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「やりたい」は、もう決裁済み。── 私の頭の中で繰り返されていた「大人会議」

大人になると、「できない理由」が上手になる

若い頃の私は、「やりたい」と思ったら、とりあえずやってみる人でした。気になる場所があれば行ってみる。会ってみたい人がいれば会いに行く。知りたいことがあれば調べる。面白そうだと思えば、まず飛び込んでみる。

もちろん、それでうまくいったことばかりではありません。むしろ、勢いだけで突っ込んで失敗したり、周りが見えなくなったり、思い通りにならなくて傷ついたり。振り返れば、「もう少し考えてから動けばよかった」と思うこともたくさんあります。

そんな経験を重ねるうちに、私も少しずつ「大人」になりました。
何かをやりたいと思ったとき、一度立ち止まって考えるようになったのです。
「前にも似たことをやったけれど、うまくいかなかったよね」
「そんなに簡単な話じゃない」
「お金はどうするの?」
「周りからどう思われる?」
「始めたとして、本当に続けられる?」
経験を重ねれば、見えるものは増えていきます。

若い頃には想像できなかったリスクもわかる。勢いだけではどうにもならないことも知っている。いろいろな人を見てきたからこそ、「こうすれば必ずうまくいく」なんて単純なものではないことも知っています。

それはきっと、経験を積んできた証でもあります。
だから私は、自分が以前より慎重になったことを、「大人になったから」「いろいろわかるようになったから」だと思っていました。けれど、最近ふと気づいたことがありました。

私はいつから、経験を「どうやったらできるか」を考えるためではなく、「なぜやらない方がいいか」を説明するために使うようになったのだろう。

過去にうまくいかなかった経験があるから、やめておこう。難しさを知っているから、もう少し考えよう。リスクが見えるから、今は動かない方がいい。どれも間違ったことを言っているわけではありません。むしろ、経験があるからこそ、とても論理的に説明できます。

だから厄介なのです。
「やりたい」という気持ちが生まれても、その直後には、それを止めるためのもっともらしい理由をいくつも並べられる。
そして考えて、検討して、分析しているうちに、最初にあったはずの「やってみたい」は、いつの間にか小さくなっている。

最近、「昔に比べて、自分は熱量がなくなったな」と感じることがありました。でも、本当に熱量そのものがなくなったのでしょうか。

もしかすると、火が消えたのではなく、火がつくたびに、それを消すための理由を上手につくれるようになっただけなのかもしれない。

そんなことを考えるきっかけになったのが、先日参加した、投資家・藤野英人さんの新刊『「日経平均10万円」時代に備えろ』の発売記念イベントでした。そこで聞いた「日本企業」の話が、なぜか私には、他人事とは思えなかったのです。

「大企業病」は、会社だけの話ではなかった

先日、投資家・藤野英人さんの新刊『「日経平均10万円」時代に備えろ』の発売記念イベントに参加しました。長年、日本企業や経営者を見続けてきた藤野さんのお話の中で、特に印象に残ったことがあります。

それは、2000年代頃の日本企業の経営者についてのお話でした。当時、大企業のトップまで上り詰めた人たちの中には、その先の時間をどこか「消化試合」のように過ごしているように見える人も少なくなかった、といいます。大きな組織のトップという立場までたどり着けば、守るものも増えます。あえて大きなリスクを取らなくても、一定の地位は守られる。新しいことに挑戦して失敗するより、今あるものを維持した方が安全です。

そうして関心が、次の挑戦よりも、自分の健康や趣味、地位や名誉といったものへ向かっていく。一方で、藤野さんは、2014年頃から日本の経営者たちに変化が見え始めた、という趣旨のお話もされていました。

経営者たちが再び前を向き、新しいことに挑戦し始めた。その変化は、海外から見ても感じられるほどになり、日本企業や日本経済そのものにも少しずつ変化が表れてきた、と。

その話を聞きながら、私は企業のことを考えていました。
長く続く組織ほど、経験もデータも蓄積されていく。
失敗した事例も知っている。リスクもわかっている。守るべきものも増えている。
だからこそ、新しいことを始めようとすると、
「本当にそれをやる必要があるのか」
「失敗したらどうするのか」
「今あるものを危険にさらしてまで挑戦する意味があるのか」
と、慎重になる。

それはある意味、とても合理的です。
けれど、合理的な判断を積み重ねた結果、いつの間にか「挑戦しないこと」が最も合理的な選択になってしまうこともある。

そこで、ふと思いました。
これ、会社だけの話ではないのではないか。

私自身にも、いつの間にか「守れるもの」が増えていました。
経験を重ね、任せてもらえることも増え、それなりにできることも増えました。以前なら必死になって取りに行かなければ得られなかったものが、積み重ねによって自然と得られるようになったこともあります。

