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チェコのアンパンマン〜雨にも負けず、風にも負けず、赤い露の恐怖にも負けず、半世紀を超えて咲き誇り続けるČtyřlístek(四つ葉のクローバー)🍀

“アンパンマン”が初めて世に飛び出した1969年、当時50歳のやなせたかしが描いたアンパンマンは、実は人間の顔をしていた。日中戦争の惨禍を戦地で生き抜き、生きながら空腹に耐えかねた惨めな実体験を基に、ボッコリお腹のオッちゃんがお腹を空かせた子供達に、その丸いお腹からあんぱんを取り出しては配ると云う、残念ながら既に時代遅れのストーリーは、高度経済成長を成し遂げてポンポコリンなニッポン社会からは、さっぱり共感を得られず、やなせはボロカスに酷評されてズタボロになった。

世間のほとぼりが冷めた頃、現在の美味しそうな”アンパンマン”の顔が焼き上がり、その餡の詰まったスウィートな顔面を、お腹の空いたこども達に、まんまダイレクトに食べてもらうと云う奇想天外で献身的なスタイルに変身し、センセーショナルに生まれ変わって陽の目を見たのは、第二次ベビーブームに湧く1973年のことである。

やなせが”漫画家失格”の烙印を押され、極東の祖国で、こてんぱんに打ちのめされていたアンパンマン夜明け前、東欧の鉄のカーテンの内側で、ひっそりと誕生していたチェコ・スロヴァキアの冒険漫画が、なんとなく僕には、アンパンマンシリーズと被って映るのである。

1969年5月15日木曜日の連載開始から今日に至るまで、ゆうに半世紀を超えて、チェコ・スロヴァキアの子ども達に笑顔や勇気、冒険心をもたらし、愛を振りまきながらアンパンマンのようなロングランヒットを記録している漫画”Čtyřlístek”(四つ葉のクローバー)とやらに、どっぷりハマっている。ちなみにチェコ語で《チュティシュリーステック》みたいに読む。

第744巻の表紙

なかよく四匹が四葉のキャラをゆらゆら揺らしながら躍動する様は、アンパンマン・バイキンマン・ドキンちゃん・ジャムおじさん・ドクターヒヤリなどがファンタジックに割拠するアンパンマンシリーズのようでもあり、パーマン・ブービー・パー子・バーヤン・バードマンなどがヒロイックに活躍する藤子不二雄ランドのようでもある。

概ね15ページの読切🍀

一方で、チェコの凍土から世界の地にモグり着いたモグラの”クルテク”や、森の妖精”アマールカ”とは微妙に一線を画し、チェコ・スロヴァキアの国境線の内側でのみ圧倒的な人気と知名度を博し、かつ普遍的な面白さを内包しながらも、ボーダーレスな認知度に於いては、圧倒的にマイナー感を否めない。この辺りは、チェコ・スロヴァキアの欧州に於ける地味な存在感や引っ込み思案な国民性を反映しているようにも感じられるし、類似のキャラクターが国境の向こう側のいたるところで、わんさか活躍している事情も”Čtyřlístek”をドメスティックな人気者に留めている要因かもしれない。

モグラのKrtečekと森の仲間たち

東西ドイツの統一以降、東欧ではなく中欧と括られる欧州のハートに位置していながら、リッチで外交的な周辺国の脇で、スラブ系民族の内向的なココロの壁を乗り越えられず、一向にこちらからは話し掛けられずに伏し目がちにモジモジしているようなわだかまりが、実際、チェコ人・スロヴァキア人らしさなのかもしれないなぁ、と僕はずっと眺めてきた。

森の妖精・Amálka

コロナ禍の暇つぶしにプラハの大学でチェコ語を勉強していた折、66歳だった担任の女教師・ヤナ先生も「初対面の外国人と笑顔で挨拶を交わすなんて、我々の世代には今でも全く理解出来ないざます。」とクールに笑ってドライに語ってくれたが、アメリカナイズされた弾ける笑顔の裏に、ふんだんに皮肉や棘が隠されていたりする一方、前述のモグラのクルテクのように無言の背中が、単純に愛を語っていたりするのだから、真実は言の葉だけでは窺い知れないではないか。

