
JR福生駅・東口
西友と直結しています。思ったよりも大きな駅です。
JR福生駅・西口
こちらは普通な感じ。東口が賑わっているのですね。

福生神明社 & 堂川湧水

線路沿いを北西方向へ。途中から南西方向へ。
高崎治平翁頌徳碑
高崎治平翁頌徳碑は、福生市の養蚕業を近代化へ導いた人物
・高崎治平(1855–1937)の功績を称えて昭和11年(1936)に建立された、市登録有形文化財の記念碑です。
その石碑の左にあった「䗝影山大権現(こかげだいごんげん)」の石碑
蚕影神社ですね。
左側の石垣沿いに進むと・・・神社、更に、水の音が・・・・・

ちなみにショートトリップの散策エリアに入ると、普段聴いているラジオは遮断しています。五感のすべてで、その土地に集中したいからです。これは、マインドフルネスにも通じます^^

堂川湧水
・昭和38年頃まで「堂川」という小川が流れていた。
・水源はこの辺りであったが付近の土木工事で水源と小川は消滅。
・地域住民から復活を求める声により井戸揚水を使って再現。

💧 堂川湧水は「枯れた」けれど、“水脈そのもの”は死んでいない
• 昔のように自然湧出はしていない
• しかし地下にはまだ水脈が残っている
• その水脈に井戸を打ち、地下水を汲み上げて流している

看板&copilot
この境内下から、ものすごい勢いで水が湧き出て流れていました♪
境内上部より。
その小さな湧水公園の脇に「薬師堂」がありました。
臨済宗・建長寺派・玉雲山長徳寺のお堂なんですね。
さらに境内に入ると境内社・稲荷社がありました。
長沢稲荷大明神

この神社を正面より入りなおします。

福生神明社・正面鳥居
手水舎
広い境内が気持ち良いです。南西方向は開けていて崖地の上であることが解ります。
拝殿

立派な拝殿で驚きました。拝殿全体の色合いも明るく落ち着いていて素晴らしかったです^^

拝殿前のアカマツ 綺麗に剪定されていました。
本殿と神楽殿
左は社務所
御神木のクスノキ。ちょうど堂川湧水の上です。

福生神明社とは?(ふっさ しんめいしゃ)
福生市の中心に鎮座する、地域の“総鎮守”としての役割を持つ神社です。
明治7年(1874)、福生村に点在していた複数の鎮守社を一つにまとめて創建され、天照大神を中心に7柱の神々を祀る、福生の精神的な核となっています。

by copilot
御神木の近くの表忠碑

表忠碑(ひょうちゅうひ)」の“表(ひょう)”は、“あらわす・示す”という意味の漢字です。つまり、
🪨 表忠碑=忠(ちゅう)を表す碑
(忠義・忠節・忠誠を“表明する”ための碑)という意味になります。

📝 なぜ「忠」を“表す”
必要があったのか
これは 明治〜昭和初期の国家体制と深く関係しています。
当時の日本では、• 天皇への忠誠• 国家への忠節• 戦没者の顕彰• 出征兵士の名誉、これらを 「村として表明する」 ことが重視されていました。
そのため、全国の村々で
• 忠魂碑(ちゅうこんひ)• 忠霊塔(ちゅうれいとう)• 表忠碑(ひょうちゅうひ)といった石碑が建てられました。

by copilot

参拝後、さらに南西方向へ。

長徳寺

瓦塀(かわらべい)のお宅がありましたよ。この日は、蔵のある家も幾つか見ましたね。
玉川上水を越えます。玉川上水の起点もここから結構近いです。
左は田村酒造・右が長徳寺
長徳寺・山門
長徳寺・本堂
お堂前のこのサークルは???
これは 長徳寺の「手水鉢(ちょうずばち)」が置かれていた“手水場(てみずば)”の跡 です。byコパちゃん。
福生観音
綺麗なお顔です^^
xiaomi15ultraで撮っていますが、思いっきり逆光なのに頑張ってますね^^

臨済宗・建長寺派・玉雲山長徳寺
🕰️ ■ 創建:室町時代(15世紀頃)

