#141 汗とちょんまげ|ショートショート
断髪令が出た。
江戸から東京へ名が変わったばかりの町で、源之助は床屋の前に立っていた。長い間大切にしてきたちょんまげを、今日切るのである。
「もったいない……」
源之助は鏡に映る自分の頭を見つめた。頭頂を剃り上げ、残りを結い上げたその形は、戦場で兜を安定させ、暑い夏でも熱を逃がすための工夫だった。
「さあ、近代日本の始まりですよ」
床屋が張り切って鋏を入れる。
ちょんまげが落ちた瞬間、頭が妙に軽くなった。風が頭頂を直接撫でる。
「これは……涼しい」
家に帰って古い兜を出してみたが、もうかぶる機会はない。代わりに、官庁から支給された洋服を着た。襟が高く、生地が厚い。すぐに背中と脇が汗ばんだ。
源之助は新しい仕事に就いた。机に向かい、慣れない書類を処理する日々。ちょんまげのない頭は確かに涼しかったが、洋服の下では以前より多く汗をかいている。
夏が深まったある日、同僚が言った。
「源さん、おまえちょっと汗くせえぞ」
源之助は苦笑した。かつて戦場で兜の下を守ってくれたちょんまげは、もうない。その代わりに、平和な机の上で別の場所が汗だくになっていた。
歴史は前に進む。髪型も変わる。ただ、人が汗をかくことだけは昔も今も変わらなかった。