それは、とてもありがたいことです。
けれど同時に、今あるものを失わずに過ごすこともできるようになりました。
大きな失敗をしなくてもいい。
わざわざ不得意なことに挑戦しなくてもいい。
自分がある程度できることを続けていれば、それなりに日々は回っていく。
いつの間にか私は、自分という会社を、ずいぶん安定した企業に育てていたようです。

そして、安定した企業には、当然のように優秀な人材が集まります。
リスクを見つける人。
過去のデータを分析する人。
お金のことを考える人。
周囲への影響を心配する人。
失敗した場合に備える人。
何か新しいことを「やってみたい」と思うたびに、私の頭の中では、彼らが一斉に席につくようになっていました。

どうやら私は知らないうちに、自分の頭の中に立派な会社をつくり、そこで毎回、ある会議を開いていたようなのです。

私はそれを、勝手にこう呼ぶことにしました。
「大人会議」。

私の頭の中で開かれていた「大人会議」

たとえば、ふとこんな気持ちが湧いてきたとします。
「これ、やってみたい!」
昔なら、ここから比較的すぐに動いていました。面白そうだからやってみる。気になるから調べる。会いたいから会いに行く。

ところが今は少し違います。
「やってみたい」という案件が上がった瞬間、どこからともなく役員たちが集まってきます。

まず口を開くのは、リスク管理担当です。
「ちょっと待ってください。失敗した場合のことは考えていますか?」

続いて、過去データ分析担当
「似たようなこと、前にもやっていますよね。あのとき、思ったような結果にならなかったことをお忘れですか?」

そこへ財務担当も加わります。
「ところで、それはちゃんと利益になるのでしょうか。続けていける見込みはありますか?」

世間体・広報担当も黙ってはいません。
「周りからどう見られるかも考えておいた方がいいと思います」

さらに、長年の経験を積んだ慎重派の役員が腕を組みながら言います。
「そもそも、今やる必要がありますか?」

……どれも、ごもっともです。

誰一人として、間違ったことを言っていません。むしろ経験豊富で、優秀な役員ばかりです。

だから私は、「確かに……」と、つい納得してしまいます。

そして、「やってみたい!」という、たった一言から始まった案件には、いつの間にか大量の検討事項が追加されていきます。
過去の実績。
費用対効果。
成功確率。
周囲への影響。
最悪の場合のシナリオ。
自分の能力。
今やる必然性。
気づけば、最初にあった「面白そう」「やってみたい」は、会議資料のずっと後ろの方に追いやられています。

そして最後は、「本件については、引き続き慎重に検討しましょう」で閉会。
何も決まらない。
何も始まらない。
けれど本人としては、ものすごく真剣に考えた気になっています。

これが、私の頭の中で何度となく繰り返されていた「大人会議」です。
もちろん、若い頃のように何も考えず突っ走ればいい、という話ではありません。
経験を積んだからこそ、見えるリスクがあります。
一度失敗したからこそ、同じ失敗を避けられることもあります。
お金について考えることも、周囲への影響を考えることも、続けられる仕組みを考えることも必要です。

問題は、そこではありませんでした。
あるとき、この会議を少し離れたところから眺めてみたら、妙なことに気づいたのです。

そもそも、この会議は何を決めるために開かれているのだろう。

「どうやったらできるか」を考えるため?
そうではありませんでした。
私の大人会議では、毎回のように、「本当にやるのか?」が議題になっていたのです。
でも、よく考えてみれば不思議です。
何度考えても、結局やっていること。
うまくいかなくても、また戻ってしまうこと。
誰に頼まれたわけでもないのに、気づけば長い間続けていること。
それに対して、私は何度も何度も、
「本当にやりたいの?」
「本当に続けるの?」
「これでいいの?」
と、同じ議題を役員会議にかけていました。けれど、行動を見れば、答えはとっくに出ていたのです。

やりたい。

だったら、そもそも「やるか、やらないか」を毎回審議する必要があったのでしょうか。

役員たちは、私を守ろうとしていただけだった

では、この「大人会議」をやめてしまえばいいのでしょうか。
頭の中の役員たちに、「もう黙っていてください」と退席してもらえば、昔のように軽やかに動けるのでしょうか。

たぶん、そうではありません。
よく考えてみれば、彼らは私がこれまで生きてきた中で集めてきた、経験そのものです。
失敗したから、リスクを考えられるようになった。
思ったような結果にならなかったことがあるから、過去のデータを参照するようになった。
勢いだけで進んで周りが見えなくなったことがあるから、相手や周囲への影響を考えられるようになった。
続けるには思いだけでは足りないと知ったから、お金や仕組みについても考えるようになった。