文献が少ないため正確な年は不明ですが、福生村が形成される中世後期(室町時代)に開かれた寺院とされています。
臨済宗の寺院がこの時期に置かれるのは、武士勢力や村落の中心地に“精神的な核”を置くため

先ほどの福生神明社の薬師堂は、こちらのお寺の管理です。

田村酒造

お寺の前には田村酒造がありました。
玄関に入ると、直ぐに田村酒造の若い方が来られて簡単に説明してくれました。感謝感謝^^
田村酒造の煙突は、大正期(1918〜1922年頃)に建てられた“八角形の煉瓦煙突”で、帯鉄で補強された酒蔵の象徴的建造物です。酒造工程で使う蒸気ボイラーの排気用でした。 現在は“モニュメント”として残されており、実際の煙突としては使われていません。八角形の煉瓦煙突は非常に珍しいそうです。

🍶 田村酒造場とは
■ 創業
1822年(文政5年)創業
• 田村家9代目・田村勘次郎(賢真)が酒造業を開始
■ 田村家とは
• 江戸時代、福生村の名主を代々務めた旧家
• 村政・地域運営の中心的存在
■ 銘酒「嘉泉(かせん)」の由来
• 敷地内の大欅(おおけやき)の根元から湧き出した泉を発見
• その“良き泉”にちなんで酒名を「嘉泉」と命名

■ 現在
• 東京で伝統的な酒造りを続ける数少ない蔵元のひとつ
• 酒蔵・前蔵・雑蔵など5件が国の登録有形文化財

by copilot
ここから水が沸いていました。
この流水について
玉川上水の一部を田村分水として家敷内に引き入れ水車を廻していた。
この流水はその分水の一部を地価を通し貯水池に引水し昭和中期ごろまで酒蔵の雑用水として利用されていたものです。

田村酒造は「湧水 → 分水(玉川上水)→ 井戸水」と水源を変えてきた
つまり、
1.創業初期(江戸末〜明治初期)
敷地内の湧水(大欅の根元の泉)を利用
→ これが「嘉泉」という酒名の由来

2.明治〜昭和中期

玉川上水からの「田村分水」を敷地内に引き込み
→ 水車を回し、雑用水として利用
→ 分水の一部を地下の貯水池に導水して使用

3.現在
酒造りの仕込み水は 地下深井戸の伏流水(奥多摩系)
→ 分水は景観・文化財的に残るのみ
こういう“水の変遷”があるんです。

🧩 では、なぜ後に分水を使うようになったのか?
■ 湧水の水量が不安定になった
• 大欅の根元の湧水は小規模
酒造りの規模拡大に追いつかない
• 村の開発で水脈が変化
■ 分水は“動力源”として優秀
• 水車を回せる
• 雑用水として大量に使える
• 敷地内の水路景観も形成
■ 酒造りの仕込み水は別に確保
• 深井戸の伏流水(奥多摩系)を使うようになる
• 現在の嘉泉の味の基盤

by copilot


洗い場跡 田村分水に残る洗い場跡。
竹を縄や針金でまとめて円形にしたものは、 農家や果樹園でよく使われる 伝統的な堆肥枠 。

玉川上水に沿って南側を南東方向へ。風もなく陽射しは結構強烈でしたが、気持ちよかったです。


東京の名湧水57選 no41.清岩院

清岩院に着きました。

山門
寛政時代(江戸時代の中期後半)の石碑群
水路には水が良く流れています。
境内
本堂でお参りしました。
弁天堂
美しい池です!!!!!
立っていると、どんどんが寄ってきます^^
弁天堂の裏手から湧水が流れ込んできています。
この湧水の箇所はお寺をお掃除されている方にお聞きしました。
子どもの頃、庭のように遊んでおられたそうです。この湧水地点は個人宅の敷地内?のようでした。
ここから池へ流れ込んできています。水量はかつてよりは減っていると云われていました。

👉 臨済宗建長寺派 福生山 清岩院

📜 創建の背景(応永年間 1394–1428)
• 開山:心源希徹禅師(建長寺70世)
• 開基:清岩院一便宗見大居士
• 創建:室町時代初期(応永年間)
• 旧称:青蓮寺(しょうれんじ)
• のちに中興開基・加藤重正の法名「清岩院」から現在の名に改称

