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銀行口座すら開けなかった。渡米1ヶ月目のリアル

窓口の女性が、また首を横に振った。

3回目だった。手元の書類はもう、何が足りないのか自分でもわからなくなっていた。車のリース契約書は情報が1枚にまとまっていないと言われ、ソーシャルセキュリティの住所は使えないと言われ、会社が私の雇用と住所を保証する書類ならいけるかもしれないと言われて用意したのに、それも最終段階で覆った。

「口座を作るには、住所の証明がいる。住所を証明するには、口座がいる。」

そんな謎のループに、渡米初日から突き落とされていた。

2023年1月、J1ビザでアメリカに降り立った私を待っていたのは、映画で見るような「新生活のワクワク」ではなかった。もっと地味で、もっと切実な、生活インフラを整える戦いだった。

まず銀行口座。Chase Bankにこだわったのには理由があった。アメリカ最大級の銀行のひとつで、いずれそこでクレジットカードも作りたいと思っていたから。
ただ、アメリカドルで給料を受け取れないまま生活するのはさすがに苦しくて、住所証明がそこまで厳しくない別の銀行を、とりあえずのつなぎとして開いた。

今になって振り返ると、あの時あきらめずにChaseに通い続けてよかったと思う。起業した今は、法人口座もChaseにまとめている。個人も法人もひとつの銀行で完結する安心感は、あの3回の窓口通いと引き換えに手に入れたものかもしれない。

運転も、想像していたのとは違った。

そもそも日本では、ほとんど運転をしてこなかった。日本の高速道路である程度スピードには慣れたつもりでいたけれど、そんな自信はフリーウェイの洗礼であっさり崩れた。
制限速度を守って、遅い車のためのはずの一番右レーンを走っていても、後ろからガンガンクラクションを鳴らされる。道幅が広い分、車線変更のたびに「本当にこのタイミングで大丈夫なのか」と冷や汗をかいた。

赤信号でも一時停止して確認すれば右折していい、というルールを知ったのも、交差点でクラクションを鳴らされてからだった。日本と逆の左ハンドル・右側通行だというだけでも十分だったのに、ルールそのものも違う。ひとつ覚えるたびに、自分がどれだけ「知らないことだらけ」で、この国に立っているかを思い知らされた。

シェアハウスの暮らしも、簡単ではなかった。

最初に住んだ家のオーナーは、正直なところ、自分が得することしか考えていない人だった。洗濯機と乾燥機は設置されていたのに、暖かくなると「うちは暖かい時期は乾燥機を使わない主義なの」と言われた。契約上は使う権利があるはずなのに、と思いながら、結局は普通に使わせてもらった。
同居していた彼女の高校生の息子も、かなり苦労している様子だった。

家にはペット用のカメラが置かれていたが、それが私や息子の様子まで映すのに使われていて、常に見られている息苦しさがあった。不満を伝えても、感情的に怒り出すだけで、まともに話し合いにならなかった。

プライバシーのありがたみを、こんな形で思い知るとは思わなかった。

そして地味に効いたのが、円安だった。

渡米当初は日本から資金を送金しながらの生活だったので、為替レートが動くたびに、実質的な生活費が目減りしていく感覚があった。1ドル130円の時に立てた予算が、気づけば150円になっている。同じ1000ドルの家賃が、日本円で見るとどんどん重くなっていく。この感覚は、実際に経験しないと、なかなか実感が湧かないものだと思う。

こういう話は、誰も事前に教えてくれなかった。

「アメリカで新しい人生を始める」という言葉の裏には、こういう地味な戦いがぎっしり詰まっている。銀行、車、住まい、お金。憧れとは呼べない種類の苦労が、生活のいちばん基礎の部分に、静かに積み重なっていた。

でも今なら、これが失敗でも挫折でもなかったとわかる。ただの通過儀礼だった。

もしあなたがこれから海外に出ようとしているなら、伝えたいことがひとつだけある。憧れた生活の「その先」には、こういう地味な戦いが必ずある。それでも、そこを越えた先に、今の生活がある。

次回は、この物理的な苦労の裏側で、私の内面で何が起きていたかを書こうと思う。

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