わたしの人生を支えるチャップリンの名言3選 vol.3 W杯サッカー特別選”You’ll never find a rainbow if...”
You’ll never find a rainbow if you’re looking down.
(うつむいていたら、せっかくの虹も見逃してしまうよ: translated by らいとらいとる)
チャールズ・スペンサー・チャップリンは、1889年4月16日、サッカー発祥の地・イングランドの都、ロンドン南部の貧民街に生まれた、と伝わっている。ものごころついた頃には、サッカーボールが無ければそれに似せたモノを蹴って、ビンボーさえも蹴飛ばし笑い飛ばすように、チャーリーは心豊かに育った。
イギリスで過ごした幼少期に見たサッカー選手が魅せるアクロバティックなドリブルやフェイント、躍動感溢れる身のこなしこそが、アメリカに渡って、喜劇王に成り上がるチャップリンのパントマイムや芝居の土台を自然と形作った、とさえ言われている。あるいは、相対する敵手や観客の意表を突くような変幻自在のimaginationさえ、サッカーをしながら観ながら、我流に落とし込んでいったものなのかもしれない。
チャップリンが活躍した時代から、百年余りの時を隔てた2026年7月19日に行われるW杯サッカー北中米大会の決勝戦。米国東海岸・ニュージャージーのフットボールスタジアムで、8万人超えの大観衆を前に、サムライブルーが見たかった見せたかった”見たこともない最高の景色”は、残念ながら見ることが叶わなかった。
去る6月29日、テキサス州ヒューストンのピッチでlooking downして泣きじゃくる田中碧をなだめたのは、森保一一人では無かった。遠藤航の負傷離脱を受けて、急遽、主将を任された板倉滉は、まっさきに碧の背中と哀しみに寄り添った。自身のボールロストがブラジルの決勝点に繋がってしまった彼が、今後四年間背負い続けるであろう十字架の重さと苦しみは、凡人過ぎる拙者の想像を遥かに絶する。
長友佑都らに抱えあげられ、ようやく起き上がった傷心の碧に詰め寄り、その苦しみをもハグしたのは、ニッポンの蒼きFWから”昔のネ.....”とリスペクトを欠いた過去の人呼ばわりで、塩っぱく揶揄された、と世界に報じられたブラジル代表の歴代最多得点記録を誇るサッカー界の真珠・ネイマールだった。
結果的に爆弾発言になってしまった真相と真意はともかく、そんな心のマールい兄貴を辱められた、と感じたに違いないカナリア軍団のわだかまりとプライドが産んだ、まさに鬱憤を晴らすような執念の2ゴールではなかったか?まっきっきに染まった自他を煽りながら、強烈なテクニックを誇る11個の団結が、ニッポンの堅い殻を二度も撃ち破り、我々が望んだ最高の景色を阻んだ、ような側面があったのも、また事実ではないか?
後日、その疲弊した羽を休めるように動きの鈍ったカナリアは、海賊のようにニヒルな笑みを浮かべる怪賊FW・ハーランドの気魄のこもった鮮烈な二撃と、バイキングの末裔らしいノルウェージャンのしたたかな罠に、ドスンと落ちた。
久保建英は「世界との距離は縮まったように見えて、遠くなったように感じた。」とlooking downしながら、がっくり肩を落とし、ベンチで感じたサッカー王国・ブラジルの厚い壁と、後半に浴びた怒涛の波状攻撃のように、次々と次元の違うタレントが出現して来る選手層の厚さや、少子化に喘ぐ祖国の土壌とのgapをも痛感したようだ。
1993年10月28日、森保一もまた、カタールのピッチにぐったりうなだれlooking downした一人だった。あの日あの時、あの”ドーハの悲劇”の晩に、一概にlooking downしたサムライブルー草創期の面々を、一人一人ねぎらったオランダ人監督ハンス・オフトは、いかなる言葉を絞り出したのだろうか?
