見出し画像

男の先生ではなく、名前で呼んでほしかった。

その出来事

「男の先生にお礼を言いましょう。」

畑での食育活動が終わったあと、先生が子どもたちにそう声をかけました。

子どもたちは元気よく

「ありがとうございました!」と言ってくれました。

もちろん、その言葉は嬉しい。

でも、その瞬間、

私はほんの少しだけ悲しくなりました。

そこに、名前がなかったからです。

名前を呼ぶということ

私は幼稚園で14年働いています。

担任として10年間クラスを持っていた時期もありますし、

今は畑仕事や修繕、バスの運転、食育活動などに関わる仕事をしています。

幼児教育の現場に長くいると、

子どもたちにとって大切なものが見えてきます。

そのひとつが、名前です。

人は、自分の名前を呼ばれることで

「自分という存在が認められている」と感じます。

それは大人でも、子どもでも同じです。


感謝は“概念”では育たない

食育の目的は、

食べ物の背景を知ることだと思っています。

野菜は誰かが育てている。

食べ物には手間がかかっている。

そこには人の関わりがある。

その「人」を知ることで、

感謝の気持ちは育っていくのではないでしょうか。

もしその存在が、

「男の先生」

という言葉だけになってしまったら、

子どもたちは何に感謝しているのでしょうか。

感謝とは、

具体的な誰かに向かうものだと思うのです。

教育は小さな一手間から生まれる

私は担任ではありません。

だから強く言える立場でもありません。

それでも思うことがあります。

教育は、大きな理念から生まれるのではなく、

日常の小さな行動から生まれるのではないか。

名前を聞くこと。

名前を呼ぶこと。

たったそれだけのことですが、

そこから人を大切にする感覚が育っていく。

私は、そう信じています。

教育とは、誰かを「名前で呼ぶこと」から始まるのかもしれません。

今日は、日本語教育とは違う話でした。

最後まで読んでくれてありがとうございました!

#LearnJapanese
#JapaneseCulture
#JapaneseLanguage
#日本語学習
#日本語チューター
#日本語教育能力検定

いいなと思ったら応援しよう!