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綺麗な湧水の池を堪能した後、中福生公園(清岩院からの湧水の流れる公園)に立ち寄るのを忘れ^^;更に玉川上水の南の「せせらぎ通り」を南東方向へ。

せせらぎ通り

せせらぎ通りは、このような崖下を通っている道路です。

暫く進むと・・・・水音が聞こえてきました。

縞屋の滝

縞屋の滝

清岩院の湧水
↓ 中福生公園(湿地状の平場)
↓ 下の川緑地
縞屋の滝(段差で落ちる)
↓ ほたる公園(湧水の最下流)

by copilot

崖地上には玉川上水が走っていますが、この滝は玉川上水からのものではなく、清岩院の湧水が落ちている滝ということですね。

その滝の水は対面の福生市立福生第七小学校へ入っているようです。
ここはビオトープとなっていました。
凄い崖地です。ここからも水が流れています。
下の川緑地・せせらぎ遊歩道公園となっていますね。
もう、あちこちから水が流れ落ちていましたよ。

暫くせせらぎ通りを歩くとほたる公園がありました。

ほたる公園

ほたる公園は、福生の中でも「北側崖線湧水群」と呼べるほど湧水点が密集しているエリア。
特徴は:
• 崖線の高さがある
• その下に砂礫層が厚く、水を通しやすい
• 地下水が崖の“切れ目”から自然に湧き出す
• 湧水量が年間を通して安定している
• 水温が一定(ホタルの幼虫に最適)
つまり、清岩院の湧水とは“別の水脈”がここで顔を出している。

by copilot
ホタル幼虫の飼育エリア
この辺りからも湧水が^^
なんと、ここではホタル幼虫の餌、カワニナを飼育中
カワニナ(川蜷)とは、ホタルの幼虫が食べる“唯一のエサ”になる淡水の巻き貝

ゲンジボタルとヘイケボタルの生息域等に違いについて

ホタル(ゲンジボタル)は、**湧水のような“冷たくて清らかな流れ”**でしか生きられない。
条件は:
• 水温が年間を通して一定(10〜15℃)
• 流れが弱い
• 水が澄んでいる
• カワニナが生息できる
• 農薬が流れ込まない
• 湧水量が安定している

ほたる公園はこれを全部満たしている。だから、人工的に整備したのではなく、もともとホタルが棲める環境だった場所を保全している

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**ヘイケボタルは、ゲンジボタルよりも“生息条件のハードルがかなり低い”**
だから、都市部の用水路や田んぼの名残でも生きられるし、福生のような湧水地帯では“ゲンジより下流側”に出やすい。

🔥 ヘイケボタルの生息条件(かなりゆるい)
✔ 水質
弱い汚れでもOK
• 生活排水が少し混じる程度なら生きられる
• ゲンジほど「超清流」でなくてもよい
✔ 水温
• 変動に強い
• 夏に水温が上がっても耐える
• 冬の冷え込みにも比較的強い
✔ 流れ
• 止水〜緩やかな流れでOK

• 田んぼの水路、ため池、湿地などでも生息可能
✔ エサ
• ゲンジは「カワニナ限定」だけど
ヘイケはタニシ・モノアラガイ・ミズミミズなど“雑食”
• だから生息範囲が広い

by copilot
ホントに水がキレイ^^

ほたる公園でも湧水を堪能して、せせらぎ通りを更に南東へ。

しばらく崖地が続きますが湧水はなくなったような・・・。
JR五日市線のガードを越えると富士見公園
ふむ・・・・湿っていますが水流は無いですね。
せせらぎ通り沿いのこの水路も水の流れは有りません。
ここも水量があればちょっとした小さな池になるのかな。

この先、せせらぎ通りを離れて崖地を上がりました。崖地の上に井戸跡がありました。

地頭井戸

江戸時代から昭和30年代まで地域の共同井戸として使われていました。

更に直ぐ南に神社があったので参りました。

熊川神社(都内で2番目に古い神社本殿)

境内を取り巻くように水の流れがあります。いいですね~^^
玉川上水からの熊川分水です。田村酒造で見たのは田村分水でしたね。
綺麗な流れでしたよ。この神社の北川の玉川上水から分岐して熊川分水となっているのですね。
境内
拝殿
社務所と神楽殿
境内社 天神社と稲荷社 どちらもキレイにされています。
福禄寿、毘沙門天・・・境内には、七福神の石像が点在していました。
なかなかゴツイ狛犬でしたよ^^
拝殿
本殿
なんか古そうな本殿だなあと思ったら都内で2番目に古い神社本殿だって!!!!!

