「なぜやるのか」を「なぜ見出せなかったのか」というお話。
私が起業塾に入ったのは2017年のことであると
だいぶしつこく言及していますが
それというのも「なぜやるのか」というとても大事なことを教わったし
物事がうまく行かない、続かないイベントというのに
立ち会う機会が多かったので、
「なぜそのイベントをやるのか?」考えることになりました。
「なぜやるのか」が欠けている事案に関わることがとても多かった、
というのがあって
何かイベントやるにしても「なぜやるのか」
というのを改めて問うようにしています。
結局「Why」が欠損していると物事が長続きしないので。
それが私は起業塾にいた間、何も見出せなかったというのが
教訓になっているので
「なぜやるのか」を「なぜ見出せなかったのか」
というところにフォーカスしてみます。
進化成長のために「起業塾に入らない」という選択がない

起業塾に入る前に、無料の相談会といって
いわゆる「掘り起こし」ワークのようなものを行って
それを提出してから説明を受けたのを覚えています。
起業塾入ってからも「強みというのは過去の実績からある」
という理由で、自分の掘り起こしというのを
序盤の方ではかなり力を入れてやってきました。
まぁ、掘り起こしというのは行き詰まった時に
とても大事になる振り返りなので、
やると決めた時にはやったほうが良いのですけどね。
起業に使える「強み」を見つけるプロセスで
過去の掘り起こしになりうるいくつかの質問があって
それに答えていく、という形をとってやっていきました。
「どういう人生だったら嫌か?」
「願いが叶うならどういう人生が良いか?」
質問の内容は全部覚えていませんが
「どういうのが自分の人生で最悪のシナリオ?」
みたいな嫌なほうなら覚えていますね。
こうして振り替えてみると、あの質問シートは
私が起業塾に入る選択以外無いという
イニシアチブを取るためだったのかも知れないですね。
誰だって「嫌だ」と思う未来には突入したくないし、
それに対しての焦燥感や危機感というものがあるでしょう。
そうして危機感を感じてもらうことで
起業塾に入らない=現状維持、すなわち悪い展開にそのまま突入、
という未来を描かせることは容易かったでしょう。
悪い言い方をすれば「最初から手のひらの上で踊らされていた」
というのでしょうが、
当時の私の状況からいって、
会社の仕事以外の自分の強みを作ることに一生懸命で
お金を湯水のごとく多方面で使っていたので
むしろ救われたと感謝しかありませんでした。
あのまま起業塾に入らなければ、
高額セミナーの沼から抜けられなかったでしょう。
過去の掘り起こしの中で出てきたものは「怨嗟」

掘り起こしのところで、ここで1ミリでも「綺麗事」が出れば
「なぜやるのか」というところが明確になったのかも知れません。
「どういう人生だったら嫌か?」という問いに対して
「困っている人たちを誰も救えない無力な自分が嫌だ」
という答えを私が出せているのだったら良かったのかも知れない。
「何が嫌か」というところに出てきたのは怨嗟のオンパレード。
「お金のために会社で、やりたくない仕事をさせられるのは嫌だ」
という風に正直に書きました。
他の塾生みたいに「命に換えても守るべき存在がいる」とか
そういう抜き差しならない理由があれば
いくらでも美辞麗句を書けたのですが、
そういう存在もいないので、気前の良いことを書く理由もなかったので。
当時は不本意と思っていた仕事が
圧倒的に多かったのも手伝う結果となりました。
もっと金さえあれば…、と。
人の人生において金というのはどこまでも人を苦しめ、
金がないと生活できないと思わせて、不本意な仕事を強制して縛り付ける。
しかし生きるためには会社に依存するしかなく、
いつまで経っても辞める未来が見えてこない。
しかしながら辞められる根拠がない限りは
辞めるのは愚者の蛮勇というもの。この匙加減というものがなんとも困難。
会社に居続ける限りは、いつまで経ってもやりたいことはできやしない。
会社で「優秀」と呼ばれる人ほど、ストレスで心身をすり減らし、
心療内科に通い、薬を飲みながら働き続けてて。
一見立派に見えるその姿は、実は「生きながらにしてゾンビ」、
薬に支えられ、会社に支配されるだけの人生。
「やりたくない仕事を拒む」だけの実力がない自分に腹が立ち、
腹いせに酒を飲むことで癒しを求める。
だから、会社行かなくても稼げるようになりたい、そう書いたと。
「会社行かなくても稼げる」というところに「幸せ」の形を見ていた、
というところが起業の入口でした。
「やりたくないことを、やっている暇はない」
そういって思うがままの人生を歩んでいる人に憧れていた、
というのもあったので起業塾に入って
とてもテンションが上がったのは覚えています。
「やりたくないこと」に囲まれていて「やりたいこと」が見えなかった

「やりたくない仕事なんてやりたくないし、それで人生終わるのが嫌だ」
おそらく誰でもそう思うだろう、ということを
書いた意味では間違いないのでしょうが
起業をやる理由としてはちょっと弱い。
起業をしたい理由が「会社のやりたくない仕事を辞めるため」
というのが端的で、それが起業塾を辞めるまで改まることがなかった。
塾生のほとんどが「やりたいこと」が見えていたので
起業の理由として「誰かのお役に立ちたい」というのが
彼らの場合はすんなり出てきたわけで。
建前にせよ本音にせよ「誰かのお役に立ちたい」
というのは理由として大事なことですね。
私の場合は普段から会社をはじめとした「やりたくないこと」
に埋もれていて、何がやりたいのかが見えてこないから
やりたくないことばかりフォーカスして、
「やりたいこと」にフォーカスができなかったことですね。
誰しも「やりたいこと」「やりたくないこと」
というのはあると思うのですが
「やりたいことをなんらかの理由でやる」のが起業というものでしょう。
その理由を「やりたいことはわかった、じゃあそれをなぜやるのか?」
と問うているわけですよね??
「なぜやるのか」というのは単純な問いのようでいて
その前提で「やりたいこと」が何か?
というのがあったのではないでしょうか。
私は「やりたくないことをやめる」というのが本質的なゴールでした。
起業で成果を出していたメンバーは「やりたいこと」がはっきりしていたし
それを「やる理由」もしっかり言語化できていた。
人と比べるのはナンセンスと思いつつ敢えてしますが、
起業でうまく行った彼らと私は、最初から同じ土俵に乗っていなかった。
「やりたくないこと」にフォーカスしていると
「なぜやるのか」も「やりたくないことを辞めたいから」
しか出てこず深層的な本質を見失い、浅慮も浅慮。
まずは「やりたくないことをやめる」ことをやって
「やりたくないこと」にフォーカスするのを
辞めさせなければならない。
さもなくば起業をする理由が
「会社を辞めたいから」という理由で終わってしまう。
総括
「やりたいこと」のが何かというのを手探りの状態で
「なぜやるのか」と問われたので
答えられるものがやっぱり手探りでしたね。
私はどちらかというと起業塾同期生と比べられたりで
「焦り」ばかりが先立ってしまっていました。
会社を辞めるとか、同期に負けないようにとか、
やるべき理由が本質とズレたものになってしまう。
まず「やりたいこと」を見つけてそこから
「なぜやるのか」という問いに対する答えを
探せたら良いのかなと思います。