1969年当時のチェコスロヴァキア共産主義社会を回顧するならば《プラハの春》と呼ばれた前年の民主化運動が、現在の露軍以上に厳めしい当時のソヴィエト連邦軍の威圧に踏み潰され、絶望感に苛まれていた時代であろう。

パネラークと呼ばれる集合住宅を一歩出て、外の異様な空気に触れれば、CCCP的傀儡の不機嫌極まりない容赦ない血気と脅しに怯えながら、ひたすら己の表情を押し殺さねばならなかった。無表情のままに帰宅し、すきま風の吹き込む薄い壁の内側で、愛する家族との団欒をひそひそと交わし、ようやく相好を崩してはビールを開けるようなビターな歳月だったはずだ。いわゆる隣の密告魔の暗躍や盗聴にすら神経を擦り減らし、猜疑心と警戒心を抱きながら暮らす日常が、どれほど冷酷で過酷な実態であったか、我々の想像を絶するスーパードライな厳冬期であろう。

戦時下の1944年、首都・プラハに生まれた漫画家のヤロスラフ・ニェメチェクは、25歳になった1969年春、執拗な秘密警察の監視から、一マイルでも遠く逃れるように、妻のルツィエとプラハから車で一時間程離れた小都市・リベレツ郊外に在る別荘地・ドクスィに隠棲していた。そこで彼ら自身の愛を温めながら、こども達の縮こまり冷めきったマインドセットをも温め直すようなハートフルな新作の構想を練りながら過ごしていた。

十中八九駄目出しを連発するような冷徹な冷凍庫のごとき検閲の書庫に、オープンで焼いたホクホクのバンのごときホットな温もりあふれる”検閲済”のコミックを、なんとしても並べさせる為に。

Jaroslav Němeček(1944-現役バリバリ)

昨日までのクールな日常と、残念ながら何の変化も変哲も無いように映った五月中旬の木曜日、夫婦仲睦まじく四者四様のキャラを作り上げ、遂に書店の軒先に積まれた漫画のタイトルは”Vynálezy profesora Myšpulína(ミシュプリーン先生の発明)”と銘記されていた。

その個性豊かなキャラクターの四様の愛嬌、ナチュラルな表情、息遣い、チェコ・スロヴァキア離れしたユニバーサルな世界観への飛躍に、こども達の目は輝きを取り戻した。ニェメチェク夫妻が世に放った渾身のファンタジーは、あきらめかけた小さな純心に希望の浪漫を届けた。同様に、最愛の我が子に夢を与える機会にすら絶望していた親達も、その愉快なメルヘンに目を疑わんばかりに狂喜乱舞し、ドッと買い漁ったことであろう。

したたかな検閲をしなやかに通過したほのぼの系アニマルキャラのドタバタストーリーは、暗黒社会に生きる市民にとって、ハートフルな起死回生のドラマとなった。かわいい動物たちのルックスを借りた上で、道徳上当たり前の正論と正義を貫き、古今東西のイデオロギーの曖昧さや共産主義の矛盾をも嘲笑うかのように、ネチっこく粗捜しに明け暮れるニヒルな検閲を、渋々黙認させ、ちゃっかり発刊にこぎつけた。してやったりの創刊号は、瞬く間に三万部を完売させる大ヒットを記録した。

二話目からは現在の【Čtyřlístek: 四つ葉のクローバー🍀】にタイトルを改め、四匹に対等に主役を張らせることにより、四つ葉の何処からでも物語が派生する葉脈をめぐらせた。四匹のキャラクターの概要も、やはり、シンプルでオーソドックスで、なによりラブリーである。

①初版のタイトルにも名前が上がったネコ先生のMyšpulínが、当初は主演に座るスターリングロールを予定していたはずだ。天才発明家のミシュプリーンは【アンパンマン】のドクター・ヒヤリのようでもあり、ドラえもんのようでもあり、見た目は【パーマン】のバードマンのようでもある。マンガの展開的に、ドラえもん同様、このミシュプリーンくんの豊かなイマジネーションが、ストーリーを冒険心溢れる別世界に誘なう。
ちなみに、猫の手ではなく鼠の手も借りたい多忙なミュプリーン氏は、トム&ジェリーのジェリー(タフィー)にも似たネズミのアシスタントを抱えているが、この助手は、あまりでしゃばらずに脇役に徹して、出演は稀で不定期である。