どの役員も、ある日突然現れたわけではありません。
私が経験を重ねるたびに、一人、また一人と増えていったのでしょう。
そう考えると、彼らは決して邪魔者ではありません

むしろ、昔の私にはいなかった、優秀な参謀たちです。
問題は、彼らが持っている情報を、私が何のために使っていたのかでした。
たとえば、過去に一度うまくいかなかったことがある。
そのデータを見て、「ほら、前もダメだった。だから今回もやめておこう」と考えることもできます。
一方で、「前回はここでうまくいかなかった。だったら、今回は何を変えてみようか」と考えることもできます。

使っているデータは、同じです。
でも、そのデータを自分を止めるために使うのか、次へ進むために使うのかで、その意味はまったく変わります。
私はいつの間にか、経験を「自分を守るための証拠」として使うことが上手になっていました。

何かがうまくいかなければ、
「やっぱりね」
「だから難しいと思っていた」
「ほら、そんなに簡単じゃない」
と、過去のデータベースに新しい事例を追加する。

そして次に何かをやりたいと思ったときには、その膨大なデータベースから、やらない方がいい理由をいくらでも取り出せる。

経験を重ねれば重ねるほど、私の「大人会議」は強くなっていきました。でも、本来、経験とはそういうものだったのでしょうか。

失敗した経験が増えるということは、失敗しない人になることではなく、次に試せることが増えることなのかもしれません。
うまくいかなかった方法を一つ知っている。
自分が苦手なことを一つ知っている。
こういう状況ではこうなりやすいと、一つ知っている。
だったら、その分だけ次の一手を変えられる。
本来、経験とは「もうやらないための理由」ではなく、次はどうやるかを考えるための材料だったはずです。

ここで私は、大人会議そのものをなくす必要はないのだと気づきました。
リスク管理担当も、財務担当も、過去データ分析担当も、世間体を気にする担当も、いてくれていい。
ただし、役割を少し変えてもらう。

「それは危ないからやめましょう」ではなく、「やるなら、どうすればリスクを減らせるでしょう」

「前もうまくいきませんでした」ではなく、「前回のデータから、今回は何を変えましょう」

「それで利益が出るんですか」ではなく、「続けていくためには、どんな仕組みが必要でしょう」

経験豊富な大人たちには、「やらない理由」を探してもらうのではなく「どうやったらできるか」を考えてもらえばいい。

役員を解雇する必要はありませんでした。必要だったのは、ただの配置転換だったのです。

大人の智慧は、「できる方法」を考えるために使う

藤野さんのお話の中で、もう一つ印象に残ったことがありました。
若い人から何か新しいアイデアや、「こんなことをやってみたい」という話を聞いたときの、大人のあり方についてです。

経験を重ねた大人ほど、ついアドバイスをしたくなります。
「それはそんなに簡単じゃないよ」
「お金はどうするの?」
「現実的に考えた方がいい」
「それは無謀じゃない?」
もちろん、それは意地悪で言っているわけではありません。

むしろ、自分がいろいろな経験をしてきたからこそ、見えるものがある。
失敗する可能性が見えるから、教えてあげたい。
遠回りしそうだから、先回りして伝えてあげたい。
経験のある大人なりの、親切でもあるのだと思います。

けれど藤野さんは、若い人の話を「学ぶように聞く」という趣旨のことを話されていました。
まずは、「それ面白いね」と聞いてみる。
そして、自分がこれまで培ってきた経験や智慧は、「それは難しい」と止めるためではなく、その人がやりたいことを実現するために使えばいい。

その話を聞いたとき、私は素敵な考え方だなと思いました。若い人には、まだ経験が少ないからこそ見える景色があります。
「そんなことできるわけがない」という前提をまだ持っていないから、思いつけることもある。
そこに、経験を積んだ人の智慧や人脈、判断力が加わったら、単なる無謀ではなく、実現可能な挑戦に変わるかもしれない。

つまり、若さと経験は、対立するものではない。
本来は、組み合わせることができるものです。
そして、この話を思い返していたとき、また自分の中に戻ってきました。

私は、他人の「やりたい」だけではなく、自分の中から出てくる「やりたい」に対しても、同じことをしていたのではないか。
「これ、面白そう」
「やってみたい」
「もっと知りたい」
そんな気持ちが出てくるたびに、大人の自分がすぐに登場して、
「でもね」と話し始める。

