「子どものため」の中に隠れていた、私の本音──Kindle出版その後
こんにちは、サチです。
フィリピン親子留学のKindle本を出して、数日経ちました。
本が出た瞬間は、もちろん嬉しかったです。
Amazonに自分の本が並んでいるのを見て、「おぉ…世に出ている✨」と、じーんとしました。
そして、改めて感じたのが、私が親子留学に惹かれていた理由って、ただ「子どもに海外を見せたいから」だけじゃなくて、そこに私自身の願いもかなり混ざっていたんだな、ということでした。
今日は、そのことを書いてみようと思います。
「子どものため」に行ったニュージーランド
当時小4の長男は、私立小に通っていた頃に不登校になり、公立小に転校してからも、しばらくは学校に行けたり行けなかったり…という時期を過ごしていました。
日本の教育システムは、長男には息苦しい。
もっと息がしやすい環境があるんじゃないか。
海外の教育の方が、長男には合ってる気がする。
そう思ってニュージーランド親子留学へ「100%子どものため」に行きました。
母として、子どもたちのサポートに徹するつもりで。
でも、結果的には海外でも不登校になりました。
そのことは、Kindle本でも詳しく書きました。
そして改めて考えたのですが、私は、なんでこんなに海外に惹かれてたんだろう。
なんで、ここまで「行きたい」が強かったんだろう。
そこで見えてきたのが、自分の中に残っていた未回収感でした。
私は、子どもに託していた
学生の頃、私は親に留学を強く勧められても断固として行きませんでした。
海外に全く興味がなかったし、英語はただの試験科目。
日本の会社で働くし日本人と結婚するから別に困らないと思っていました。
でも、母になってから、その選択の意味が少しずつ変わってきました。
子どもの未来を考えるようになって、
世界って思ってたより広いんだなとか、
英語って試験科目じゃなくて、世界とつながる道具なんだなとか、
人生って、もっと選べるんだなとか。
そういうことを、だいぶ遅れて実感するようになり、後悔の思いが強くなっていきました。
私が見なかった景色を、子どもに見せたい。
私が選ばなかった道を、子どもには歩いてほしい。
私が回収できなかったものを、子どもに回収してほしい。
(こうやって書くと、ちょっと毒親感が漂いますね…汗)
無意識に、自分の欲望を子どもに投影していたと思います。
もし、子どもが「期待通り」になっていたら…
たぶん、ここが大事だったんだと思います。
もしニュージーランド親子留学で、長男が期待通りに、笑顔で学校に通えて、英語もどんどん話せるようになっていたら。
私はかなり満足していたと思います。
「ああ、よかった」
「私が行かなかった留学に、子どもが代わりに行ってくれた」
「私が英会話できないままでも、子どもは英語を話せるようになった」
直接的にそうは思わなくても、満たされていたと思うんです。
目的は達成されたから、他の国にまた行こうとはきっと思わないでしょう。
でも、たぶんそれで終わりにはならなくて、今度はまた別の、「私が過去にできなくて後悔していること」を、子どもに期待していたと思います。
たとえば、陽キャな青春時代を送るとか。笑
そういう、私がうらやましいと思う何かを、子どもにやってもらうことで満たされようとしていたかもしれない。
もちろん、子どもができることを嬉しく思うのは自然なことです。
親ならたぶん、誰だってそういう気持ちはある。
でもそれが強くなると、子どもは「親の期待に応えること」を正解にし始める。
親が喜ぶこと。
親が安心すること。
親が満足すること。
それを優先して、自分の人生を選ぶ子になってしまう。
親じゃなくても、先生、友人、上司、世間体、常識…
「他人の目」や「正解」を常に気にする人生。
私は自己理解を続ける中で、そうやって生きていた頃の自分に、心底もう戻りたくないと思いました。
だからこそ、それを自分の子どもにやらせてしまうのは、本当に嫌です。
無意識にでも、子どもに自分の未回収を託してしまうことってたぶんあると思いますが、だから私は今も、英語や留学のことに限らず、日常の中で
「これ、子どもに私の代わりにやってもらおうとしてないかな?」と、自分に問い直すようにしています。
長男が思い通りに動かない子だったから、気づけた
長男が海外でも不登校になったことや、本人が納得しないと絶対に動かない「流されない子」として育ったことも、今となっては、「子どもは子どもの人生を生きていて、親は親の人生を生きるしかない」という当たり前のことを、私にちゃんと突きつける出来事だったのかもしれません。
私はそれまで、自分では気づかないまま、かなり子どもに自分の人生を投影していたと思います。
だから、ニュージーランドの学校から通学拒否を受けた時は、あの時は本当にしんどかったけれど、今振り返ると、私には必要な経験だったのかもしれない。
あれがなかったら、私はたぶんずっと、子どもに何かを回収してもらおうとしていたと思います。
でもあの経験があったから、子どもの人生は子どものものだ、ということが、ようやく本当に腑に落ちました。
だから、フィリピンでは意味が違った
今回のフィリピン親子留学は、前回とは意味が少し違っていました。
子どもに何かを回収してもらうためではなく、「私は私のためにフィリピンに行く」と、自分で分かって臨めたからです。
私が学びたい。
私がやってみたい。
私が、自分の人生を動かしたい。
そのために、子どもたちに付き合ってもらってもいい。
母親なのに、じゃなくて。
子どものためだけじゃなくて。
私も私のために行動していい。
そこに、自分で許可を出せたことは本当に大きかったと思います。
だから私は、また親子留学に行きたいです。
(単なる旅行でももちろんいいのですが😊)
子どもに何かを託すためではなく、私も私の人生を生きながら、子どもたちと一緒に新しい景色を見に行くために。
出版後、少しだけ現実が動いた
本を出したからといって、いきなり人生が激変したわけではありません。
ベストセラー!Amazon◯冠!
とか、
メディア掲載で問い合わせ殺到!
とか、
全然ありません。(そりゃそうだw)
でも、少しだけ、波があった感じはありました。
発売から数日で、26冊もダウンロードしてもらえたこと。
この本をシェアしてもらえたり、何件もコメントをいただけたこと。
この本をきっかけに、案件を紹介していただけたこと。
Amazonで「親子留学」と検索した時に、自分の本がいちばん上に表示されていたこと。

ちゃんと形にしたものって、ちゃんと誰かに届くことがあるんだな。
頭の中にあるだけだったものを外に出すと、少しずつ現実が動くことがあるんだな。
それを、今回は体で感じられた気がします。
最後に
親子留学を一冊にしてみて分かったのは、私は「子どものため」という言葉の中に、自分の本音をかなりたくさん隠していた、ということでした。
でも、それが見えてきた今は、前より少しだけ楽です。
子どものためも本当。
自分のためも本当。
その両方を、ちゃんと認められる方が、たぶんずっと自然なんだと思います。
もし今、親子留学が気になっている方、そしてそれ以上に、「このままでいいのかな」と思いながら子どものことを考え続けている方がいたら。
この本が、その気持ちを少し整理する材料のひとつになれたら嬉しいです。親子留学の記録でありながら、子どもに託していたもの、自分の人生をどう動かしたかったのか、そんな本音もかなり正直に書きました。
👇気になる方は、こちらからどうぞ。
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どんなふうに受け取ってもらえたのか、ひとことでも知れたらとても励みになります✨
最後まで読んでいただきありがとうございます。
👇 Kindle出版が気になり始めたところから、実際に一冊を形にしていくまでの試行錯誤を記録しています
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