Myšpulín
アシスタントのMyš

②仔ブタのボビークは、ジャイアン(剛田武)のごとき気性の荒さを持ちながらも勇敢に仲間達を鼓舞し、スポーツ万能で窮地を救ってくれる。また大食漢で歌が大好きな辺りも「オレwaジャイアーーン♪ガキ大将♪」と唄うゴーダ・タケシくんにソックリな点でもある。が、一点、ジャイアンのようにのび太に暴力をふるうような描写は見当たらない。この辺りの事情を推測するならば、やはり、身内のバイオレンスを黙殺しながら、その理不尽な癇癪に対する一切のアンチテーゼを即座に却下するような検閲を、無難に擦り抜ける為に、ニェメチェク夫妻がドクスィの森の中で練った策略の一つであったのかもしれない。

Bobík

③雌犬のフィフィンカは、シズカちゃん、あるいはドキンちゃん、パー子のような紅一点のバランサーであり、たまにはドラえもん不在時のドラミちゃんのようにちゃっかり主役にも躍り出ながら、唯一無二のソフトな存在感を醸し出す。女性らしい心配りもヒステリックも、全ては仲間たちへの愛がなせる業。料理やお菓子作りの達人で、仲間たちのお腹も優しく満たしてくれるママ的な役回りも兼務する。
と同時に「女は愛嬌、ばかりでなく度胸!」と言わんばかりに勇敢に外の世界に踏み出していく彼女の姿は、現在でも夫婦共働きが当たり前のチェコ・スロヴァキア社会の中で、官や男性優位に地団駄踏んで耐える一般女性たちや女の子たちの心を、何度でも奮い立たせて来たに違いない。

Fifinka

④野うさぎのピンヂャこそ真の主役だ、と僕は勝手に思い込んでいる。ワシの”推し”である。気の弱さ、優しさと云った男の子の決断には影を落としかねない性格をも抱えながら、のび太やドラえもん、ハットリくん、そして、まさにアンパンマンのように、結局、弱い自分に打ち克って、みんなを未知の世界に引っ張って行く根あかなロマンチストであり、おもいやりと献身性に溢れ、なにげないリーダーシップが、勇敢に大胆に物語をも導いていく。

Pinďa

七話目からは、女性漫画家のリュウバ・シュチープロヴァーも執筆に加わり、話のスケールや創造性に厚みや柔軟性が増し、1990年の民主化以降は更に複数の作家、漫画家を、適時適材適所で起用する現在のスタイルに落ち着いた。このブレイン的インフラ整備によって”Čtyřlístek”は永久に不滅な道を歩むことになった。我々の愛して止まないドラえもん同様に、個性が揺るぎなく固まった後だからこそ可能な、未来志向的な制作集団のエクスパンションであったはずだ。

同時に、完全民主化のターニングポイントになったこの激動のアニーバーサリーに”四つ葉のクローバー🍀”も、わさわさとしなやかに動き始めた。この1990年にお待ちかねのアニメ化が実現し、以降、お茶の間や劇場でも、こども達の黄色い声援を浴びることになった。いま振り返れば、リベラルにデモクラティックにスペクタキュルに、ブラウン管や銀幕の内側を、四匹が悠々と未来永劫に動き回れる為のインフラ整備の総仕上げだった、と言えそうで、無論、その後のデジタル化にも成功している。

奇しくもベルリンの壁が崩壊する約一年前の1988年10月、ワシらのアンパンマンもまた、ようやく待望のアニメ化を果たす。やなせたかし、69歳の秋であった。
その後、躍動するアンパンマンの大活躍を四半世紀見届けた後、94歳の天寿を全うした。あるいは、22歳の若さで南の海に消えて逝った弟さんの無念の分まで、遮二無二生き切った、生かされたような人生であったのかもしれない。

戦争と云えば『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるも、やなせたかしも、戦地の最前線で、ヤロスラフ・ニェメチェクと妻は傀儡政権の恐怖政治の支配下で、自国がガムシャラに突き進む鉾先に疑問を感じた。そして、やたら押しつけがましい愛国心とやらを、自らの豊かな信念で撥ね返し、結局、生き長らえて笑う、しなやかな突破力をも夫々備えていた。

