「蒼き星のラ・フィデール」第一話
「お兄ちゃん、怖いよ!」
「兄貴、俺たち死ぬの!? 死んじゃうの!?」
泣き叫ぶ幼い弟妹六人の悲鳴が、狭いフロート型スペースボートの中に反響している。幼いのは「お兄ちゃん、兄貴」と呼ばれているヴァペナ・ユバーナ・アンタレスもそれほど変わらない、タイガーバイオノイド種の八歳になる小学生だ。
ここにいる全員は、両親を同じアムールタイガー系の人造遺伝子に持つ兄弟で、うっすらとした黄金と黒の体毛に包まれ、瞳はトパーズの水晶体に翡翠を彷彿とさせるグリーンが浮かぶ。まだ幼いながらも耳も大きく牙も爪もそろそろ生え揃う時期に差し掛かる年頃だ。
長男であるヴァペナ・ユバーナのみが、一族の後継者としての証である深い葡萄酒色のたてがみを長く結い上げていた。
「うるせぇ、泣くなテメェら! さっきそこのレッドラインからSOSを出したからすぐ助けが来る! それまで我慢しやがれ!」
嘘だ、全くそんな確信はない。ずっと宇宙を放浪し続けていた旧型のメカは半分以上スクラップ化していて、打ち込んだシグナルがどこかに拾われている可能性は絶望的なのだから。
「それ二時間前も言った!」
「アタシたち、死ぬんだ! ママ〜ッ!!」
うるせぇうるせぇ、泣きたいのは俺だって同じだ! でも一番年上の兄貴としても、銀河系に名前を馳せる「アンタレス・ファミリーの虎若子」である身として、チビ共に涙を晒すワケにはいかんのだ!
このスペースボートを発見したのは、去年のハロウィンシーズンだった。アンタレス・ファミリーのシマであるデウカリオンコロニーから、エアジェットで一人プチ冒険に出た偶然に辿り着いた。艦内部には大昔のエアコンダクターが作動していて少ないながらも酸素があり、これはいいおもちゃを手に入れたとばかりに両親や父の舎弟達の目を盗んでは、食料やベッド、ゲームマシンを毎日少しずつ運び込んだ。
ユバーナ一人だけの夢の楽園に作り上げるはずが、好奇心旺盛なこのチビ連中にバレてしまい、「乗せてくれなければ、パパとママに言いつける」と脅されたのである。家の出入りには、もっと慎重に行動するべきだったのに。
そして今日、親族が集まる大きなパーティーで慌ただしくする大人の目を盗み、誕生日プレゼントだった小型スカイラーに七人で乗って、無様にもこの状況に陥っている。
ほぼ廃棄ゴミ同然となっていた機内で、幼いとはいえそれなりに体重を誇る、タイガー種のビーストノイドが六人も飛んで跳ねてはしゃいだ。ギリギリで持ち堪えていたらしいエンジンは完全に停止して、宇宙気流に揉まれるままにどこかへ流されている。乗ってきたスカイラーも本来なら子供二人用の商品で、本格的な乗用マシンではない。家に向かって乗ったはいいが、方向も掴めずに星屑嵐にでも巻き込まれたら、そこで終わりだ。
「ううう〜! 帰りたい、おうちに帰りたい〜!!」
「オシッコしたい! 漏れちゃう!」
「お腹減ったあ! ママ〜!」
パーティーの夜とあって、そこそこのお洒落をした四人の妹は涙と涎で虎特有の長い髭と顔毛がびしょ濡れだし、二人の弟は既に泣き疲れて声も出せない。何より、薄くなっていく酸素の残量を考えただけで気が狂いそうになる。
どうすりゃあいいんだよ! チクショウ……、俺一人だけならこんなコトにならなかったのに!!