🏛️ 熊川神社の創建(平安時代初期)
創建:平安時代初期(9世紀頃)
起源:多摩川で産鉄を行っていた部族が、鉄神として宇賀神(白蛇神)を祀ったことに始まる。
つまり、熊川神社は“水 × 鉄 × 蛇(宇賀神)”の信仰から生まれた神社。

🐍 宇賀神(白蛇神)とは?
• 穀物・水・財の神
弁財天と習合
白蛇として表現される
• 水辺・湧水・湿地に祀られやすい
熊川神社の起源が宇賀神なのは、多摩川の砂鉄採取と湧水の存在が背景にある。

🏯 その後の歴史(神仏習合 → 村の鎮守へ)
■ 神仏習合の時代
• 宇賀神(白蛇神)
• 弁財天
• 大黒天(大国主命)
• 薬師如来
などが同じ境内で祀られるようになる。
■ 江戸時代
熊川村の鎮守となる
• 名称は「礼拝大明神(らいはいだいみょうじん)」
■ 明治3年(1870)
神仏分離により 「熊川神社」へ改称

👑 御祭神(現在)

• 大国主命(大黒天)• 市杵島姫命(弁財天)
さらに、• 毘沙門天• 恵比寿• 福禄寿• 布袋• 寿老人を合わせ祀り、
福生七福神の一社にもなっている。

🏛️ 本殿(慶長2年・1597年)
• 現存する本殿は 1597年(慶長2年) の建築
• 東京都指定有形文化財
• 都内で2番目に古い神社本殿
戦国末期〜江戸初期の建築がそのまま残っている貴重な建物

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この無造作に石が置かれているか場所に惹かれました^^
境内社・琴平神社
境内にあった「村人の資料館」

とても良い神社を参拝することができました。崖線上の先端なのか調べたら、
「国分寺崖線の延長線上にある“立川段丘の縁(崖線)”」=先端部の一つ
だって^^
その後、先日、行き損ねた石川酒造へ。

石川酒造

拝島駅にあった看板
ここですな^^
ここにも熊川分水が来ていました。
入口
熊川分水は酒造の敷地内に入っていました。
立派な巨樹が2本
間に大黒天・弁財天の祠
石川酒造 直売店 酒世羅(さけせら)
大きな酒樽や懐かしい郵便ポスト 左側は食道 いし川
イタリアンレストラン 福生のビール小屋
麦酒釜の館 ビール窯
石川家のケヤキ
ビール工房
イタリアンレストラン 福生のビール小屋にて
平日の13時過ぎでしたが店内は満席。外の日影のエリアで^^
そういえば、駐車場には車がたくさん停まっていました。地元で人気なんでしょうね。
赤い調味料は唐辛子入りのオリーブオイル
「ささにごり」という季節限定の日本酒を頂きました。
名前を顕わしているようなお酒。美味しかったです♪
なんと、東京都庁で飲んだTOKYO BLUES クラフトビールは、ここで造られていたのでした^^
日替わりランチ アサリとキャベツのパスタ
美味しかったです♪

石川酒造は、文久3年(1863)創業、福生・熊川にある“名主石川家”が営む老舗酒蔵で酒造・ビール醸造・文化財・水文化が一体化した巨大な蔵屋敷。

🏯 石川酒造とは(要点)
• 創業:文久3年(1863)
• 場所:福生市熊川(熊川神社のすぐ近く)
• 経営:代々熊川村の名主・石川家
• 主力銘柄:多満自慢(たまじまん)
• 地ビール:多摩の恵(明治21年に日本麦酒を醸造した歴史あり)
• 敷地:3000坪以上、長屋門・蔵など6棟が国の登録有形文化財

🕰️ 歴史の流れ

■ ① 江戸時代:名主・石川家の時代
• 熊川村の名主として治水・村政を担う
• 多摩川の氾濫対策や鮎の献上などの“御用”を務める
• 村の中心的存在(庭場=庄屋)
この時代からすでに「水を扱う家」=治水・水利の中心だった。