それでは、自分の中にいる若い自分に対して、経験豊富な大人が毎回、
「世の中、そんなに甘くないよ」と言い聞かせているようなものです。

思えば、私は昔から「気になる」「知りたい」「やってみたい」という気持ちで動いてきました。
興味を持ったら、とりあえず近づいてみる。
面白そうなら、やってみる。
その好奇心が、ときには思いがけない場所へ連れていってくれました。

もちろん、真っ直ぐ進みすぎて失敗したこともあります。
だからこそ、大人になった今の私には、昔にはなかった経験があります。だったら、どちらかを選ぶ必要はないのかもしれません。

子どものような好奇心を、大人の理性で抑え込むのでもない。かといって、何も考えずに昔のように突っ走るのでもない。

「やってみたい」と思う自分には、まず自由に企画してもらう。
「面白そう」
「見てみたい」
「知りたい」
「やってみたい」
そこでは、まだ採算も、成功確率も、世間体も考えなくていい。

そして、「やる」と決めたところで、大人の自分に登場してもらう。
「では、どうやって実現しようか」
「どんなリスクがある?」
「過去の経験から使えるものは?」
「誰に協力してもらえる?」
「続けるには、どんな仕組みが必要?」
ここで初めて、これまで積み上げてきた経験や智慧を総動員する

そう考えると、大人になったことは、決して熱量を失ったということではありませんでした。
むしろ今は、昔よりもずっと多くのものを持っています。
経験もある。
知識もある。
人とのつながりもある。
失敗したときに立て直す力も、以前よりある。
それなら、それらを「やりたい」を小さくするために使うのではなく、「やりたい」を現実にするために使えばいい。

子どもの自分が企画し、大人の自分が実装する。
その役割分担なら、経験を重ねた今だからこそできる挑戦が、きっとあるはずです。

「やりたい」は、もう決裁済み。

今回、自分の中にある「大人会議」に気づいて、改めてこれまでを振り返ってみました。
若い頃に比べれば、確かに私は慎重になりました。
勢いだけで飛び込むことは減ったし、何かを始める前に考えることも増えました。
けれど一方で、ずっと続けてきたことがあります。

何度迷っても、結局戻ってくるものがあります。
誰かに言われたからではなく、自分から学び続けてきたこと、気になって追いかけ続けてきたこと、形を変えながらも手放さなかったものがあります。

そう考えると、「熱量がなくなった」と思っていたのも、少し違ったのかもしれません。
火が消えたのではなく、火がつくたびに会議を開くようになった。
「本当にやるの?」
「それ、うまくいくの?」
「前にもダメだったよね?」
「もう少し考えてからでもいいんじゃない?」
経験を重ねた分だけ、会議に提出できる資料も、反対意見も増えていきました。

けれど、いくら頭の中で審議を繰り返しても、結局またやっている。
だったら、少なくとも「やりたいかどうか」については、自分の行動がとっくに答えを出しているのではないかと思ったのです。

「やりたい」は、もう決裁済み。

だから、これからは同じ案件を何度も稟議に戻さなくていい。
大人になることは、好奇心を抑えることではありませんでした。経験を積むことも、「できない理由」を増やすためではなかったのです。
むしろ、経験を重ねた今だからこそ、若い頃には持っていなかったものがたくさんあります。

失敗した経験があるから、リスクを予測できる。
遠回りした経験があるから、別の道を考えられる。
人と関わってきたから、助けを求められる相手もいる。
うまくいかなかった経験があるから、やり直せることも知っている。

経験とは、本来、「やりたい」を諦めるための材料ではなく、「やりたい」を現実に近づけるための智慧だったのかもしれません。

もちろん、思いついたことを何でも無条件にやればいい、ということではありません。時間にも、お金にも、できることにも限りがあります。途中で「やっぱり違った」と気づくことだってあるでしょう。
だからこそ、大人会議はこれからも必要です。
ただ、会議が始まったら、一度だけ議題を確認してみる。

今、話し合っているのは、「やるか、やらないか」なのか。
それとも、「どうやったらできるか」なのか。

もしそれが、何度迷っても戻ってくるものなら。
気づけば長い間、選び続けているものなら。
考えても考えても、結局やってしまうものなら。
もう一度、「本当にやるの?」から会議を始めなくてもいいのかもしれません。

自分の中から「やりたい」が出てきたら、まずはその声を面白がって聞いてみる。そして、これまで培ってきた経験も、知識も、失敗も、人とのつながりも、大人の智慧を全部集めて、次の議題へ進む。

また私の頭の中で役員たちが集まり、「本当にやるんですか?」と会議を始めそうになったら、今度はこう答えようと思います。

「その件は、もう決裁済みです。」
だから、もう「やるかどうか」を話し合うのは終わり。
では、どうやったら実現できるかを話しましょう。


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