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ベイリー・ギフォードの視点──なぜプライベートで居続ける企業が強いのか

本稿では、ベイリー・ギフォード(Baillie Gifford)のプライベート投資部門責任者の一人であるピーター・シングルハースト(Peter Singlehurst)氏の投資観や、同社が培ってきた長期投資の手法について解説します。彼がどのようにしてプライベート企業への投資を始め、ストライプ(Stripe)の追加出資を見送った理由やコインベース(Coinbase)へ投資しなかった背景、そしてノースボルト(Northvolt)での大きな損失から学んだことなど、具体的なエピソードを交えながら考察していきます。さらに、AI投資への姿勢や企業文化・創業者との関係性についても触れ、長期投資家としての彼のスタンスと今後の展望を見ていきましょう。


1. Peter Singlehurst氏の投資理念とベイリー・ギフォード


1-1. プライベート投資への転換

ピーター・シングルハースト氏はもともと同社のパブリック・マーケット向け運用チームに所属し、アマゾン(Amazon)やテスラ(Tesla)といった急成長企業の株式を長期保有するスタイルで実績を重ねてきました。そんな彼がプライベート企業投資に踏み切ったのは、2014年頃にエアビーアンドビー(Airbnb)やスポティファイ(Spotify)など、当時はまだ未上場ながら大きく成長しつつある企業の存在を知ったことがきっかけでした。

シングルハースト氏が、「プライベート領域は企業が大きくなるまで上場しない新潮流がある」と感じ始めたのがちょうどその時期だったのです。そして、「誰がこの分野を担当するか」という問いに対し、彼が自ら手を挙げたことで、ベイリー・ギフォード内で専任のプライベート投資活動が始まりました。

1-2. パブリック市場投資との比較

ベイリー・ギフォードは100年以上の歴史を持つエディンバラ拠点の老舗投資会社であり、伝統的には株式市場(パブリック)中心の運用で名を馳せてきました。しかし、近年は「長期投資家として、未上場の成長企業も視野に入れるのが自然の流れ」と判断し、プライベート投資にも積極的に踏み出しています。

シングルハースト氏は、「企業を買う」行為そのものは上場・未上場にかかわらず基本的な分析軸は同じだと語ります。しかし、プライベート企業ならではの情報開示の制限やガバナンス構造、次のラウンドのバリュエーションにまつわる交渉の複雑さなど、上場企業投資では生じにくい要素への対応が必要となるのも事実です。

2. 投資方針と実例


2-1. ワイズ(Wise)の事例

同氏が代表的成功例として挙げるのが、国際送金プラットフォームのワイズ(旧称TransferWise)です。初回投資時、売上は約5,000万ドル規模で、まだ赤字も抱えていました。しかし、成長率は70%前後と高く、CEOであるクリスト・カーマン(Kristo Käärmann)氏の「顧客にとっての手数料の安さと透明性」を追求する姿勢が明確だったこと、さらには「規制が厳しくとも戦略的に突破できる組織文化」に強みを感じたのです。

結果としてワイズは、CtoC送金サービスのみならず法人向け領域にも大きく拡張し、今や数十億ドル規模の売上を誇る企業に成長しました。これについてシングルハースト氏は「純粋な金融工学での差別化よりも、創業者の執念深いまでの顧客志向とカルチャーが成長を牽引した」と評価します。

2-2. ノースボルト(Northvolt)との失敗から学んだこと

一方、痛恨の投資となったのがノースボルトへの出資です。欧州でバッテリー生産を担う重要企業として期待が大きく、同社が打ち出した環境への貢献やエネルギー自給体制の確立といったテーマに強く共鳴したことが投資の背景でした。しかし、同社の実行力不足や予想以上に厳しかった量産体制の構築、さらに追加ラウンドの構造的問題から、ベイリー・ギフォードは追加投資を見送り。その後の株価下落もあり、結果的に大きな損失を被ったそうです。

シングルハースト氏いわく、「企業が伸び悩む際のリスクに対する評価を誤った典型例」であり、「単なる不運ではなく本質的に見抜くべきリスクを軽視していた」と痛感した投資事例といえます。

