#198 | cittoの記録 | 自分の取り扱い説明書を書き換える日
**citto(チット)**です。
読みに来てくださり、ありがとうございます。
休職して、10ヶ月目に入りました。
今日は、息子との関係について考えていたはずでした。
けれど、娘と話し、家の空気を感じ、そして自分の気持ちをたどっていくうちに、本当に向き合う必要があるのは、息子ではなく「自分自身」なのだと気づきました。
最近のわたしは、関わることでうまくいかないことばかりが重なっている気がして、いつの間にか「全部、わたしのせいだ」と結論づける癖がついていました。
その癖をいったん止めて、「自分の取り扱い説明書」を、今の状態に合わせて書き換えてみようと思いました。
今日は、その記録を残します。
「うまくできないわたし」を前提にしていなかった
わたしはずっと、
「ちゃんと考えられるわたし」
「調整できるわたし」
「回復していく途中のわたし」
を前提に、自分を扱ってきた。
でも実際には、
ずっと疲れていて、判断力も気力も落ちている。
それなのに——
以前と同じ性能を自分に求めて、
できないたびに「やっぱりダメだ」と評価していた。
それは、故障している家電に、最新機能を期待し続けるようなものだったのかもしれない。
問題が起きるたびに「わたしが悪い」にしてきた
家族の関係が微妙になると、
仕事がうまくいかなくなると、
誰かとの距離ができると、
わたしはいつも、
「わたしの関わり方が悪かった」
「わたしがうまくできなかった」
と結論づけてきた。
そうしておけば、
世界はまだ自分の努力次第でコントロールできる気がしたから。
でも今は、
もうコントロールできる余力が残っていない。
それでも自分を責め続けるのは、
回復を促すどころか、消耗を長引かせるだけだった。
今日、書き換えたい「自分の取り扱い説明書」
今時点での、暫定版。
・この人は、長期的に疲弊している
・すぐに答えを出させない
・人生や仕事の判断は保留
・感情の揺れは「異常」ではなく「通常運転」
・できない日は、理由を探さない
良くなろうとしなくていい。
前向きにならなくていい。
「今はこういう状態」と扱うこと。
それだけでいい。
さいごに
休職して、10ヶ月して今更。
自分を直視できていなかったことは非常にショックでした。
ただ今日は、
「間違った前提で自分を扱い続けていた」
ということに気づけただけで、十分な一日だったと思いたいです。
この先の回復において、
どんな「取り扱い説明書」を書くだろう?
今日は、このへんで。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
おまけ
今日は「うに」と上手く波長が合わず、噛まれてばかりだった。
ただただ、悲しい。
きっと、外にも行けない、サークルの外にも出られない。
ストレスを感じているのだと思う。
「うに」が一番辛いはずだ。