『……、……ました。どなた……、おられ、ますか?』
その瞬間、ユバーナは汗だくになったドレスジャケット姿でマイクに飛びついた。ひどいノイズまみれだが、確かに、その声は何世代にも渡り強化されたタイガービーストの鋭敏な鼓膜に届いたのだ。
「メーデー! こちらアンタレス家のヴァペナ・ユバーナ! 応答してくれ!」
『よかった! 私は星間調査隊の者です! 今、あなた方のボートのすぐ近くにいます! この通信を切らないで下さい!』
ヘルメット越しなのだろう、機械音声のハッキリした応答に子供達がワァッと歓声を上げた。安堵感から脱力しそうになりながらも、ユバーナはなんとかハンドマイクを握りしめて気持ちを奮い立たせる。
『俺と、チビの弟と妹が六人、全員で七人閉じ込められてる! 酸素もエンジンももうゼロだ! 助けてくれ!」
『了解しました! 皆さん、バディスーツは着ておられますか?』
「き、着ていない! いつもの服しか……」
『わかりました、七人ですね?』
「ああ、七人! 七人だよ!」
『それでは、外部からドアを切断しますので、全員しっかり手を繋いで。うずくまって中央に集まっていて下さい。かなり揺れるかもしれませんが、心配なさらずに』
その言葉が終わると同時に、ガタンガタンと何かが外壁にぶつかる音が響き、子供達は「わあっ!」とお互いを抱きしめた。ユバーナも必死で、全員を包み込むように両手を広げる。
カン、カンカンカン……、キュルルルル……。
タイガー種の子供が、成長途中の牙をクリニックで磨かれるような金属音。そして何かが破られる衝撃が加えられる。メキメキガタガタと歪んだちいさな出入り口が丁寧に開けられていくのを、拳を握り締め祈るままにユバーナは見つめていた。
(始祖の虎の神様、助けて下さい。もしみんなが無事なら、俺は一生、真面目な良い子になって勉強もちゃんとして、宇宙の仁義を守る男になります……!)
そのユバーナの切望と共に完全にドア部分が切除され、外からほっそりしたミルク色のパイロットスーツが現れる。フルフェイスメットで顔は見えないが身長は160cm程度で、まだ幼年虎のユバーナより15cmは大きい。ウエイトはそう変わらないだろうスレンダーなシルエット。
『皆さん、ご無事ですか!? お怪我は!?』
「うわぁ〜ん!!」
末の妹である四歳のパッタインヤが叫ぶと同時に、独特のアンモニア臭が広がる。
「バカやろう! 漏らすな!」
「だって、だってもう、ガマンできなかったあああ!」
『大丈夫ですよ、パンツもシャツもありますから。全員、まずはこのシートで汗を拭って。特殊繊維なので臭いも消えます。お腹も減っていますよね?』
うんうん、と無言で全員が頭を振る。ミルクスーツが『アレルギーのある人は?』というと、「あれるぎーって?」と疑問符が飛ぶ。
「アレルギーってのは、昔の人間……、地球人が持ってた病気だよ……。バイオロイドビーストの俺たちには関係ない」
『……そうでしたね、失礼致しました』
その時、安心感に浸りきっていたユバーナの脳裏に一筋、嫌な予感が走った。
「アンタ、誰か聞いていいか? その、顔も見えねぇし」
『これは、ご無礼を。ああ、こちらの水と食料をどうぞ』
我先に、と差し出された緊急パックに弟と妹がかぶりつく。だがユバーナは、命の恩人がフルフェイスのメットを外していく光景に目を奪われたまま、動けない。
