サステナブル投資の未来:自然と気候をつなぐリスクマネジメント最前線
気候変動リスクと自然資本リスクを投資家としてどのように捉え、管理していくべきか――近年、金融業界や企業の間でこの問題に対する関心が一段と高まっています。実際、企業が温室効果ガス排出削減や生物多様性保全といったサステナビリティ課題にどの程度真剣に取り組み、どんな成果をあげているのかは、中長期的な投資リスクとリターンを左右する大きな要因となりつつあります。
本稿では、ある機関投資家(以下「ファンド」)の例を取り上げ、同ファンドが実施したポートフォリオ企業に対するアンケート調査やシナリオ分析の結果、さらに専門家との対話を通じて得られた知見を整理します。その過程で「気候変動」と「自然資本」のリスクを統合的に捉える意義、実際の測定手法や課題、企業との対話(エンゲージメント)の在り方、そして先行きに向けた研究・対策の方向性をご紹介します。
1. 気候変動リスクと自然資本リスクを統合する背景
1-1. 自然資本リスクへの注目度の高まり
同ファンドでは最近、ポートフォリオ企業へ「自然資本リスクをどのように認識しているか」を問うアンケート調査を実施し、300社を超える回答を得ました。その結果、48%の企業が「自然資本リスクは財務的に重大だ」と認識していることが判明しました。これは、自然環境の劣化による物理的な被害(たとえば水資源や生態系サービスの喪失)が、自社のオペレーションや業績を脅かす可能性があると多くの企業が考えていることを示唆しています。
アンケートで浮かび上がったのは、「自然資本に対する認識水準は、ちょうど数年前の気候変動リスク認識の段階と似ている」という指摘です。気候変動については、過去の調査で投資家側が「移行リスク」を重視していたのに対し、自然資本では企業が「物理的リスク」を強く意識している点が興味深い特徴となっています。
1-2. 気候変動と自然資本の相互依存
生物多様性の喪失や森林伐採、水資源の枯渇は、気候変動による気温上昇や異常気象と密接に関係しています。「気候システムと生態系は微妙なバランスの上に成り立っており、気候変動は生物多様性に影響を与え、健康で順応的な生態系は逆に気候変動を和らげる役割を担う」と専門家は指摘しています。
投資家としては、気候変動だけでなく自然資本が提供する「生態系サービス」(食料、水、炭素隔離、洪水防止など)を維持できるかどうかが、将来の経済成長や企業収益の継続性を左右すると考えられるようになりました。その結果、2024年以降、同ファンドは気候変動と自然資本の情報開示を1つの文書として統合する方向に動いています。しかし、「両者を統合しながら、8,000社を超える投資先企業のデータをどこまで精緻に扱うか」という実務面の難しさも明確化しつつあります。
2. 気候変動リスクの測定とシナリオ分析
2-1. ボトムアップとトップダウンの手法
同ファンドは、ポートフォリオ全体の気候関連リスクを把握するために、主に2つのシナリオ分析手法を用いています。
ボトムアップ・アプローチ
企業ごとの気候変動による損失を見積もり、それをポートフォリオ全体に積み上げる方法です。過去4年間、各企業の将来の炭素コストや物理的被害を試算し、それらを合算して2~10%程度の損失を見込む結果となりました。ただし前提やデータが異なるため、毎年の結果を単純比較できないことが課題です。トップダウン・アプローチ
マクロ経済(GDP)の水準が気候変動でどの程度下振れするかをまず試算し、それをポートフォリオの資産価値に落とし込む方法です。こちらの試算では19%もの損失が見込まれました。さらに温暖化が進む厳しいシナリオでは、損失がさらに拡大する可能性が示唆されています。
2-2. 自然資本リスクを加味した新たな試算
加えて、自然資本リスクを気候変動のシナリオに組み込む取り組みも始まりました。大学との共同研究では、18種類ある生態系サービスのうち3種類が仮に崩壊した場合の世界GDPへの影響を試算し、約2%の下落と試算しました。ただし、この分析は生態系サービスの一部しか取り込んでおらず、土壌劣化や水不足といった広範な問題を組み込めば、さらに大きな影響が生じるとの見方もあります。
専門家からは「現行のシナリオモデルは、複合的なリスクや極端事象の連鎖(カスケード効果)を十分に反映しておらず、気候・自然資本リスクが実際より過小評価されている可能性がある」という指摘がなされています。
3. リスク低減の投資戦略と企業エンゲージメント
3-1. リスクベースによる投資判断と成果
ファンドでは、高い炭素排出量を抱える企業や自然資本を著しく損なうリスクが大きい企業を「リスクベース」で売却(ダイベストメント)する手法も長年活用しています。これらは倫理的基準による除外とは異なり、あくまでも「長期的に不安定なビジネスモデルを持つ」と判断した結果の財務的な決定です。
過去には、気候関連リスクを理由に複数の企業を売却する一方、改善が見られた企業は買い戻しています。統計上、このリスクベース・ダイベストメント全体によるパフォーマンスは累計64ベーシスポイント(約160億クローネ相当)ほどポジティブに寄与しているとのことです。気候関連リスク要因による売却は特に大きな影響をもたらし、自然資本に関連する売却もプラスのリターンを生んでいます。
