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【起業家列伝 #49】鶴岡裕太はなぜ、母の一言から1ヶ月で1万店舗を集められたのか

AI時代が、壁を壊した。言語の壁も、技術の壁も、資金の壁も——かつて大企業だけが越えられた壁を、今は一人で越えられる。敷かれたレールを降り、アイデアひとつを胸に、自分だけの道を切り拓く者たちがいる。世はまさに、創造の新時代。


【起業家列伝】は、時代を切り拓いた起業家たちが、どのようにアイデアを思いつき、どのように行動し、どのように最初の収益を生み出したかを追うシリーズです。成功した後の話ではなく、始まりの話を書いていきます。


鶴岡裕太は、1989年、大分県で生まれました。実家は、婦人服のブティックを営む家庭でした。中学生の頃、鶴岡は一時期、学校に通えなくなります。それでも両親は、学校へ行くことを無理に促しませんでした。


不登校が続く中、鶴岡は母に連れられて、劇団四季の舞台を観に行きます。この経験が、鶴岡の心に強く残りました。後に鶴岡が語る「ユーザーに喜んでもらえることが一番楽しい」という仕事観の原点は、この頃の体験にあったといいます。

大学に進んだ鶴岡は、クラウドファンディングサービスCAMPFIREの前身にあたる会社で、エンジニアインターンとして働き始めます。そこで出会ったのが、連続起業家として知られる家入一真でした。鶴岡は家入とともに複数のサービス開発に携わり、バックエンドのプログラミングや、ディレクションの経験を積んでいきました。


2012年、鶴岡の中で、あるアイデアが突然ひらめきます。誰でも簡単にネットショップをつくれるサービスです。

きっかけの一つには、母が「ネットショップを作りたい」と漏らした一言があったといいます。実家がブティックを営んでいた鶴岡にとって、この言葉は他人事ではありませんでした。当時のネットショップ構築サービスは、大企業や専門知識を持つ人にしか手が届かないものが多く、鶴岡は「これでは多くの人が挑戦できない」と感じていたのです。

鶴岡は、このアイデアを家入に持ちかけます。「良さそうだから作って」という後押しを受け、鶴岡は仲間たちと3LDKのマンションをシェアしながら、寝る間を惜しんで開発に打ち込みました。


2012年11月、「BASE」がリリースされます。当初の目標は、翌年4月までに1万店舗の開設でした。

ところが、リリース初日だけで数千人のユーザーが集まり、目標としていた1万店舗は、わずか1ヶ月で達成されてしまいます。この反応を受けて、鶴岡は翌月の12月11日、BASE株式会社として法人化に踏み切りました。当時、鶴岡はまだ22歳の大学生でした。


しかし、船出は順風満帆ではありませんでした。2013年、ドメインが落ちるという障害が発生し、サービスが一時利用できなくなる事態に見舞われます。せっかく集まったユーザーの信頼を、危うく失いかねない出来事でした。

それでも鶴岡たちは踏みとどまり、2014年以降、サービスと会社は着実に成長していきます。一方で、順調に見えたその裏側で、鶴岡は新たな課題にも向き合うことになります。2016年、創業当初から支えてくれていたメンバーが、会社を去っていったのです。サービスは好調であっても、組織そのものを育てることの難しさを、鶴岡はここで痛感しました。


事業面でも、鶴岡は新たな壁に向き合っていました。リリース当初のBASEは、ショッピングカートの機能しか持たず、他のECサイト構築サービスとの違いを打ち出せていなかったのです。

鶴岡が目をつけたのが、「決済」でした。登録の手間がかからず、その場で決済審査が完了する仕組みがあれば、個人や小さな店舗にとって、大きな助けになるはずだと考えたのです。三井住友カードやソニーペイメントの協力を得て、この決済機能の開発に乗り出しました。これが、BASEを他のサービスから一歩抜け出させる、大きな差別化になっていきます。

組織の課題を乗り越え、決済という独自の強みを育てていった先に、2018年、BASEは400万ダウンロード、60万店舗の開設という規模に達し、六本木の新オフィスへと移転を果たします。そして2019年10月、東京証券取引所マザーズへの上場を実現しました。


さらに大きな転機は、2020年のコロナ禍でした。実店舗での営業が難しくなった事業者たちが、次々とBASEでネットショップを開設していったのです。3月から4月にかけての流通総額の伸びは2倍。それまで7年半かけて積み上げてきた流通総額と同じ額が、わずか1ヶ月で上乗せされるという、想像を超えた成長スピードでした。

急成長は、そのまま歓喜だけをもたらしたわけではありません。販売のピークタイムに決済処理が追いつかず、店舗側に販売時間の調整を依頼する事態も発生しました。鶴岡自身、システムチームと毎晩張り付き、「今日はどうだった」「まだ良くない、今夜のうちに緊急メンテナンスを」と、神経をすり減らす日々を過ごしたといいます。夏には、開設店舗数は110万を超え、それまでアパレルや雑貨が中心だったBASEに、飲食店の利用が前年の10倍に急増するという、新しい広がりも生まれました。

鶴岡は、この急拡大の中で、初めて感じた危機感を、後にこう振り返っています。これまで自分たちを頼ってきた人たちを、決して裏切れない、と。


不登校の少年時代、母に連れて行かれた一本の舞台。実家のブティックという原体験。そして、母が漏らした「ネットショップを作りたい」という一言。鶴岡裕太の起業は、大きな野心から始まったのではなく、身近な人の困りごとに、素直に向き合ったところから始まっていました。組織の危機、差別化の壁、そして想像を超えた急拡大。その一つひとつに向き合い続けたことが、後の上場、そして多くの小さな事業者を支えるプラットフォームへの成長につながっています。

【最後まで読んでくださった方へ】
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。起業家たちの物語は、まだまだ続きます。ほかの起業家たちの挑戦も、ぜひ覗いてみてください。

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