紫外線防止カバーを外したメットの接続部分から、ふんわりと豊かなブルネットがこぼれ落ちる。いや、自分たちビーストノイドが定義する「黒毛」ではなく、いまだかつて見たことがない、闇のような漆黒の絹糸。DNA操作遺伝を繰り返したアニマル生命体ではない、全く体毛の生えていないつるりとしたカスタードクリーム色の頬、凹凸の少ない鼻筋と掘り込み。そしてその中央には大きな瞳が……、既に文明を喪失した地球が二つ。
「お、お前! 人間だったのか!」
長兄の大声に、弟妹がひたすら飲み食いを続けていた口を止める。ユバーナは立ち上がって両手を広げ、彼らを防御し相手を威嚇した。
「ニンゲンって?」
「地球に住んでたやつらのこと? 俺たちビーストノイドのご先祖の」
「わっ、顔に毛が全然ない! ヒゲも!?」
蒼い瞳の「ニンゲン」はその反応に表情を失い、ゆっくりと両手をあげて後方へ下がった。よく見ると、腰まで長い黒髪の耳両脇サイドのみ銀の毛髪が伸びている。
「ええ。私は地球人で、そして人間です」
ヘルメットを外した声は、祖父母が庭に飾っている風鈴のように澄みきった音だ。雄か雌かは判別ができないが、生まれて初めて遭遇する滅亡種であった。
「こいつら、同族同士で殺し合って滅亡したんだ。みんな死んだって習った!」
ニンゲンは、ユバーナの厳しい指摘に視線を落とす。
ビーストノイドの義務教育課程においては、前世紀の地球人は非常に好戦的で共食いをし、自然に敬意を払わない傲慢無恥な低俗生物だと学生に教えている。皮肉にも自分達はその低俗な地球の人間によって生み出されて、今の繁栄があるわけなのだが。
「おっしゃる通りです、ですがここは非常事態であるはず。まずは船から脱出するべきではないでしょうか?」
「て、テメェらは信用ならねぇって。親父や爺ちゃんが言ってた! 虎や狼の皮を剥いでカーペットにしたんだって!」
そのユバーナの台詞に、他の子供達も怯え始めた。凍りつく空気感に気づいた人物が「では」と、腰に手を回す。ユバーナはまだ未発達な牙を剥く。
「う、動くなニンゲン野郎っ!」
「何もしません、私の母の名前に誓います」
ゆっくりと差し出されたのは、持ち主の髪色そのままの見事な漆黒の鞘。長さにして30cmほどだろうか。おそらくは短剣だ。紅と金色の組紐が緩く巻き付けられていて、真珠と翡翠の飾りが輝いている。
「きれ〜い!!」
「パッタインヤ、黙れ!」
「私が危害を加えそうになったら、それで刺し殺せばよろしい」
凛としたその表情と美しい言葉遣い、そしてそこに深く潜む恐怖に幼い六人は沈黙した。末妹だけは不思議そうに周囲を見渡している。
「わ、わかった……。預かっとく」
「父の形見ゆえ、何かあれば私と燃やして下さい」
「……、わ、わかっ、た……」
両手から両手に引き継がれる、殺し合いの為の道具の重さを知り、初めてユバーナは戦慄した。美しい声と瞳の人物には手にも体毛がなく、指もビーストとは比較にならない華奢さで、グローブをつけていても力の差は歴然。
俺、何やってんだろう……。助けてもらったのに……。
気不味く小さな顔を見上げると、蒼い宝石は柔らかく儚く哀しく、微笑みを滲ませている。諦めと慣れが沈殿している視線だった。
バシュッ!