水木は激戦地・南太平洋のブリテン島で仲間達が全滅し、上官から「貴様も自決せぇ!」と命ぜらるるも「なんでワシまで死ななあかんのか?」と普通に疑問を覚えて、知らんぷりして生き抜いた。先に自害し果てた上官の屍を眺めながら、水木が感じたことは、やなせたかしが歌詞に謳った「ぼくらはみんな生きている。生きているから...」こそ、のような至極当たり前の感慨ではなかったのだろうか?有り難く生かされるのに、もしも狂気に同調し、切羽詰まって、異国の戦場で命を落としてしまっていたならば、ゲゲゲの鬼太郎もアンパンマンも生まれて来なかったし、こども達の夢も笑顔も好奇心も、未来に失われていたことになる。

余談だが、やなせたかしが93回目の誕生日を迎えていた2月6日に生まれた僕のオイっ子が、アンパンマンではなくバイキンマンの虜になってくれたことで、母もメロメロとバイキンマンフリークになった。ひと時、自身の病を忘れ、初孫の為に嬉々としてバイキンマンを追っかけ回す最晩年の母の姿は、しょくぱんマンを溺愛するドキンちゃんのようにキュートだった。
その後、母の生まれ変わりのように生まれ落ちて来た母と瓜二つのメイっ娘のお陰で、僕はメイとメロンパンナちゃんにメロメロになった。やなせたかしや水木しげるが生きていてくれたから、お陰様であの頃、僕たち家族も、みんな幸せな空想時間を、キャーキャーギャーギャー笑って過ごすことができた。

昨今、超大国が地域紛争に加担することにより、またしても世の中は混沌としている。絶えず我儘(わがまま)を貫き、無実の他者や環境を犠牲にしてまで己が君臨しようと躍起になる愚かな人間達の織りなす蛮行を、四つ葉のクローバーは、しなやかに一致団結してヒラリとかわし、ハッピーエンドに結びつける。四匹が毎回教えてくれることは、昔も今も、戦争の渦中に巻き込まれ、もがき苦しみ、泣きべそを掻く子ども達が感じている無垢な感情ではないだろうか。

そんな超単純な願いさえも、あっさりと踏みにじり血で血を洗う為政者達が、いまだに跋扈している現実に憤りを感じる。結局、我儘な”独裁”政権を維持する為に”共産”主義の空論を振りかざして誤魔化すアンチヒューマンなコミュニスト達や、プロレスのような派手なパフォーマンスをウリに、鉄拳制裁と金権政治をショービジネス化し、茶番劇の帝王として世に憚る大統領閣下。実体の無い神を盾に、ジハードやリベンジを口実に、絶え間無い犠牲の応酬を厭わない排他的な宗教者達。残念ながら、一概に彼等は、アトムを原子爆弾に悪用した化学者と同じ化け者でしかなかろう。聖なる戦い?”聖戦”などと云う誤魔化しの綺麗事など、存在し得ない。無論、綺麗事でまかり通る現実もまた、何処の世にも存在し得ないが、戦争に勝者も存在し得ないはずだ。紛争も気候変動も何もかも、人間様の自暴自棄で自作自演で自業自得なはずだ。

だからこそ、こども達の理想郷、机上の空論に大人達は日々立ち帰り、空腹に喘ぎながら指を咥えて、死の恐怖に震えるこども達の叫びに、聴き耳を立てる必要がある。アンパンマンや四つ葉のクローバーが、半世紀を跨いで子ども達の前に颯爽と登場し、ピュアな心を射止めて止まないわけを分かる必要がある。絵に描いた餅や空に描いたあんぱんは、実に旨いんです。いい歳こいたオッさんが喰っても、けっこう旨いし、読んでもなかなか面白いんです。がんばれーーČtyřlístek ! がんばってーーメロンパンナちゃーーん!それでも頑張るならば、貴様らこそが、クタばってくれ、ディクテイター(独裁者)ズ!
“Make our planet great again !”

Čtyřlístek(四つ葉のクローバー🍀)公式HP

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