3-2. 企業との対話(エンゲージメント)の重視
一方で、ポートフォリオ全体を市場に合わせて広く保持するファンドにとって、「企業自身がどのように気候変動や自然資本のリスクを管理するか」が最終的にファンドのリスクにも直結します。
2024年には、519社との対話を実施し、そのうち141社についてはNet Zero(排出実質ゼロ)の目標設定や移行計画、排出削減の進捗などを集中的に議論しました。さらに750を超える具体的な目標を企業ごとに設定し、比較可能なスコアリングを試みています。
その結果、「管理体制や情報開示が進んだ企業は排出量も着実に減少しており、逆にスコアが低い企業は同期間で排出量が増加している」ことが明らかになりました。特に、最も排出量の多い企業群(Focusリスト)について、企業に対し継続的に対話し、改善が進めば株式を再取得する柔軟な戦略を取っています。
4. 今後の焦点と研究開発の展望
4-1. 実務課題:データの位置情報・バリューチェーン把握
自然資本リスクをより正確に把握するうえで、企業の「バリューチェーン全体」にわたる影響を捉える必要があります。たとえば、工場やオフィスが立地する地域の水ストレスや土壌劣化の状況だけでなく、原材料の生産地や輸送ルート上での生態系への影響など、地理的・空間的データを詳細に結びつける試みが始まっています。今後はオープンソースの地理情報やAI技術を用いて、より正確なリスク評価モデルを構築していく方針です。
4-2. 企業のロビー活動との整合性チェック
一方、「Net Zero目標を掲げる企業が、実際には政策当局や規制に対して逆行するロビー活動をしていないか」という問題提起もなされています。ファンドは約20年前からこのテーマを取り上げ、2024年には改めて「責任ある企業の政策エンゲージメント」に関する方針を公表しました。AIによる言語分析を駆使し、企業の公的発言やロビー活動に矛盾がないかどうかを検証する体制づくりを進めています。
5. パネルディスカッションからの示唆
同ファンドが招いた専門家パネル(マーティン氏、ニコラ氏など)からは、主に以下のような示唆が得られました。
物理リスクの近未来化
従来は気候変動による物理的リスクは長期的な問題と考えられがちでしたが、近年の異常気象などを踏まえ「物理的リスクは短期~中期的にも大きな影響を及ぼす」との指摘がありました。「秩序だった移行」シナリオは既に狭まっている
様々な国・企業・投資家がネットゼロを宣言する一方、化石燃料需要やエネルギー価格、政策不確実性などの要因から、完全に秩序立った移行シナリオは実現困難になりつつあります。投資家は複数の「混乱を伴う移行シナリオ」を想定し、リスクとリターンを比較検討する必要があります。複合リスクの連鎖的拡大
極端気象によるインフラ停止、農業への影響、水資源の減少、森林火災による二次被害など、カスケード(連鎖)的にリスクが拡大していく点が、いまだモデルで十分に表現されていないと批判されています。最適解より“後悔しない”選択を
期待値や単純な費用便益だけでなく、将来的に「後悔の度合いが少ない投資や政策」を意識すべきだという意見も重要視されています。特に環境への不可逆的なダメージは深刻な後悔をもたらす可能性が高いという視点です。
気候変動と自然資本リスクを統合的に把握し、ポートフォリオ全体のリスクを低減するには、多面的なアプローチが欠かせません。同ファンドの事例を通じて浮かび上がったポイントは、大きく次の4つです。
気候変動と自然資本を一体で捉える重要性
自然環境が担う生態系サービスは、気候変動と相互作用するため、投資判断には両者を同時に評価する仕組みが必要になる。シナリオ分析の限界と継続的改善
ボトムアップとトップダウンという複数の分析手法を併用しつつ、新しい知見やモデルを取り込むことでリスク評価の精度を高める。極端気象や連鎖的な影響を見落とさないよう、シナリオのアップデートが不可欠。企業エンゲージメントを通じた変化の促進
リスクの大きい企業を売却して終わりではなく、対話を通じて改善を促し、状況が好転すれば再投資も行う。こうした戦略が、長期的かつ持続的なリターンをもたらす可能性を示唆している。研究・開発への投資と協働
大学や研究機関との連携、AIを活用したデータ解析、地理情報の活用など、先端技術による新しいリスク測定法を積極的に導入することで、より精緻な投資判断を目指す。
「気候変動」だけでなく「自然資本」も視野に入れた包括的なリスク管理は、まだ道半ばです。しかし、ポートフォリオ規模が大きい投資家だからこそ、生態系保全や脱炭素に取り組む企業を支援し、長期的な観点から適切なリスクリターンを獲得できる可能性があります。今後は企業のバリューチェーンを地理情報と紐づけて解析する技術的アプローチや、実際のロビー活動との整合性をチェックする手法の発展が期待されます。
こうした試みは、世界的にも注目を集める先進事例であり、金融業界全体の次なるステージを示唆するものといえます。持続可能な未来の実現と投資収益の両立を目指すうえで、気候変動と自然資本を一体的に捉え、企業との協働を深めることがますます重要になるでしょう。
関連記事
いいなと思ったら応援しよう!
この記事は noteマネー にピックアップされました

