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謎は好きだけど、謎のままでは眠れない。僕が推理ADVに惹かれる理由

最近、自分が好きなゲームについて考えていて、あらためて気づいたことがある。

自分はやっぱり、
昔ながらの推理アドベンチャーゲームが好きなんだな
ということ。

ここでいう「昔ながら」というのは、単に古いゲームという意味ではない。

画面を調べて、
人に話を聞いて、
選択肢を試して、
時には同じ場所を何度も行き来して、
「あれ? ここで進まないぞ?」と詰まりながら、
ようやくフラグが立って物語が進む。

あの感覚が、今でもかなり好きだ。

自分が推理ADVに求めているもの

自分がこのジャンルに求めているものを言葉にすると、だいたいこの4つに集約される。

事件のワクワク。
少しの怖さ。
キャラの濃さ。
最後の回収感。

たぶん、この4つが揃っていると、自分の中ではかなり評価が高くなる。

逆に、どれだけ映像がきれいでも、設定が凝っていても、最後に「で、結局なんだったの?」となってしまうと、少し熱が冷める。

途中の考察は楽しい。
謎が深まっていく感じも好きだ。
「これはどういうことなんだろう」と考える時間も嫌いじゃない。

でも最後は、ちゃんと答え合わせがしたい。

「ああ、そういうことだったのか」
「だからあの時、あの台詞だったのか」
「最初の違和感はここにつながっていたのか」

そういう納得感がほしい。

自分はたぶん、浪漫派ではなく現実派だ

自分はたぶん、浪漫派ではなく現実派なのだと思う。

歴史や宇宙の話があまり得意ではない理由も、そこにある気がする。

もちろん、歴史や宇宙が嫌いなわけではない。
ただ、そこにはどうしても「100%の答えが出ないこと」が多い。

まだ分かっていないことを想像する。
答えのないものを追い続ける。
仮説を立てて、その余白に浪漫を感じる。

そういう楽しみ方があるのは分かる。

でも、自分はそこにあまり気持ちよく乗れない。

自分の場合、問いがあるなら答えがほしい。
伏線があるなら回収してほしい。
違和感があるなら、最後には理由を知りたい。

物語が終わる時には、
1+1がちゃんと2で終わってほしい。

そこが自分にとって、かなり大事なのだと思う。

だから、作品の最後に
「この先はあなたの想像にお任せします」
と言われると、少し困ってしまう。

もちろん、余韻や解釈の余地がある終わり方を否定したいわけではない。
人によって受け取り方が変わる作品の面白さも分かる。

でも、自分の場合は、物語の大事な部分までこちらに預けられると、どうしてもモヤモヤが残る。

余白はあってもいい。
でも、丸投げは少し苦手。

謎があって、伏線があって、事件が動いたなら、
最後には作り手の答えを見せてほしい。

「あとはあなたが考えてください」ではなく、
「こういう物語でした」とちゃんと着地してほしい。

分からないまま余韻に浸るより、
「ああ、そういうことだったのか」と腹落ちして眠りたい。

答えがちゃんと分からないと、たぶん眠れないタイプなのだ。

だから、自分は「謎そのもの」が好きというより、
謎が解けていく過程と、最後に答えへたどり着く感覚
が好きなのだと思う。

原体験は、たぶんファミコン時代にある

自分の中でこの感覚の原点にあるのは、やっぱりファミコンやスーパーファミコン時代のアドベンチャーゲームだと思う。

『さんまの名探偵』
『ポートピア連続殺人事件』
『オホーツクに消ゆ』
『ファミコン探偵倶楽部 うしろに立つ少女』

このあたりの作品には、今でも特別な感覚がある。

当時のゲームは、今ほど親切ではなかった。

次に何をすればいいか、そこまで丁寧には教えてくれない。
同じ人に何度も話しかけたり、同じ場所を何度も調べたりする。
場合によっては、何を見落としているのかすら分からない。

でも、その分だけ、進んだ時の気持ちよさがあった。

「あ、これで進むのか!」
「やっと分かった!」
「ここがフラグだったのか!」

この、ちょっと面倒くさいけど、自分で事件に近づいていく感覚。
自分はそこにかなり快感を覚えていたんだと思う。

ただ読むだけではなく、“自分で進めている感覚”が好き

もちろん、物語を読むタイプのビジュアルノベルも好きだ。

『EVE burst error』のように、物語そのものに引き込まれる作品もあるし、『かまいたちの夜』のように、閉ざされた空間で少しずつ不穏さが増していく作品も好きだ。