2-3. Coinbase投資見送りの教訓

コインベースに関しては、そもそも投資を検討した際、「ビットコインの取引ボリューム推定モデル」を作り込みすぎ、あまりに厳しい前提条件で考えてしまったといいます。結果的には暗号資産市場が想定以上に拡大し、コインベースは大きく成長しましたが、シングルハースト氏は「リスクを取り切れなかった“見送り”は、後になってみると大きな機会損失だった」と振り返っています。
彼はこれを「厳密なモデルを作り込みすぎるがゆえの落とし穴」と表現し、過度な慎重さがハイリターンの機会を逃す原因になることもあると語ります。

2-4. 大型AI企業への姿勢

現在もっとも注目度が高い生成系AIに関しては、「OpenAIやAnthropic、またはChatGPTやその他のLLM(大規模言語モデル)関連企業への投資を見送っている」とシングルハースト氏は語ります。それは、技術的優位性と継続的な競合優位性の差分が今後どのように決まるのか「まだ結論づけられない」ためです。

ただし、AI基盤インフラ領域やソフトウェアの開発基盤を担うデータブリックス(Databricks)やテナストラン(Tenstorrent)などには積極的に出資。「分野としてのAIは疑いようがなく巨大だが、コアであるLLMそのものがどのように差別化され利益を生むのかを慎重に見極めたい」としています。

3. 長期投資と終わりの見えない資本市場


3-1. ステイ・プライベートの是非

近年、企業が上場せず長期間プライベートでいる選択肢が増えています。シングルハースト氏は、「上場企業になるとレポーティングの負荷が増え、短期的な利益追求の圧力に晒され、競合にも情報を与えやすい」という点を問題視し、「可能であれば長く非上場でいたほうが経営に集中できる」という姿勢です。

この背景には、かつては上場市場からの資金調達しか大規模な調達手段がなかったところ、近年はプライベート・セカンダリーマーケットや大規模ファンド、機関投資家が成長企業に対し潤沢な資金を提供できるようになったことも一因といえます。

3-2. セカンダリー市場の台頭

上場しなくても、従業員や既存株主が流動性を確保できる「セカンダリー取引」の枠組みも整いつつあります。たとえばストライプが行った大規模なセカンダリーラウンドや、データブリックスのような未上場企業の再度の増資が典型です。
ベイリー・ギフォード自身も、場合によっては保有株を一部売却して新しい投資対象へ資金を回す(リサイクル)手法を活用しています。これにより、非上場株でも大きなリターンを実現しつつ必要な時点である程度の流動性を得ることが可能になっているのです。

3-3. グローバルな投資機会とデグローバリゼーションの懸念

同社は伝統的に世界中の企業に投資してきましたが、シングルハースト氏は近年の地政学的リスクが高まる中、デカップリング(分断化)が進行する可能性に危惧を示します。「世界各国が相互に閉鎖的になれば、企業のグローバル展開は阻害され、成長機会が失われる」と述べつつも、結局は「他者が避ける市場をこそ慎重に調べるのが長期投資家の役目」であるとも語ります。実際、中国企業への投資を再検討している姿勢も「皆が一斉に避けるならば、割安に優良企業を買えるかもしれない」という狙いが背景にあるようです。

4. 企業価値評価における未来予測とバリュエーション


4-1. 10の質問(10Q)フレームワーク

ベイリー・ギフォードの投資プロセスでは、企業を評価する際「10の質問(10Q)」という独自フレームワークを用います。これには「10年後の成長機会は何か?」「競合優位は継続するか?」「カルチャーと事業内容は矛盾なく結びついているか?」といった定性的な面を重視した項目が含まれます。

4-2. 5倍リターン(5x)モデル

同氏は、あらゆる投資案件で「5年から10年程度のスパンで5倍になる確率」を試算するという独特のアプローチを取っています。確率に絶対はありませんが、ざっくり30〜40%の確率で5倍を狙える企業を選べば、全体ポートフォリオとして良好なリターンが見込めるという考え方です。「5倍シナリオが80%もあるなどとは考えない方がいい」とし、むしろ高確率を想定しすぎるのは危険だと警鐘を鳴らします。

4-3. 不確実性とリスク許容度

株主として企業に深く関わる際、資金追加や一部売却を行うタイミングはとても重要になります。追加投資する際も、初回投資と同様に「改めて5倍リターンが狙えるか」を再評価し、その時点で著しく株価が過熱していれば出資を見送ることも少なくありません。
ただし、時には「ストライプの追加投資を見送ったのは誤りだったかもしれない」と後悔する例もあるなど、リスクとの向き合い方は常に試行錯誤だといいます。

