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東京會舘で交わした、ある社長との忘れられない会話――クラレを20年持ち続けて見えたもの

かつて「ミラバケッソ」のフレーズでテレビCMが流れていた化学メーカー、クラレ。

この会社の名前は、1926年に創業した当時の社名「倉敷レイヨン」に由来しています。「倉敷の『クラ』とレーヨンの『レ』」。その名の通り、化学繊維レーヨンの企業化から始まったこの会社は、今年で100年周年という大きな節目を迎えました。

私がこの会社の株を初めて買ったのは、2006年のことでした。当時のクラレは今のような華やかなCMもなく、静かで地味なBtoBの会社でした。当時はまだ500株単位での購入が必要で、20代の私にとっては決して小さくない、覚悟のいる「大金」でした。

当時、私がこの会社に惹かれた理由は、ランドセルに使われる「クラリーノ」のような身近なものから、液晶パネルに欠かせない「ポバールフィルム」といったハイテク素材まで、世界トップシェアを握る技術力にありました。何より、時代の変化に応じてレーヨン専業から化学素材メーカーへと柔軟に業態を変え、生き抜いてきた「進化する力」に心底感銘を受けていたのです。手堅い財務状況も、長く付き合うには十分な安心感でした。

それからしばらくして、クラレの株を保有し続けていたある年のこと。有楽町の東京會舘で行われた株主総会に足を運びました。

今のように大勢の株主で賑わう雰囲気ではなく、参加者もせいぜい数十人程度。どこか落ち着いた空間だったのを覚えています。総会が終わった後の和やかな懇親会で、当時の伊藤文大(いとう ふみお)社長が「いつかは売上高1兆円を目指したい」と、周囲の株主に向けて静かに、でも力強く語られていました。当時のクラレの売上高は、まだ4,000億円に届かないくらいです。

私は、まだ20代の若手らしい生意気さで、緊張しながらも「もっと会社をアピールした方がいいのではないですか」といったお節介な意見を、社長に直接ぶつけてしまいました。今振り返ると冷や汗が出るような場面ですが、伊藤社長は嫌な顔ひとつせず、私の話を最後まで真摯に、そして温かく聞いてくださいました。大企業のトップが、一人の若い株主の声をまっすぐ受け止めてくれたことが、とても嬉しかったのを覚えています。

その後、クラレは大きく成長していきました。現在の売上高は8,000億円を超える規模になり、あのとき伊藤社長が語っていた「1兆円」が、もうすぐそこに見えています。

実は、伊藤文大社長が退任された後も、私は何度か株主総会に足を運んでいます。後任の伊藤正明社長の言葉を聞いていても、常に誠実な姿勢と、あの時伊藤文大社長が語っていた未来への意志が、しっかりと受け継がれていることを肌で感じました。後任の伊藤社長に対しても、生意気ながら総会で株主質問として「1兆円の展望」について尋ねましたが、誠心誠意、丁寧に回答してくださった姿には深く感銘を受けました。

また、この会社とのお付き合いは、私に新しい世界も教えてくれました。かつての「倉敷レイヨン」という社名を辿るうちに、私は倉敷の街とその歴史、独自の文化に深く惹かれるようになったのです。いつかこの街を訪れたいと願っています。その時は、クラレの株主優待を活用して、倉敷国際ホテルに滞在し、ゆっくりと過ごす――それが今、私の中に秘めている楽しみの一つです。

今、私にとっての毎年の楽しみは、長期保有の株主優待でいただく「うなぎ」です。届いたうなぎを家族で囲みながら、「あの時、社長と直接お話ししたクラレが、100年という歳月を超えてこんなに大きくなったんだな」と、どこか親戚の成長を見守るような気持ちになります。

静かに、けれど着実に未来を拓いていくこの会社を、私はこれからも自分のペースで応援していこうと思っています。

――ただ、そんな今の投資を支えているのは、かつて企業の本質を見ようともせず、ただ株価の安さと株数だけで利益を追った若き日の苦い反省です。次は、若き日の私を戒めることとなった、その失敗の記憶について記します。


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