でも、自分が特に惹かれるのは、ただ文章を読むだけではなく、
自分で事件を進めている感覚がある作品
なのだと思う。

調べる。
聞く。
考える。
詰まる。
また調べる。
そして、ようやく真相に近づく。

この流れが好きだ。

親切すぎて、次に押すボタンがすべて示されていると少し物足りない。
逆に、不親切すぎて何をすればいいか分からないままだと疲れてしまう。

このあたりのバランスが、自分にとってはかなり大事なのかもしれない。

何でもかんでも手取り足取り案内してほしいわけではない。
でも、理不尽に迷子になりたいわけでもない。

ちゃんと考えれば進める。
ちゃんと調べれば気づける。
ちゃんと違和感に意味がある。

そういう作りのゲームが、自分には合っている。

“謎”だけではなく、人間ドラマもほしい

推理ゲームというと、どうしてもトリックや真相に目が行きがちだ。

もちろん、それも大事だ。
伏線が回収されること。
真相に納得できること。
最後にちゃんと答え合わせがあること。

そこはかなり重視している。

ただ、自分の場合はそれだけではなく、最終的には人間ドラマが残る作品に強く惹かれる。

なぜ事件が起きたのか。
誰が何を守ろうとしたのか。
どんな信念があったのか。
その人の行動には、悲しさや優しさがあったのか。

そういう部分があると、ただの謎解きでは終わらない。

『逆転裁判』や『大逆転裁判』が好きなのも、たぶんそこに理由がある。

ただ犯人を追い詰めるだけではなく、
真実が明らかになった時に、どこか悲しさや切なさが残る。
でも、最後には少し救いもある。

そのバランスがすごく好きだ。

単に「犯人はお前だ」で終わるのではなく、
そこに至るまでの理由や、抱えていたものまで見えた時、物語として深く残る。

謎が解けた爽快感と、真実を知ってしまった切なさ。

その両方がある作品は、やっぱり強い。

自分に合わない作品も、理由を考えると見えてくる

逆に、世間的に評価が高くても、自分にはあまり合わない作品もある。

たとえば、設定や世界観の理解が前面に出すぎるもの。
SF要素や特殊設定が強すぎて、事件そのものよりも世界観を追うことが中心になるもの。
あるいは、最後の解釈をプレイヤーに大きく委ねるもの。

もちろん、それが好きな人もいると思う。
作品として優れているものも多い。

ただ、自分が求めている推理ADVとは、少し方向が違うのだと思う。

自分は最後に、ある程度ちゃんと着地してほしい。
謎が謎のまま残るより、
「なるほど、そういうことだったのか」
と思って終わりたい。

そしてできれば、その真相の先に、人の気持ちや救いがあってほしい。

世界観の考察そのものを楽しむというより、
事件が起きて、違和感が積み重なって、最後に一本の線になる。
その気持ちよさを求めているのだと思う。

今でも探しているのは、あの感覚

最近のゲームは本当にすごい。

映像もきれいだし、演出も豪華だし、遊びやすくなっている。
昔に比べれば、親切なゲームも増えたし、物語の表現方法も豊かになった。

でも、自分が今でも探しているのは、もしかすると昔のゲームで味わったあの感覚なのかもしれない。

薄暗い事件の入り口に立つ感じ。
少し怖いけど、先が気になる感じ。
変なキャラや濃い人物に出会う楽しさ。
詰まりながらも、少しずつ真相に近づいていく感覚。
そして最後に、全部がつながる気持ちよさ。

それがあるゲームに出会うと、今でもかなり嬉しくなる。

昔のゲームが好きなのではなく、
昔の推理ADVにあった“自分で事件を追っている感覚”が好き
なのだと思う。

だから今でも、そういうゲームを探している。

『かまいたちの夜』や『神宮寺三郎』や『EVE』や『逆転裁判』を遊んできた人に刺さる、現代の推理ADV。

派手じゃなくてもいい。
ものすごく難しくなくてもいい。
でも、事件があって、少し怖くて、キャラが濃くて、最後にちゃんと回収される。

そんなゲームに、また出会いたい。

そして、物語が終わった時に、
「ああ、ちゃんと終わったな」
と思いたい。

1+1が、ちゃんと2になるような。
そんな気持ちよさのある推理ADVを、これからも探していきたい。


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