ゴールドマン・サックスが読む関税政策の衝撃:景気・インフレ・雇用への影響
近年、世界経済の先行きを大きく左右する要因のひとつとして、関税政策の急激な変化が挙げられます。特に2025年前後から米国と中国の間で深刻化した貿易摩擦は、各国企業や投資家にとって大きな不確実性をもたらし、実体経済および金融市場双方に影響を及ぼしています。
本稿では、ゴールドマン・サックスのエコノミストたちが議論した内容を引用しつつ、現在の関税政策が世界経済や市場にどのようなインパクトを与えているのか、そして米国や中国の景気見通しや金融政策、さらに投資家のポートフォリオ戦略までを総合的に考察します。
1. 関税政策がもたらす影響とは
関税政策が景気にどのように影響するかを理解するには、まず「関税による消費や投資への圧迫」と「金融市場の動揺」がどの程度大きいかを把握する必要があります。
1-1. 関税による3つのチャネル
ゴールドマン・サックスのチーフエコノミストであるヤン氏(Speaker 2)は、関税が景気に及ぼす影響には主に3つのチャネルがあると述べています。
価格上昇による実質所得の減少
関税が上乗せされた輸入品は高額になり、企業や消費者の負担が増えます。実質的な可処分所得が目減りすることで消費が減速し、GDP成長率に下押し圧力をかけます。金融環境の引き締まり
関税政策によって市場が不安定化すると、株価の大幅変動やリスク資産の売却などが起きやすくなります。結果として、リスク回避の動きが資本コストを押し上げ、企業の投資意欲をそぐ可能性が高まります。不確実性の高まりによる投資の先送り
貿易政策の先行きが見えにくい状況では、企業は新規設備投資や採用計画を慎重に行わざるを得ません。とりわけサプライチェーンを世界的に展開している企業にとっては、戦略の見直しに時間とコストがかかるため、成長に対するマイナス効果が持続しやすいといえます。
1-2. 不確実性の評価
「関税の引き上げ幅」や「金融環境の変化」は数値である程度把握できますが、「不確実性」が経済に与えるインパクトを定量化するのは難しい面があります。ヤン氏は「関税による不確実性だけでGDPを0.5~1ポイント押し下げる可能性がある」と推計していますが、これはあくまで概算にすぎず、実際には企業行動の変化がより大きく出るリスクも指摘されています。
2. 米国経済へのインパクト
米国は「関税を仕掛ける側」でありながら、同時に「関税の悪影響を被る側」でもあります。これは米国内の消費者・企業が輸入品のコスト上昇による痛手を負うだけでなく、報復関税を受けた輸出企業や農家などが打撃を受けるためです。
2-1. リセッション(景気後退)はどこまで現実味があるか
ヤン氏によれば、当初は「関税の上昇幅が4~5%程度」にとどまると想定されていた時点では、景気後退に至らない程度の影響と予測していました。しかし、2025年にかけて関税率が15~20%に引き上げられる可能性が高まる中、その試算によると「米国の成長率を2ポイント程度下押しする恐れ」があるといいます。米国の潜在成長率が2%程度と考えられることから、リセッション入りの懸念が一気に強まっているのです。
実際、ヤン氏は「リセッションに陥る確率を約45%」と見積もっており、一時は「リセッションをメインシナリオ」に据えたが、直近の一部関税の適用延期によって「わずかに回避する可能性」が50%程度に戻ったと述べています。ただし、いずれにせよ成長率は極めて低く、「年内の実質GDP伸び率は0.5%程度にとどまる」という厳しい見方です。
2-2. インフレ圧力と金融政策のジレンマ
関税引き上げは物価上昇を加速させ、ヤン氏は「コアPCEインフレ率は3.5%程度」にまで上昇すると見込んでいます。ここで問題となるのが、Fed(連邦準備制度)の対応です。
インフレ上昇への対応としては利上げで物価を抑制する必要がありますが、
景気後退リスクへの対応としては利下げが必要になります。
こうした「物価高+成長率鈍化」の状況は、政策当局にとって極めて悩ましい判断を迫るものです。ヤン氏のメインシナリオでは「年内に合計75bp(ベーシスポイント)の利下げを見込む」が、「もしリセッション入りが明確になれば、200bp程度の大幅利下げがあってもおかしくない」と指摘しています。一方で、「インフレ期待がアンカーを外れる(不安定になる)場合は、思ったほど利下げが進まない」可能性もあり、金融政策の先行きは非常に不確実だとまとめています。
3. 金融市場の変動要因