試合終了寸前、イラク代表FWジャファル・オムラム・サラマンの打点の高いヘディングシュートが、ゆるやかな弧を描いてニッポンのゴールマウスに吸い込まれた。我らの守護神・松永成立が金縛りに遭ったかのように唖然とその弾道を見送ると、泣く子も黙る丑三つ時に、テレビの前で、背脂マシマシのコレステロールでも喰らって全身の血管が停ったようにダル重く、黙らされたまま崩れ落ちるような悪夢とlooking downを、青き日の僕自身も共有させられてしまった。
砂漠のオアシス・ドーハのピッチに広がっていた緑の芝生と雑草。その上に、ポトリと着弾してしまったあのオムラムの無邪気な同点ゴールは、まるで暴君サダム・フセインの気まぐれな拷問にでも遭ったかのように残酷な仕打ちとなって、過酷な結末をニッポンに強いた。
あの一得点の結果、翌1994年、W杯アメリカ大会への棚ボタの切符を土壇場で掴んだのは、皮肉にも長年の天敵であり、日本サッカー界にとっては、依然目の上のたんこぶとライバル視し続けていたお隣の韓国だった。絶対絶命の大窮地から、オムラムの一撃により、一瞬にして雲散霧消、パッとUSAへの空路が開けた韓国代表サポーターRed Devilsは”ドーハの奇跡”と叫び、乱痴気騒ぎで後の祭りを楽しんだ。
熱風吹き荒ぶ中東の息詰まる夜に、いまだ見たことのないワールドカップの景色を、なんとしても日本国民に見せんと、ボロボロに禿げた芝生の上を駆けずりまわって闘ったJリーグ夜明け前のオフトジャパンの面々。結局、メンタルもフィジカルもボロボロになって、茫然自失でlooking downさせられし、あと一歩、残り十秒でパイオニアになれなかった悲運のレジェンドたちである。
松永、柱谷、井原、堀池、勝矢、ラモス、吉田、カズ、中山、武田、長谷川、福田、そして森保。そんなドン底の彼らをも優しく照らした月あかり。あのnightmareに、それでも顔を上げ、煌々と輝くmoonlightを見上げる余地余裕など、打ちひしがれし森保の心の片隅にも、果たしてあっただろうか?
長崎県諫早市の高台に、森保一の母校、長崎日大高校の校舎が聳え立つ。入学式シーズンには校章の桜が満開に咲き誇り、登下校の朝夕、わいわいわさわさわくわく浮き足立つような可憐なハートを高鳴らせ、桜の花びらを踏みしめ、あの坂の上のハイスクールライフが始まる。青き時代の思い出は、ほのかに桜色にさえ彩られる。
“神の手”を持つ自由な神童、ディエゴ・マラドーナと、神のそんな悪童な一面にさえ憧れ、いつの間にか野球小僧からサッカー小僧に変身していた謎の覆面レスラーのような我が家の悪童・兄も、思いがけず、その長崎日大高校に進学した。
たまの週末、ヤツが帰省して来ると、父は高速道路を飛ばして諫早の寮まで送り返す日曜日の午後のロングドライブが、我が家のルーティンにもなっていた。思春期の僕ら兄弟は、全く言葉を交わすこともなく、毎度気怠い車中に感じていた記憶が残るが、寮に送り届ける道中、早めの晩餐と家族の団欒に立ち寄るトンカツ屋”濱かつ”で食べるオランダかつ定食だけが、僕の唯一の楽しみだった。
ジューシーな豚ミンチのメンチカツに濃厚なオランダ産ゴーダチーズの挟まれたオランダかつ。いっぱいのスリゴマに申し訳程度の甘口ソースを、ゴーダのコクがゴマかされない程度に、ほんのちょびっと垂らして食べるのが乙で、母以外の野郎三人は一切無駄口など叩かず、おのおのお気に入りのカツを淡々とがっついた。
最後に、カステラの文明堂に寄り道し、お徳用でたっぷり詰め込まれたチョコレートカステラの切りっぱしを毎度毎度、母は兄に買ってあげてから、最終目的地の寮・明倫館に向かう。そのくせ、ヤツは母のエールに毎度”うん”とだけドライに応え、一切振り返ることもなく、人気絶頂のファンタジスタのようにクールな背中を家族に見せつけて、寮の門をくぐるのだった。
