それは、部室に漂う不和のような【現在8846文字】
ここ最近、ずっと気になってることがあった。
「なんとなく、仕事に行きたくない」
この言葉自体はありふれた台詞だとは思う。けれど、そういうのとはちょっと違うようで、全てに通ずるのかもしれない。
ハンドソープの滑りが、ずっと取れないような感じだ。
なんでソレっぽい文章を書こうとするとき、人は何かに喩えたがるんだろうか。これもまた、奥歯に引っかかったままだ。
話を戻して。
仕事に行きたくない、という感覚自体は知っている。ただ、もっと強烈だったり、明確な不満が分かっていた。
今回のような、掴めそうで掴めないぬるっとした心地は未経験で。
うつ病的なナニカかと考えるも、過去数回の経験から見ると、確実に違う。
今の職場に入って、2週間。
入って2日目には感じていたのに、ここまで言葉にならないのも、初めてのことだった。
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そして、今日のお昼どき。それは判明した。
「仲の悪い部活に入部してしまった時の感覚」に似ている。
いや、実際には僕の所属していた部活はそれなりに朗らかな空気だったけれど。けど、分かるのだ。これだ、と。
分かってしまえば、なんてことはない。よくある話。
しかしながら、社会に出るとそれに気づくのは案外と難しいのかもしれない。まさかそんな子供じみた理由で苦しんでいると思うまい。
しかも、自分の立場ではどうにかできそうな範囲から、いい具合に離れている。いや、「どうにかできるかもしれないけど、触りたくないもの」と言った方が近そうかな。
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学生の頃は、所属するコミュニティを選べるようで選べない。部活は選べても、学校や友人を選ぶことは難しい。
社会人になると、だいたいのものが選べるようになる。自分の顔だって選べる。
そういう環境になると、何かしらの理由がある“だろう”と思い込んでしまう。その前提がある限り、辿り着けない理由だ。
そして、たどり着いた、今。
自分が選べる選択肢は、どの程度残っているのだろうか。
というか、そもそも。
「人間関係」に生じる課題に、一個人が関与できる範囲は、どの程度あるのか。
正直、関わるのも厄介な空気になるし、何もしないなら、現状をどうにかする必要がある。
こういう時に思う。誰かを変えるより、自分を変える方が楽だ、と。
自分の中で変えられるモノは、職場かメンタルぐらい。職場は今はタイミング的に悪くて選べない。離れるにせよ、それまでの間繋ぐ必要がある。
残すは、メンタルしかないわけだ。
それは分かっているけれど、如何せん、よいアイデアは湧いてこないし、降ってもこない。
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例えば。
「文化部で、気不味い空気の中、一日中過ごしていただきます。期間は1年です」
と言われたら、あなたは、どうするだろうか。
部員が仲良くなれるよう、働きかける。とか。
問題が起こらないよう、ひっそり過ごす。とか。
気にならないよう、自分の世界に没頭する、とか。
そんなところだろうか。ただ、そう思って、本当にできるのか。僕は無理だと思う。
会話がないのは苦しいし、気にしないほど図太くはない。かといって、ただただ耐えられるほど強靭なメンタルでもない。
そう。
メンタルを変えようにも、粘土のようなフレキシブルさがあるって訳じゃないのだ。
今できることがあるとすれば。
こうやって、言葉にして、ブログにして。気持ちを仮置きするぐらいのことしか浮かばない。
この方法だって、いつか限界が来る。姑息なことは自分が一番理解してる。
暗い感じになってるけど、どん底という訳でもないから、これもまた落ち込みきれない。
この着衣水泳は、どこまで泳げばゴールなんだろう。
泳ぎ方を変えたり、服を脱ぎ着してみたけど、そもそも陸に上がらなければ泳ぎ続けるしかないのかもしれないな。
陸かぁ。陸な。
とりあえず、今見えてる陸が、幻覚じゃないことを祈るしかなさそうだ。
今は、そこに向けて泳ぐことに意識を向け続けるしかないかも。