関税だけでなく、金利・通貨・資金フローなど複数の相互作用が、金融市場に大きなボラティリティ(変動幅)をもたらしています。
3-1. 株式市場と債券市場の異例の動き
米国株式市場は、関税政策の見直し発表があるたびに大きく上下に振れる状況が続いています。特に「ダウンサイド(下落リスク)が大きくなっているにもかかわらず、一部ではまだ楽観的な価格形成がなされている」とされ、シナリオ分布からみるとリセッションを十分に織り込めていない面があるという指摘があります。
一方、「米国債」は伝統的に“究極の安全資産”と見なされがちですが、最近のオークションで需要が伸び悩んだことや、長期金利が株安にもかかわらず上昇するという異例の動きが見られました。これは「インフレ上昇+財政赤字拡大への警戒」や「海外投資家の米国債離れの可能性」を市場が織り込み始めたためではないか、とドム氏(Speaker 1)は分析しています。
3-2. 為替相場と「ドルの安全神話」の揺らぎ
関税強化→リスク回避→ドル高、という図式が2024年頃までは一般的な見方でした。しかし2025年に入ると、関税合戦の深刻化により「ドル資産の過剰保有を見直す動き」や「経済のファンダメンタルズへの懸念」が強まり、リスク回避時にもドルが買われにくい局面が増えました。
ドム氏は、「為替市場では円やスイスフラン、金(ゴールド)などの代替資産が改めて見直されている」とし、米国の政策環境やインフレ状況の先行き不透明感が高まるほど、ドルが世界の安全資産として買われる構図が崩れかねないと警鐘を鳴らします。
4. 中国・その他の主要国への影響
中国は米国との関税応酬による打撃が大きい一方で、積極的な財政出動や金融緩和の余地がまだあるとみられます。しかしながら、「中国の2025年成長率は4%からさらに3.5%程度へ下振れする」(ヤン氏)可能性があり、輸出依存度の高い国・地域は連鎖的に景気後退リスクに直面するでしょう。また世界全体でみても、ヤン氏によると「大国25のうち、成長率予想を上方修正できたのはアルゼンチンなどごく一部」とされ、関税戦争は概して負の総和ゲーム(Negative-Sum Game)になっていることが浮き彫りとなっています。
5. 投資家が取るべき戦略と今後の注目点
5-1. ヘッジ手段の再考
急激に相場が動き始めると、オプションなどのヘッジ手段はコストが高騰し、十分なポジションを取るのは困難になります。今後は「株式やクレジット商品のポジションを縮小し、より安全資産に振り分ける」「ドル依存を減らし、円やスイスフラン、金への分散を図る」といった動きが広がる可能性があります。ドム氏が述べるように、「すでにリスクヘッジとしてプットオプションを買っていた投資家は一定の効果を得ている」が、今からでは費用対効果が見合わない場面が多いと考えられます。
5-2. 今後のウォッチポイント
米国の雇用指標:
毎週の新規失業保険申請件数や大企業の解雇発表など、雇用が悪化するサインが出ればリセッション入りの蓋然性が高まります。企業・消費者の信頼感:
サーベイ結果や先行指標が急速に悪化するかどうか、特に投資や消費マインドの冷え込みがどの程度進むかがポイントです。中国政府の政策対応:
さらなる利下げや財政拡大を行う余地がある一方で、その効果がどの程度まで米中貿易摩擦の痛手を相殺できるかは不透明です。マーケットの流動性と資金調達状況:
債券市場やドル資金の調達コスト、銀行間市場などのストレス指標に注目が集まります。機能不全のシグナルが出始めると、市場全体に連鎖的な影響が広がるリスクが高まります。
「関税政策による世界経済の混乱は、一時的に修正が加えられたとしても、その影響は簡単に拭い去れるものではない」というのがエコノミストたちの共通認識です。米国でもリセッション入りの確率が高まっており、FRBの金融政策は難しい舵取りを迫られています。また、伝統的に“安全資産”とされてきた米国債やドルが揺らぎ始めたことで、投資家のリスク管理は一層困難になっています。
今後は、景気指標や企業マインドがいっそう注目されるほか、米中の報復関税がどのレベルで落ち着くのか、追加的な財政出動と金融緩和の可能性などが焦点となるでしょう。国際金融市場の構造的な変化や、ドルを中心とした安全資産への信認がどう変容していくのかも大きなテーマです。いずれにせよ、急激な政策変更が投資家・企業の意思決定に及ぼす影響は計り知れず、この不確実性とどのように向き合うかが今後の鍵となります。
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