「全員伏せて!」
油断しきっていた子供達全員が横に引き倒されて、ユバーナ自身も床に頭をぶつけ、眼前に花火が散る。違う、これは本当の火花だ。ガラスが割れる音が破裂し、警報器がけたたましく叫び上げる。
「いってぇ……」
「おねぇさん!!」
「!?」
妹の切り裂かれるような悲鳴とクラクラと揺らぐ視界の中で、自分に覆い被さった細身から暖かい何かが滴ってくる。充満する鉄の匂い……。
「ご無事で!?」
無事、じゃねぇよ、アンタが。
そう返したかったが、できなかった。ポタポタと真紅の雨がユバーナの口の中にまで入って、生まれて初めての生肉の味に虎としての本能が覚醒しかける。漆黒の髪の人間の肩から、銀色の細い破片が貫通している。
「ア、アンタ……! なんで俺を!?」
「兄貴! この人死んじゃうよ!」
「おねぇさん、血が、血がたくさん……!!」
「だ、いじょうぶ、です……。血管は傷ついていない……、おそらくは」
はーっ、はーっと、大量の出血で髪を染めていく人間は深呼吸をしつつ、呆然としたままのユバーナの腕を引き上げる。
「私の予測が甘かった、ごめんなさい。旧型エンジンは漏電するんでした……。早くここから脱出せねば」
「アンタ、血が、そんな……、俺のせいで……!」
「平気ですよ、慣れているので。それに見た目ほど痛くはないです。皆さん、パックの中のバディスーツを着て下さい。大人用ですが、腕と足をまくって」
血まみれの人物がにこやかに指示をするまま、大き過ぎるショックを受けている子供達は無言で従う。ユバーナに至っては精神的な打撃で指の震えが止まらず、庇ってもらった相手にスーツを着せてもらうほどだ。
「あと数分で私の同志が来てくれます。皆さん、元気を出して」
子供七人がスーツをなんとか身にまとうと、そこでやっと微笑みの恩人は自分の手当てを始めた。
「アタシ、手伝う」
「ああ、ありがとうございます。ではこのシートを私の傷に貼って下さい」
「はい」
「ぼくもやる」
「僕も」
「あはは、そんなには大丈夫。お気持ちだけ頂きます」
弟と妹が不慣れな手つきで止血シートを剥がす姿を、ユバーナだけがぼんやり眺めていたが、カタカタと床底から響き出した揺れに正気を取り戻した。
「ご心配なく、同志の船です。すっかり聞き忘れていましたが、皆さんのお宅はどちらでしょう?」
「アタシたち、アンタレス・ファミリーの子なの」
「それはそれは、親御様もご心配でしょう。お近くまでですがお送り致しますので」
バタン、と再びあのドアが開き、ダークグリーンバディスーツの、間違いなく人間の大人達が二人。フルフェイスのヘルメットを被ったまま入って来た。
無駄のない訓練された動きだ、ユバーナの虎としての本能が告げる。油断はならない。
『殿下、お怪我を!?』
「私は良い、こちらの方々はアンタレス・グループの御息女方だ。くれぐれも失礼のないように」
『あのビーストマフィアの……、御意』
(……殿下、御意……、聞き慣れないセンテンス、それにこいつら銀河制定標準語を話していない。とても古臭い異国の訛りが強い発音だ)
弟二人と妹四人は、大人コンビに軽々と抱き上げられて簡易通路を進んでいく。この連中がチューブトンネルを繋いだのだろう。すぐに真新しく明るい船室へと移動し終わる。子供達は明るい歓声を上げた。
「もう大丈夫ですよ、貴方は家族を守ったのです。本当に立派でしたね」
漆黒だったはずの髪を血で固めている命の恩人に優しく肩を支えられて、その瞬間にユバーナの涙腺は一気に大崩壊した。三時間、ずっと死ぬかと思って本当に本当に怖かった。もし弟や妹に何かあればと、心底恐ろしかったのだ。
「俺は……っ、助けてくれたアンタに……っ、ひどいコト言った……」
「私は平気です。人間や地球人は本当に残酷な生き物ですから。これからもそれを忘れずに。もう、二度とお会いする機会はないでしょうが」
「あ、あのこれ……」