■ ② 文久3年(1863):酒造業を開始
• 最初は多摩川対岸の小川村(現あきる野)で森田酒造の蔵を借りて醸造開始
• 商標は「八重桜」→「八重梅」→「多満自慢」へ変遷

■ ③ 明治13〜16年:現在地・熊川へ移転
• 明治13年(1880)に熊川へ蔵を建設
• 明治16年(1883)に完全移転
• この時の蔵・長屋門が今も文化財として残る

■ ④ 明治21年:ビール醸造を開始
• 「日本麦酒(JAPAN BEER)」を製造
• ドイツ式ラガー
• 年間300石を醸造したが、瓶の破裂など技術的問題で2年で中止
※日本のビール史の“かなり初期”に参入していた。

■ ⑤ 平成10年(1998):地ビール復活
• 「多摩の恵」として再スタート
• 現在はレストラン・資料館・庭園を含む複合文化施設へ発展

by copilot

今日、巡った田村酒造と石川酒造の比較をコパちゃんにしてもらいました。

田村酒造と石川酒造の比較

田村酒造と石川酒造は、同じ福生にありながら“水脈・地形・家の役割・酒の性格”がまったく違う、対照的な二大酒蔵。

• 田村酒造=湧水の蔵(自然水脈 × 村の中心 × 伝統)
• 石川酒造=分水と伏流水の蔵(名主 × 水利 × 文化複合体)
同じ福生でも、水の出どころが違う → 酒の性格が違う → 屋敷構造も違う

田村酒造と石川酒造の比較

南稲荷神社

石川酒造の前に鎮座しています。

南稲荷神社は、石川酒造の“門前守護”として存在してきた小さな稲荷社で、境内の《大ケヤキ(福生市天然記念物)》と《膳椀倉(東京都指定有形民俗文化財)》を持つ、とても密度の高い神社です。
石川酒造の歴史・熊川村の生活文化・分水の水文化がすべて凝縮されています。

🦊 南稲荷神社とは
南稲荷神社は、熊川村の名主・石川家の屋敷(現・石川酒造)を守護するために祀られた稲荷社。創建年代:不詳(江戸期以前と推定)
つまり、
屋敷神(やしきがみ)
商売繁盛・酒造繁栄の守護
• 村の共同体の象徴
として機能してきた神社。規模は小さいけれど、“熊川村の精神的中心のひとつ” と言える存在。

🌳 1. 大ケヤキ(福生市天然記念物)
• 幹周 4m以上
樹齢数百年
• 神社の象徴であり、熊川村の“生命の木”
• 参道が ケヤキの根を傷つけないように盛り上げて作られている
この“根を避けた参道”は、村人が木を神として扱ってきた証拠。

🏺 2. 膳椀倉(東京都指定有形民俗文化財)
南稲荷神社の境内にある「膳椀倉」は、明治16年築の蔵で、中には 984点の膳椀 が収蔵されている。
これは、• 村の冠婚葬祭で共同利用• “村の共有財産”として管理• 稲荷講が維持してきた文化という、熊川村の共同体文化の生きた証拠。
東京でこれほどまとまって残る例はほとんどない。

by copilot

その後、多摩川が見たくて南下しました。

どうどうの滝

どうどうの滝 この流れは熊川分水のもの。このまま旧玉川水道(旧堀)へ。その水路は多摩川へと合流していきます。
旧玉川水道(旧堀)北方向
旧玉川水道(旧堀)南方向

多摩川緑地福生南公園

多摩川緑地福生南公園 奥が多摩川
手前は福生南公園ビオトーブ
多摩川
流れが穏やかで気持ちよかったです♪
広々としていてとても気持ちよかったです♪
この池は人工的なものですがなんか気持ちいい♪
その後、熊川団地前のバス停があったので、ここから拝島駅へ行って帰りました。
この日のショートトリップ地図
標高地図 多摩川の崖線に沿って南へ歩いたことが解りますね。

この日は16000歩。陽射しが暑いくらいで気持ちよかったです。湧水も多かったですね~。楽しかった^^

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