「星雲乱破ナイファス」第三話
硬質な薬品臭がいつも漂う、真っ白な研究室のベッド。物心ついた頃から、チタン製ドアの向こうに足を踏み出したことはない。実親らしい「パパママ」とは数度ガラス越しにすれ違ったが、髪や目の色、顔立ちがとても自分と似ていた。
時計なども設置されず、現在が何年の何月なのかも分からないが、かなり長い間「パパママ」はここを訪れていない。自分の赤い髪がひどく伸びて、両目を覆ってしまった。
室外が騒がしい。今まで知らない大きな音が連続して響き渡り、空気が上下に揺さぶられる。怯えて両耳を塞ぎながら、部屋の角隅でうずくまった。振動は大きくなるばかりで、未知の恐怖に身体が震え呼吸が乱れる。
数分、数時間だろうか。無心に厄災が過ぎ去るのを待っていると、重いドアロックが外されて誰かが入って来る。白いカーテンに隠れて息を潜めるこちらに、接近する人の気配。
「そうび」
低く響く優しい、知らない音域。布越しに顔を覗かせると、背の高い男の人が屈んで自分を見つめていた。肩に溢れるプラチナブロンド、チョコレートのような肌に翡翠の瞳。絵本の主人公だった、美しい月光エルフの王様だ。王様は赤く濡れた黒い服を着て、両手に長いピストルを持っている。テレビドラマで使われていたやつ。
「そうび、迎えに来た。一緒に行こう」
「……パパママは?」
「…………」
月の王様の顔が歪み、エメラルドの目は水晶の粒をきらきらと零す。大きな人が泣く姿は初めてだ。
「俺は、青衣の友達だ。一番の」
「ジョーイ、ともだち……」
「そうび、俺の家で暮らしてくれ。嫌か?」
「……」
「俺は静だ。シズカ・アマデウス・ツタンカーメン」
「シズ、シズは僕といたいの?」
「そうだ、ずっと一緒にいて欲しい」
「……うん、いいよ」
彼は泣きながらも微笑み、小さかった手に自身の頬を撫でつけ、指に唇で触れた。その瞬間から、私自身が自分の意思で、生きるべき本当の意味を抱く未来への時間が始まったのだ。
「ソーヴィ少尉!」
消毒薬の匂いと冷たいシーツの感触に硬めの布団。病院にしてはライトが淡やかで、アイボリーの壁紙が暖かい。視界を覆う銀色、握られた右手に繋がる点滴のチューブ。
「ごめん、変な小芝居して本当にごめんね。俺、ついはしゃいじゃって……」
中途半端な睡眠のせいか、頭が重く偏頭痛が治らない。どうやらフローリングの上に敷かれたマットで寝ていて、誰かのコートを重ね掛けされているようだ。逞しい腕が背中をゆっくりと撫で、抱き起こしてくれた。
「…………ベリフィールズ伍長?」
「基地で倒れたんだ。栄養失調と過労、発熱もしてる。こんなに痩せてやつれちやって……。ああもう、かわいそうに……」
長い銀髪から覗く端正な美貌と眼帯は変わらないが、左頬と鼻の上に深い古傷が目立つ。視線で気付いたらしい彼が「厚化粧で隠してたから」と苦笑し、濡れたハンカチを額に乗せ直してくれた。その背後にもう一人、短い鳶色の髪の、伍長よりは背が少し低いが屈強な男が現れる。
「少尉、こっちは軍医で俺の戦友」
「バウアー曹長です。失礼ながら、お身体を診察させて頂きました」
「それは、ありがとうございます……」
まだ混乱しているが、指をついて礼を返した。優しい苺の匂いが室内に漂ってくる。
「固形物はまだ胃に良くないからね」
ソーヴィから点滴チューブを外したベリフィールズ伍長が差し出したのは、見慣れていたマーク入りのエコカップ。その白い紙パッケージを開けると。
「ベレネーゼのヨーグルトベリー! 杏仁豆腐入りの!」
「大好物でしょ? ホットがいいんだよね?」
「はい! 私、夏でも冷たいものは飲まないので……」
「ゆっくりね、お腹がビックリしないように」
「すみません、いただきます……」
暖かくとろみのある苺と、ヨーグルトが絶妙に絡み合って杏仁豆腐と混ざり合い、喉を流れていく。屈強な男性二人に暖かく見守られながらの飲食は、子供に戻ったような気分だ。
「はあ……、美味しい……」
「俺はお茶を淹れてくるから、少尉はバウアー先生と話して」
「あの伍長、もうお構いなく……」
銀髪の青年は軽くウィンクして、おそらくキッチンがあるだろう隣室へ移った。冷静に眺めると、七畳程の壁にテレビとウォークインクローゼット、廊下を挟んでランドリーとバスルームが続くようだ。とてもセレブリティかつ、ノーブルな空間だった。
「ご心配なく、こちらは伍長が私的に所有するマンションです。ジュピトリスのルーデン地区にあります」
「個人不動産ですか? 彼はとてもお金持ちなのですね……」
「セキュリティも万全ですので。また彼が説明しますが、今はまず少尉殿の体調についてです」
「あ、私は……」
「存じております、クシィー・セクシャルであられると」
クスィーとは、自然受胎児ナチュリアでも特に珍しい、精巣と卵巣子宮を体内に持つ新人類。長年重ねた遺伝子配合の悪影響で、妊娠率が著しく低下しているデザイン・チャイルド達と代わる希望の星だ。一人だけで次なる子孫を残せる貴重なクスィー種の研究には、まだまだ未知の領域が多い。安定したセロトニンやテストステロンのバランスを維持し、性的欲求に繋がる嫉妬心や恋愛感情をほぼ抱かないとされる。