ずっと強く握りしめたままの短剣を、持ち主に返そうとした時。
『これは……、閣下!』
弟妹にドリンクを渡していた人間二人の前に、一人の影が降臨する。そうまさに「降臨」という表現が相応しい。ユバーナの肩を抱いてくれている人物と同じく、漆黒の長い髪に白銀の房のような毛髪。そして地球色の双眼。二メートル近く見上げる太刀のような長身だ。そして一度見たら忘れられない、美術館から抜け出てきたオデュッセウスのような逞しい美貌。
「アンタと似てる……」
思わず声に出すと、長身の男と同じ黒髪銀髪と蒼眼の人物はユバーナに頷く。
「兄上、わざわざ御足労を……」
隣に立つ人物が言い終える前に血濡れの頬に平手が飛び、破裂音が響いた。
「テッ、テメェッ! いきなり何しやがるっ!!!?」
『閣下、おやめ下さい!』
「口出し無用、愚か者の身内に鞭を打っただけだ」
倒れる寸前でユバーナがその痩身をなんとか全力で支えたが、床に打ち付けられていたら、やっと止血した傷が開いたかもしれない。
「この人はなぁ、俺らを命懸けでなぁ! たっ、助けてくれたんだぞ! それを、それをテメェ……!!」
「申し訳ありませんでした、兄上」
「秘匿作戦中である。この責任は取ってもらうぞ少尉」
「承知しております。ですが幼い命を見捨てるなど、それこそ我らの大義に反するのではありますまいか」
「賢しい口を」
再び振り上げられた腕を、ユバーナが全力で受け止める。
「重っ!!」
物凄い筋肉量と速さだ。父や叔父達成人のタイガービーストにも勝るとも劣らない、余程の手練だ。
(野郎、殺しに慣れてる動きしやがって!!)
人為的に肉食獣の優生遺伝子操作で生まれ、何世代にも渡り身体血統を磨き上げてきたタイガービーストノイドの瞬発力とタフネスさは、絶対に人間などには負けないはず。それなのに皮膚一枚にも牙と爪が届かない。
「乳臭い赤子の相手など、暇はない」
「この下衆が! 怪我してる実のきょうだいを殴るなんざ、どんな躾されてきてんだよ! 親の顔が見てぇぜ!」
「ミスター・アンタレス、おやめください。兄上も」
氷の美丈夫はそのまま、二人を振り返らずに圧倒的な存在感と共に船の奥へ消え去った。まるで疾風を伴う嵐のように。
「あの野郎、大怪我してるアンタを殴った! 最低だ!」
「本当は優しい人なのですよ」
「このオタンコナス! 家庭内DV受けてる連中はみんなそう言うんだよ!」
悔しさに溢れる涙をそのままにして怒鳴ると、「ふふっ」と、春の花吹雪が頬を掠める。思わず目を奪われる、名画の中の綺麗な優しい微笑みだった。
『殿下、アンタレス・グループの代表と通信が終わりました。すぐに迎えに来られるようです』
「良かった……。ミスター・アンタレス。本当に申し訳ないながら、我々は他人種の前に顔出しができません。ここでお別れになります」
「ミスターじゃねぇ。俺はヴァペナ・ユバーナ・アンタレスだ。家族はユバーナって呼ぶ」
「これは素晴らしい。ヴァペナもユバも、私たちの故郷では香りのいい、体に良い花と植物なのです」
「アンタは? なんつーの?」
「……私は……」
熱帯のスコールが降る前の空のような翳ったその表情に、ユバーナは「あっ、別に無理に聞かねえけど」と慌ててフォローを入れる。雨は降らずに、蒼い地球の瞳は儚げに揺れた。
「……亡くなった両親には、李杏樹……リアンジュという木の名前を貰いました。もう誰も、その名で呼ぶ人はいませんが」
「リアンジュ、俺はまた必ずアンタに会うから。絶対にこの恩返しをする」
「そんな、お気になさらずに」
「また、会いたい。絶対に」
ユバーナの虎種族特有のトパーズアイが熱く輝き、毛深い両手が細い指を包んだ。少し小首を傾げて考え込んだ人は、「ではまたその折には、どうぞ、お宜しく」と微笑む。哀しい別れの言葉にドッと言いようのない気持ちが溢れて、思わず黒髪を抱くように抱擁してしまっていた。
(……爽やかで、上品な植物の香りだ。これがヴァペナ?)