5. 文化・経営者・組織


5-1. 創業者主導型企業の優位性

シングルハースト氏は、「投資先の9割以上が創業者主導の企業」と語り、その理由として「創業者がビジョンと執着心を持ち、組織文化を根づかせる力が強いこと」を挙げています。例えば、Wiseは設立者がそのままCEOを続け、企業の成長をリードしている好例です。

一方、創業者以外の経営者が指揮を執るケースが絶対にダメというわけではありません。ヨーロッパの大手フリマアプリ「Vinted」などは、後から加わったCEOのリーダーシップによって実質的な「再創業(リファウンディング)」が成功し、飛躍的に業績を伸ばしました。

5-2. 文化と事業モデルの一貫性

企業を判断するうえで、製品・サービスの優位性だけではなく「組織文化とビジネスモデルが一貫しているか」を重視するのも特徴的です。シングルハースト氏は、ミラノ発のアプリ開発企業「Bending Spoons」を事例に挙げ、その吸収力ある組織文化を高く評価しています。
既存アプリ事業者の「優れたプロダクトだが収益化が弱い」企業を買収し、同社独自のデータ分析や改善手法を適用して成長軌道へ乗せる——こうしたユニークなビジネスモデルと「粘り強く改善を続ける」企業文化の調和が、継続的な高リターンを生み出すといいます。

6. 投資家に求められる姿勢


6-1. 間違いを恐れずに学ぶ

シングルハースト氏は「ノースボルトやアナリア(Inaria)のように、結果的に失敗した投資でも、当時の意思決定プロセスや見落としを学ぶことが重要」と強調します。失敗には「単にリスクが現実化してしまった」場合と「そもそもの分析や判断が誤りだった」場合があり、その違いを自覚することが投資家の成長につながるといいます。

6-2. 企業“所有”への責任とアドバリュー

シングルハースト氏自身、かつては「成長フェーズ企業には投資後の“バリューアップ”支援はあまり意味がない」と考えていました。しかし実際には、プライベートで成長中の企業ほど、「独立取締役の選定」「上場準備」「追加資金調達に向けたストラクチャー構築」「大規模セカンダリーの扱い方」といった相談に乗る場面が多いのだそうです。
「上場企業を長期保有する中でも大変なのに、非上場企業は情報の非対称性や資本政策の複雑さが増す分、むしろ投資家が支援できる領域がある」とのことで、同社が“バリューアップ”への理解を深めつつある点は興味深い変化です。

6-3. 持続的な競争優位の見極め

AI時代の競争優位は、一つの製品自体ではなく「企業文化・経営戦略・組織の実行力」によって決まるとシングルハースト氏は言います。これはAmazonやTeslaを初期から長期投資してきた同社の経験にも通じる哲学です。
また、ハードウェアや規制要件が絡む分野では、単なるプロダクト競争では説明しきれない複雑さがあるため、そこに真の差別化要因が生まれるのではないかとも見ています。

ピーター・シングルハースト氏の語る投資観は、伝統あるベイリー・ギフォードのDNAである「長期思考」が下地にありながら、未上場企業の資金調達環境や市場構造の変化に合わせて柔軟に変貌してきた様子がうかがえます。失敗投資からの学びを重んじ、それでも「5倍リターン」の道筋を追求し続ける姿勢は、非常に根気強いものと言えるでしょう。

彼が何度も強調するのは「企業の文化とビジョンの持続性」「“プロダクトが優れている”ことだけに頼らず、カルチャーや組織設計でいかに差別化を図るか」といったポイントです。ノースボルトのような残念な事例も含め、マクロ環境が急速に変化する中でどこに競争優位が宿るかを見極めるには、プロダクトだけでなくマネジメントや企業文化を包括的に理解する必要があるという示唆を与えてくれます。

世界経済のデカップリングやAIブームなど、これからも変化の波が続くでしょう。しかし、そうした困難やブームの過熱に流されることなく、本質的に「経営者が描くビジョンと組織の実行力が噛み合った優れたビジネス」を見つけ出していく――ピーター・シングルハースト氏とベイリー・ギフォードが今後も示す投資戦略は、成長企業・投資家の双方に多くの示唆を提供し続けるに違いありません。


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