「乳腺や前立腺、子宮の定期検診には行かれていますか」
「いいえ、忙しくて……」
「予約をうちのクリニックに入れました。このマンションの二階フロアです」
「わ、私には手持ちがありませんので! お恥ずかしながら……」
ふふ、と笑って正座をしたバウアー医師は軽く視線を下げる。灰色の瞳だ。
「ビースト・ウルフである私が、医大を出て医師免許が取れたのも、先代の響・ツタンカーメン公が、天王星の修学システムを改革して下さったお陰なのです。お孫様である貴方には、どれだけの恩返しをしても足らないのですよ」
「……それは祖父の功績ですし、私はツタンカーメンの実子ではないので」
「そんなの、全然関係ないよ」
横扉が開き、ベリフィールズが部屋に戻った。簡易コップから湯気が上っている。
「ソーヴィ・キャスバリエ少尉。星間飛行隊の試験では、遺伝子上の親御さんの苗字を使ったんだね」
「伍長は私の出自についてはきっと、私自身よりもお詳しいのでしょう」
「一応ね、諜報機関に長くいたから。そもそも、ツタンカーメン家の伝説的な感動ストーリーを、宇宙で知らない奴なんていないよ」
「伍長、それは……」
「私は隣におりますので」
軽く会釈し、ドクター・バウアーは席を立つ。医師との会話がセンシティブな内容になると知り、伍長は場を外していてくれたのだろう。「さ、横になって」と一緒に敷布の上に寝転ぶ。
「青衣・キャスバリエ上級大尉は単身飛行で盗賊艦に特攻して、民間船を救出した英雄でしょ? 親友だったツタンカーメン閣下が、忘れ形見の貴方を引き取って育てた。それこそ腹に入れても痛くないくらい、大切に愛してね。でも今は、その宝物が大反対を無視して飛行隊に入り、家庭崩壊状態」
「腕利きパパラッチでも知らない事実ですよ。伍長は怖い方なのですね」
ソーヴィの分だけコートの上掛けを重ね、銀髪碧眼の青年は笑った。一つだけのプラネット・ブルーの瞳は限りなく優しい。
「大金持ち一族の事情ってのは、どこからか必ず漏れるもんさ。それに遅い反抗期がやっときただけで、大騒ぎするもんじゃないよ。喧嘩にしろ、パパ閣下は貴方の口座に500万デュベを振り込んでる」
「まあ、意地を張って使いませんけど」
長い指が乱れている額の赤毛を撫で上げる。やはり彼とは初対面ではない。蒼い瞳にそう確信したソーヴィは脳内の声帯データを引き出すが、記憶は全く見当たらない。
「ここは俺が木星の開発初期に、セーフハウスとして買ったビルでね。すっかり忘れてたけど、役立って良かったよ。今日からアナタの家になるんだから」
「……えっ、と?」
「星間飛行隊の独身寮は、三日後に解体される。あんなボロ家でよく一年も暮らしたね。でも、もう一人で戦わなくても大丈夫だから」
「解体!? な、なぜです!?」
「そうね〜、俺が飛行隊を、太陽系連邦軍から買い取ったからかな」
小さな口をポカンと開けたままのソーヴィに、「ハハハ!」と伍長は笑う。
「と、言う訳なので。もうアナタの居場所はここしかありません! 未使用の部屋だし、掃除も除菌も終えてるから。お風呂もご無沙汰でしょ? 今夜はゆっくりぬるめのお湯に入って眠るんだよ。俺は布団とか衣服とか、それと日用品かな? 買って来て、そうだな、二時間くらいで戻るからね。何かあったら連絡して。セルフィアイに俺のナンバー入れといたから」
ハクハクと唇を戦慄かせるソーヴィは、コートを跳ね飛ばして起き上がる。
「買い取った!? どういう、どんな権限で!?」
「はいはい、病人が大声出しちゃダメ。ああ、具合はどう?」
言われてみれば、あんなに酷かった頭痛も吐き気も消えている。
「……不思議です、こんなに気分が良いなんて……。いつも熱が出た後は、しんどくて何日も寝込むのに」
「まだ油断大敵だよ! じゃ、買い物に行って来ますね!」
「い、行ってらっしゃいませ」
「はーい」
その発音にソーヴィはハッとする。そうだ、このイントネーション!
「声変わりしてる……!」
「……俺の血は、うまく適合したと思う?」
「問題ないですよ。本当に幸運な方だ。アルファ級ビースト……グリフォンの血液を飲めるなんて」
マンション屋上にあるヘリポートにて、風に煽られながら二人のビーストはセイフティバーに背中を預けていた。銀髪を乱しながら男は、自分の左腕に残った注射跡をこする。
「あの人の善徳でしょ。ツタンカーメン閣下も、我が子を谷に落とす獅子の真似事するなんてね」
「さてどうしますか、マンジー・ベラスカトーレ少佐」
黒い眼帯を外し、美丈夫は夜を深めた天空を仰ぐ。
「死を告げる鳥、美しきナイチンゲールをもう一度飛翔させるさ」
【第三話・終】
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マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。