その兄が入学する前年の1986年のある日、長崎日大高校のグラウンドを、広島のマツダSCから視察に訪れた二人の紳士が居た。後にサンフレッチェ広島の産みの親とも呼ばれることになる今西和男と、その今西に請われ、1984年からマツダのヘッドコーチを引き受けていたハンス・オフトである。現役を退いた今西は、マツダSCとマツダの独身寮の管理をも任されていた。
オフトは視察当初、平凡なサッカー少年・森保一君にさっぱり魅力を感じなかったというが、長崎日大高校サッカー部監督を務めていた下田規貴と今西との縁もあって、凡才ながらも凡事徹底する事に非凡な森保を、今西はオマケの練習生として広島に呼び寄せ、生活全般の世話人となった。
イレギュラーな土のグラウンドの上で、足元ばかり気にする高校のチームメイトを尻目に、いつも顔を上げて、広い視野を持つ一君に、今西の目が留まった、と云う一期一会である。
我が家の兄は、結局、母の言う事を聴いて、静岡県三島市の日大国際関係学部に無難に進学した一方、先輩の森保はボン大への既定路線をポンと蹴って、マツダで働きながらサッカー選手にこだわる茨の道を選んだ、と云う人生の分かれ道でもある。
今西とオフトが諫早で森保と出会った1986年、オフトはオランダからGKディド・ハーフナーをコーチ兼任として広島に道連れにし、サッカー不毛の地と目されたニッポンで、のんびり二人三脚、道草を喰みながら、広島のピッチ内外に一粒ずつ欧州サッカーの種を蒔いては、じっくり育てた。
その後、練習生から懸命に走り回って這い上がって来た森保にも、圧倒的な熱意をもって、蘭学のように考えながら走るサッカーを追求させ、純粋でひたむきにスプリントする素直な森保を愛し、オランダ流に大きく育てた。
オフトの寵愛を受け”オフトの申し子”とも呼ばれたボランチの森保は、1992年、日本代表監督に就任したオフトが選出した代表メンバーにさえ名を連ねた。その大抜擢に応えるべく、オフトの指笛に従順に呼応するように、中盤の底から献身的にピッチを駆け上がり、また何度でも駆け戻ってはボールを回収し、代表の汗かき役を担った。
なのに、なのに、最後の最後に、オムラムの一撃に撃沈され、looking downしながら、涙に暮れる悲劇が彼を待ち受けていた。
あの惨劇から29年の歳月を経て開催された2022年W杯カタール大会。日本代表監督としてドーハのスタジアムに舞い戻って来た森保一とサムライブルーの志士達は、ドイツ、スペインの欧州列強に怯むことなく、両国を蹴散らすジャイキリを成し遂げた。森保は、あの夜の悔し涙を嬉し涙に昇華させ、試合前の君が代斉唱や試合後の感涙にむせび、まぶたに浮かんだ涙がもたらすrainbowを眺めるように、万感胸に迫る思いでカタールの空を見上げた。
ちなみに、我が国でサッカー用語として定着したジャイキリ: giant-killingは正式な英語としては、かなり怪しく、番狂せなどの場合には、upsetやunderdog winもしくはCinderella storyなどの文字が、コラムを踊ることになる。
1921年、チャップリン監督初の長編映画作品となった”KID”の劇中には、自身生まれ落ちしロンドンの街を舞台に、サッカー選手の軽快なパフォーマンスを想わせる動きやキックが随所に散りばめられ、チャップリンの”サッカー狂時代”の慌ただしい雰囲気が、愉快痛快に伝わって来る。
血の繋がりを超えて、チャップリンが”KID”に捧げた真の親子をも凌駕するような博愛は、大いに観衆の涙を誘った。長崎の田舎町でポイチ(森保一の愛称)を見つけた今西和男や、広島の緑地で一丁前のMFに育て上げたハンス・オフトが、彼に捧げた時間と寵愛も、チャップリンが”KID”に捧げた歳月と愛情のように、尊い運命の綾と堅い絆を思わせる。
