人生、なにがあるか分かんないよな。【現在10041文字】
おしゃれな写真撮れる人って、ほんとに凄いよね。
カメラメーカーで働いて、写真の難しさを知った。
小話でした。
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なんか急に思ったんだけどさ。
人生って、何があるか分かんないよね。
将来を見越して、準備して、賢く生きてる人が持て囃されてるけど。
やっぱり、何があるか分かんないんだよね。
自分が小学校の頃、大人になったら何をしようと思ってた?
高校の頃の夢は、今どうなっている?
社会人になった時、10年後の自分は何をしてると思ってた?
何一つ、一つたりとも、予定していた自分だったことがなくてさ。
同じように、予想を上下左右に、行ったり来たりしてる人は多くないのかもしれないけど、
少なくとも、思い描きいていた自分になれている人は、天然記念物だと、ぼくは思ってしまう(笑)
それが良いか悪いかは、正直、死ぬまで分からないような気がする。
けれど、ぼんやりと。
それなりに安心できて、そこそこにワクワクもできる。
そんな塩梅だと楽しそうだな、とは思う。
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常に最高の自分であれたら、それは幸せなんだろう。例え、事実と主観が乖離していても。
そんな生き方を選べている人は、やっぱり選べるだけのネジの外れ方をしているように見える。
それでも、総合して言えば、「いいなぁ」と思わざるを得ない。
だって、「生きてる」を感じるのはどこまでいっても主観だから。
けど、自分はそうじゃなかったわけだ。
そして、別にそんな自分も嫌いじゃない、と思えているわけだ。
思った通りであることは、幸せの十分条件であったとしても、必要条件ではないらしい。
今の自分は、言わば半々。
私生活は安定というか、自分という在り方に違和感なく過ごせている。
しかし、仕事や他者との関わりの側面から見ると、どうにも窮屈でしょんぼりとして見える。
ゴールを設定するなら。
そういうことを考えることなく、目の前のことや日々の生活に向き合えていることが、一つの幸せの形なんだと思う。
ただ。
その自分と出会うまでには、もっともっと沢山の自分と出会って向き合わないと、向き合ってことないと、訪れない気もしていて。
人によってそれは、かけがえのない出会いかもしれないき、恥の積み重ねだと感じているかもしれない。
自分一人が思うように決められることはごく僅かだけれど、自分一人の影響は、想像を超える距離まで届いてたりする。
「他所は他所、うちはうち」
この言葉自体はたくさん聞くのに、そのバランスの取り方は、誰も教えてくれないんだよなぁ。
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今、ぼくは岐路に立っていると思っていて。
彼女とのこれから、自分のこれからを考えると、今年のうちに、どの登山口にするかを決めようとしている。
今の自分に彼女なる人が居ると想定してなかったのもあって、なんの準備もできてない。
できれば、自分一人で完結させられる仕事をしたいとは思う。
けど、これも、やっぱり予定であり、想定。
どうなるかは、来年の自分に聞かないとね。
それじゃ。
