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「怪我の功名」と言えるようになるのか?

先日、怪我をした。
ランニング中の転倒。
右手の親指にヒビ。
整形外科医から、「ヒビってずれのない骨折のことね」と言われた。
私は右利き、利き手が使えなくなったのだ。

我が家の家事の担い手はほぼ私だった。
我が家はどうなる?

夫に伝えると、しばらくは夫が家にいる日は食事の用意などをしてくれると言った。

少し意外だった。
どうするん?とだけ聞かれるとばかり思っていた。
自分から何か提案するって滅多にないから。
夫のことを完全に「指示待ち族」と思い込んでいたのだった。
期待してもしょうがない、それなら最初から期待しない方がいいと。

家族に参加してもらわなくなっていた家事

なんで、家事は私ばっかりやらないといけないの?
なんて思いながらも、コミュニケーションをとることが面倒になっていた。
料理をしてもらっても、野菜が少なかったり、味が濃いめだなと思うと、自分でした方がいい、ってなってしまう。

洗濯物を干すときも、伸ばしてなかったり、ピンチハンガーに挟む時も、バランス考えずに干したり、といろいろ目についてしまう。

そこで上手に夫に伝えることができていたら、もっと夫婦円満だったかもしれない。
伝えようとする努力を、私はいつの間にかやめていた。
「なんでわからないの?」ってなってしまうから。

子どもたちにもそうだった。
子どもたちにお手伝いをしてもらおうと頑張っていた時期もあった。
子どもたちがやってみたいときは、なぜかバタバタ忙しい。
時間がない中、すぐにできることしかさせない時が多くなっていた。

やってほしい、って言いながら、その機会を奪っていたのは私自身だった。
今大変な瞬間をのりきることで精一杯だった。
子どもたちの自立につながるとか、家族が今後安定して仲良くいられるように分担した方がいいというのは、考えなかったわけではない。
待つことができなかったのだ。

時短家事の工夫、実際しない人は気づいていなかった

家事の負担を軽減したくて、ミニマリスト系の主婦の真似をしていた。
その中の一つ、洗濯物を畳む作業をなくすために、夫の仕事着は干したものをそのままクローゼットに移すという形にしていた。
怪我した当日に、夫に仕事着をクローゼットに持っていくよう伝えると、まさかの行動をした。
部屋干しスペースに干してあった仕事着をハンガーから外し、クローゼットに行ってハンガーにかけようとしたのだった。

まさかと、目を疑う行動だった。
「そのまま持っていってかければいいようにしてるんだよ」
と伝えると、
「知らんし」
と言われる始末。

干してある光景、クローゼットにかけてある光景しか知らなかったのだ。
私は、この動作を夫の前でもしているはずだった。
私が負担を減らすためにしていた工夫は、夫の記憶には残っていなかった。

夫は家事に追われる感覚を知らなかったのだ。
私が負担を減らすためにやっている行動は、夫にとっては気にかけようにも目にも入ってなかったのだ。

伝えないと伝わらないということは、わかっていた。
ここまで何もわかっていないという想像まではできていなかったのだ。

毎日のメニューを考える大変さは身をもって知る

夫が料理を初めて1週間経って、買い物していた時に夫が言った。
「毎日メニューを考えるって結構大変やね。」
たまに作ってもらうことはあったけど、その日だけだった。
1週間通して料理をするという経験が初めてだった。
夫は、毎日メニューを考え続けることが大変だということを初めて知ったのだ。

やっと私の苦労がわかったかと、ここぞとばかりに聞いた。
「私が『今日のご飯何?』って聞かれてイラっとしていた意味が分かった?」
と尋ねた。
「いや、そこまではわからん。」
私は、少し苦笑いした。
「そうだね。『今日のご飯何?』って聞かなかったもんね。」
私は、聞かれるのが嫌だとわかっていて、そこまで意地悪にはなれなかった。

怪我が治ったら、我が家の家事の役割が変わるのか?

「この怪我をきっかけに、みんなで家事をするようになりました。」
という協力し合う家族になれるのか、まだよくわからない。
私の怪我は、それほど長引かない。
せいぜいあと2週間そこらだろう。
大事なのはそれからだ。

普通に動かせるようになってしまったら、また元に戻りそうな気がしている。
そうしない方が、家族のためにも自分のためにもなることは知っている。

それをちゃんと伝えることにエネルギーを費やすかどうかだ。
私にかかっている。

本当は、夫が変わるかどうか、ではないのかもしれない。
私が、「伝えるより自分でやった方が早い」を手放せるかどうか。

「怪我の功名」となり得るのか?
その結末はまだ私は知らない。

#創作大賞2026

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