結局、報われなかったチャップリン演じる浮浪者や社会を取り巻く厳しい現実を通して、自身と世の中を鼓舞するように”You”ll never find a rainbow if you are looking down...”と、モノクロに霞む不平等な社会と時代に架けた虹色のメッセージは、時空をビビッドに跨いで、強く、美しく、みずみずしく世の中に響き渡る。
“You”ではなく”I”に置き換えたセンテンスこそが、実際に、チャップリンの人生を支えたノンフィクションの自戒であろうし、このフレーズは、いまなお毎日のように、わたしの人生を支えている。
モノトーンに配された十一重のレインボーカラーに夢が滲むピンストライプを纏って、日の丸を背負ったサムライレインボー達が、果敢にカナリア軍団に挑み、そして、星条旗が涼しくなびくテキサスの地に屈した。
前半29分、中盤のインターセプトから佐野海舟の右足一閃振り抜いたミドルが、GKアリソン・ベッカーの懸命の横っ跳び及ばず、ブラジルのゴールネットを揺らした、あのゴラッソな瞬間のトキメキ。
後半13分、ヴィニシウスJr.の強烈なミドルを掬った鈴木彩艶の一ミリが、シュートの軌道を微妙に外に逸らすや、ボールはゴールポストを叩き、決定機を救った、あの神セーブの瞬間のドキマギ。
おぼろげながら、来たる7月19日の絶景が、見えるかもしれないと感じていた。超円安ドル高など何処吹く風で世界を蹴倒し、ワールドカップの終幕に、USAの東の果てに日の丸が昇る最高の景色が、陽の目を見る現実を、暫時、空想していた。
その幻想は、またしても最後の最後に、夏草の上の蜃気楼と化してしまったけれど、兵どもが夢の跡に、NFLヒューストンテキサンズの本拠地を埋め尽くした大観衆は、万雷の拍手と黄色い歓声を送って、両国の激闘を称えた。
ニッポンの2026年ワールドカップに終わりを告げるホイッスルが鳴り響き、森保一が自身憧れのドン・カルロ・アンチェロッティと和やかに握手を交わす光景は、同時に、彼の思い描いた”見たことのない最高の景色”が、一旦雲隠れし、捧げた歳月や思いが、遂に報われなかった現実を反映する一幕でもあった。
やはり、大谷さんの言う通り、憧れていては越えられなかったか。
結果、報われずともひたむきに未来を画策し、皆を高みに導こうと悪戦苦闘したチャップリンや今西、オフトや森保が、決してlooking downせずにさせずに、ひたすら顔を上げて上げさせて闘った日々の足跡は、儚くとも流麗なレインボーのように、雨上がりの未来に希望のループを架けた。
To be continued....
2030年7月21日、アントニ・ガウディを産んだ真っ赤な太陽の国・スペイン王国のピッチの上を、そこを彩るにふさわしい日出る国のサムライブルーが青波をうねらせ、同時にW杯一世紀さえ祝うWの頂に、流暢なスペイン語の久保建英が、その悦びを捲し立てる絶景の戴冠を見たい。
日の丸に描かれし真っ赤な太陽が、サグラダファミリアのイエス・キリストの塔を照らし、パトリョ邸に描かれし渾身の真っ青な曲線の波が、地球上から紛争の火種を豪快に呑み込むや、歓喜の波しぶきが降りそそぎ、テッペンで八咫烏の鳴くグエル邸の虹の煙突から11線のレインボーが空を架けるや、そのカラスはちゃっかり目の前のW盃を大胆にも咥え、そのままフラっフラになりながら、遥か極東Japonまで搔っ攫う怪盗か五右衛門のような闘魂と鎮魂を一つに宿し、栄光のファサードを完結と未来に導くファンタスティックな起点となれ。
We’ll never find the most fantastic rainbow we’ve never ever seen before if you guys are looking down !