この人の体臭も瞳のプラネットブルーも、風鈴の声も絶対に忘れまい。
ビーストバイオロイドの技術力ではない、明らかな未来型フロートシップに子供達が全員入り切ると、彼らの流線形態の船一隻が彼方へと消えていく。それから……それから……。
「お兄ちゃん! すごいよ! あれ観て!!」
「大きいロボット〜!!」
「兄貴、あれニンゲンが作ったやつ?」
二足歩行スタイルの、まるで古代の武士のような軍事ロボット兵器が、ゆっくりと旋回しつつその美しい機体を宇宙に羽ばたかせ、ユバーナ達に手を振っている。きっと、最初にボロ船のドアに辿り着いてくれたのは、このロボットなのだろう。
「凄ぇ……、機械の巨神……。違う、天使だ!」
純白の機械天使は、最後にアイライトをグリーンに瞬かせて、あっと思う間もなく星雲の海へ飛び去ってしまった。
「……ありがとう、リアンジュ。絶対にまた会おうな……」
緊張と恐怖、興奮から一気に解き放たれ、放心したままのユバーナや弟妹がエアシートに座り込んでいると、すぐにアンタレス星系から両親がパーティースーツとドレスのまま、高速艇にて迎えに来てくれた。
叱責されるかと怯えたが、タイガーマフィア・ファミリーの若頭である父も姐として組織をまとめる母も号泣して、子供達を抱きしめる。その背後にはもらい泣きをして「良かったです! 無事で本当に良かった!」とファミリーの舎弟連中。
「これからみんな病院で検査だ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんも来てくれるよ。みんな、よく頑張ったな。アンタレスの虎子はうちの誇りだ」
「ユバーナあんたもね、本当に偉かったわよ……」
いつも勝気な母が化粧を泥のように崩したままで笑う顔に、ユバーナは先ほど展開された人間兄弟のやり取りを思い出さずにはいられない。どうしてあの「兄上」は、怪我をしている年下の家族を殴ったのだろう。自分の家ではあり得ない衝撃的な光景だった。
「なあ、母さん、父さん」
「ユバーナ? どこか痛い?」
「どれ、父さんが背負ってやろうか」
屈んだ広いタイガーバイオノイド背中に、慌てて拒絶を示す。弟妹の前で冗談ではない。
「俺は、これから勉強も体術の修行もしっかりやる。語学を学んで大学にも行きたい。一人前の虎の男になって、そんで将来は立派なタイガーアンタレス・ファミリーのボスになる」
八歳の息子が突然の宣誓をし始めたので、虎の遺伝子を濃厚に継ぐ両親は、彼と同じトパーズの中に翡翠が沈む瞳をパックリと見開いて、それから吠えるように爆笑した。
「どうしたの、あんたって子は!? いつもいつも宿題だってろくに終わらせられないのに!」
「お前、クラスの下から何番目の成績か忘れたのか? おいおい、まさか頭でも強く打ったんじゃないだろうな?」
弟妹まで涙を流しながら笑っていた。自分はこんなにも暖かい家に生まれたのだなと感謝が胸に流れ込む。
「俺は」
スラックスの腰から、返しそびれた美しい漆黒の拵えを手に握る。
「こいつを、必ず返しに行かなきゃなんねぇ。そんでもって、アイツの兄貴に必ず土下座させてやる」
ヴァペナ・ユバーナ・アンタレスはその宣言通り、18歳にて名門の私立大学を主席卒業し、勉学と格闘技、剣術の習得にひたすら励み続ける事になる。身長は193cmに伸び上がり、虎族特有のしなやかな筋肉に覆われる美丈夫へと成長するのだが、それはまだ先の話。
こうして、後世に「黄金の虎王」と呼ばれる彼の物語は始まったのである。
【蒼き星のラ・フィデール】一話 終わり
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マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。